~ちょっとした医療が日本の観光立国を支える~
外国人旅行者が病気になると、軽い症状にもかかわらず、外国人医療に対応した中核病院に運ばれてしまうことが多い。これは日本の医療にとってマイナスだし、外国人旅行者にとってもうれしいことではない。訪日外国人医療支援機構では、外国人旅行者を受け入れるクリニックやドラッグストアを検索できるスマホのアプリを開発し、外国人旅行者が適正な医療を受けられるように支援しているという。
——外国人医療と関わるようになったのに、何かきっかけがあるのですか。
落合 日本でメディカルツーリズムという言葉が登場してきたのは2000年頃だったと思いますが、それ以前に、私にとってのトラウマ的記憶があります。1996年頃だったと思いますが、東京新聞に外国人のこんなコラムが載りました。日本は素晴らしい国だが、住んでいて困ることが1つだけある。それは、病気になった時に本国に帰らなければならないことだ。言葉の問題ではなく、病院が清潔でないとか、プライバシーを守ってくれないとか、そういうことで日本の病院には行けない。病気になった時だけは困ってしまう、というような内容でした。それがずっと頭に残っていました。
——それでNTT東日本関東病院では外国人を積極的に受け入れようとしたのですね。
落合 私は2002年にNTT東日本関東病院の病院長になったのですが、当時この病院は新しくなったばかりできれいでしたし、個室も十分に用意されていたので、清潔さにおいても、プライバシーを守ることにおいても、世界に負けないと思っていました。それで、東京に住む外国人を診ることに対して、心の広い病院でありたいと思っていたのです。その後、アメリカのメイヨークリニックに見学に行ったりしましたし、メイヨークリニックの人にも来てもらって、この病院なら十分に国際的評価に耐えられるだろうとの意見をもらっていました。実際に外国人患者の受け入れも行っていました。ひょんなことからスーダン大使だった人がイスラム諸国の人にこの病院を紹介してくれて、イスラム諸国の大使館職員やその家族の診療も行いました。アラブ首長国連邦から、王妃様とか王子様がいらして治療を受けられたこともあります。
誤解があったメディカルツーリズム
——いろいろご苦労もあったのでしょうね。
落合 その頃よく言われていたのは、イスラム諸国の患者さんが入院したら、食事をハラール(イスラム法上で食べることが許されている食材や料理)にしなくてはいけないとか、礼拝の場を用意しなければいけない、といったことでした。ところが、実際にそういう方が入院してみると、そんなことはなかったのです。彼らは礼拝したければその時間に自分でするし、食事も作り方がどうなっているのかを聞いて、豚肉が入っていたらそれを食べないというだけのことでした。言葉の問題はありましたが、看護師さんがインターネットで調べて、アラビア語と日本語の対照表を作り、うまく対応してくれました。実際にやってみると、それほど大変ではないという印象でした。
——医療の面での対応で難しいことはありませんでしたか。
落合 胃の内視鏡検査を行おうすると、とんでもないと断られたりしました。彼らの常識には胃カメラなんてなかったわけです。そうしたことを通じて私が感じたのは、病院に来るような時には向こうも困っているので、こちらが心を尽くせば通じるということでした。外国人患者を受け入れるための仕組みを全て整えて、ハラールを出せるようにしたり、アラビア語で対応できるようにしたりする必要が本当にあるのか、ということは感じていました。これが2011年以前の話です。
——日本では2000年頃からメディカルツーリズムということが言われ始めたわけですね。
落合 その頃は誤解があって、外国から日本に来てもらい、温泉に入れ、富士山を見せて、人間ドックを受けてもらえばいいだろうと。そういうのをメディカルツーリズムといっていたわけです。本来は「自国で受けられない医療を求めて国外に行って医療を受ける」という意味です。この本来の意味が分かってくると、日本の医療制度は優れているけれど、外国からの患者を診るといったところまで世界に浸透しているのか、という問題が生じてきます。世界には、先ほど申し上げたメイヨークリニックのように、全世界から患者を呼んでいる病院があります。世界でそこでしかできない医療を提供している病院ですね。そういう病院が日本にあるのか、ということになります。ところが、経済産業省はある意味イケイケドンドンで進めてきました。日本の医療はこれだけ優れているのだから世界中から患者を呼べるのではないか。これだけ高齢化社会を実現した長寿国日本の医療は、世界に売れるのではないか。世界に冠たる国民皆保険制度と言われているのだから、これも世界で売れるはず。こういう考えで、世界中から患者を呼び込み、日本の医療制度を売っていこうと、経済産業省が音頭を取って動き始めました。こうして2011年に発足したのが、MEJ(一般社団法人Medical Excellence Japan)なのです。
都内に住む外国人の診療を考えていた
——その後はどう推移したのですか。
落合 NTT東日本関東病院は2011年にJCI(Joint Commission International)という国際的な医療機能評価機構の認証を受けました。国際化ということを掲げたわけです。その途端、外国から患者さんを連れてくるので、そちらの病院で外国人相手に人間ドックをやりませんか、というような話が次々と持ち込まれるようになりました。その頃、私が考えていたのは都内に住む外国人を診ることだったのですが、外国から積極的に患者さんを呼んでくるという話が持ち込まれてきたわけです。そういった話にはノーと答えていました。その頃、本来の意味のメディカルツーリズムを国策として始める国々が現れてきました。タイやシンガポールなどが、安い人件費できれいな設備を作り、そこに外国人患者を呼んで医療を展開し始めたわけです。NTT東日本関東病院がJCIの認証を受けた後、タイの病院からメールが来たことがあります。自分達はタイでメディカルツーリズムをやっている病院だが、こちらでの治療が終わり、本国に帰したい日本の患者さんがいる。ところが、どこに帰せば責任を持って診てもらえるのか、日本の病院からは情報が発信されていないので分からない。そちらの病院がJCIを受けているので、ぜひ患者さんをお願いしたいと言ってきたわけです。
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