厚生労働省内で、7月に決定した人事課長の人事が密かに話題を集めている。通例では人事担当の藤枝茂・官房参事官(1991年、旧労働省)が人事課長に昇格するとみられていたが、富田望・労働基準局総務課長(91年、旧労働省)が抜擢されたからだ。鈴木俊彦・事務次官(83年、旧厚生省)が「藤枝人事課長」の誕生を阻んだとささやかれている。
人事課長は官房総務課長、会計課長と並び、官房3課長と呼ばれる要職に位置付けられている。ある厚労省職員は「事務次官になるには、官房3課長のいずれかの経験が必要とされ、経験者の多くは出世する花形ポストだ」と解説する。官房総務課長は旧厚生と旧労働で分け合ってきたが、近年は旧厚生に奪われ気味だ。会計課長は元々、旧厚生のポスト。残る人事課長と人事担当の官房参事官は旧厚生と旧労働で分け合い、たすき掛けで人事を行ってきた。労働官僚からすれば、枢要ポストの中で数少ない「指定席」の1つだった。
近年でみると、2017年7月から1年間、人事課長を務めた山田雅彦・政策立案総括審議官(89年、旧労働省)、その後任の辺見聡・大臣官房審議官(90年、旧厚生省)はいずれも官房参事官から昇格している。このため、夏の幹部人事で人事課長に就任するのは、18年7月から官房参事官を務めた旧労働省出身の藤枝氏と目されていた。
これに待ったをかけたのが、旧厚生省出身の鈴木事務次官だ。統計不正問題の最中、藤枝氏は野党対応などに追われて休みなく働いた結果、体調不良で職場から離れたのが響いたとされる。これに加え、ある厚労省幹部は「当時の定塚由美子・官房長(84年、旧労働省)らが第三者性が求められる特別監察委員会の調査に同席したのが問題となったが、事務局としてさばいていたのが藤枝氏だった。これが決定的だった」と解説する。通常、旧労働の人事に旧厚生が介入するのは「ご法度」だが、官房3課長となれば事務次官のテリトリーだ。ある幹部は「異例のことだが、大臣官房となれば事務次官がやれなくもない」と声を潜める。
今回の幹部人事は、鈴木事務次官の意向が強く反映されており、特に事務次官の足元を支える「官房機能の強化」が図られたのが特徴だ。鈴木氏お気に入りの一人、間隆一郎・官房総務課長(90年、旧厚生省)らが集められている。一方で、渦中の藤枝氏は地方課長に「出世」したものの、官房3課長よりは「格」が落ちる。藤枝氏の処遇を聞いた中堅の労働官僚は「鈴木氏に気に入られないと偉くなれないのか」と絶句するほどだった。
人事課長に就任した富田氏は、15年1月、労働者派遣法改正案の審議直前、担当課長であったにもかかわらず、業界団体での挨拶で「これまで派遣労働は、期間が来たら使い捨てで『モノ扱い』だった」と発言し、批判を浴びたことがあり、適性が疑問視されている。ベテランの労働官僚は「この発言以外にも、とかく上から目線で、とても人事課長に適任だとは思えない」との声もある。
鈴木事務次官が留任したことで、来年の夏の幹部人事も引き続き「鈴木路線」が敷かれるのは決定的だ。省内からは半ば強権的なやり方に「物言えば唇寒し」という諦めにも似た雰囲気が漂い始めている。
LEAVE A REPLY