市立病院が統合した初の医療機関
193 中東遠総合医療センター(静岡県掛川市)
中東遠総合医療センターは、市立病院同士が統合して設立された全国初の医療機関だ。静岡県掛川・袋井両市の市議会議員らで構成する「掛川市・袋井市病院企業団」(企業長=宮地正彦・同センター院長)が管理・運営している。同企業団は特別地方公共団体の位置づけで、両市の市議会議員が5人ずつ参加し、企業団内で議会を開いている。
同センターのある「遠州地方」は、浜松のある西の遠州が「西遠」、袋井がある中央が「中遠」、掛川がある東部が「東遠」と呼ばれる。名称は市民から公募し、袋井と掛川のある中遠と東遠を合わせた「中東遠」の名を冠した案が選ばれた。医療圏名も「中東遠医療圏」(47万人)である。
同センター誕生のいきさつは以下の通りだ。1979年に開院した袋井市民病院と84年に開院した掛川市立総合病院では老朽化による建て替え案が浮上した。その上、いずれも医師が不足しており、救急医療の機能低下や診療科の減少に陥っていた。
両市では2006年、今後の病院のあり方に関する検討委員会がそれぞれ発足した。翌年、医療スタッフの確保が難しいことなどから、広域的な取り組みが望ましいとの提言がなされた。両市は両病院へ医師を派遣していた名古屋大学と浜松医科大学とも協議した結果、両市長は09年に「新病院建設に関する協定書」を締結、両病院を統合した新病院の建設を決めた。
一方の市立病院を失う両市議会や両市民への説明・告知を行いながら、袋井市境に近い掛川市郊外のゴルフ場跡地を建設地に選定。13年に開院に漕ぎ着けた。総事業費は約222億円で、掛川市が6割、袋井市が4割を分担した。
地上8階建てで、診療科は33科、病床数は500床。開院時の医師は93人で、1年後には103人に増員、目標の100人を超えた。旧2病院では夜間診療は2人の当直医で行っていたが、新病院では救命救急センターを設置、専門医を含む医師5人体制で「断らない救急」を実現した。
開院から6年。院内では旧2病院の“壁”はほとんどなくなり、黒字化も実現した。宮地正彦・企業長兼院長は「医師確保のため研修医教育を魅力あるものにしたり、スポーツ医療や人間ドッグにも力を入れたりして、“中東遠ブランド”を作っていきたい」と今後の展望を話す。
193_中東遠総合医療センター
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