〜諦めない姿勢は外科医時代の現場で学んだ〜
がんの治療に従事していた医師が、大学院で医療経済を学び、国会議員に転身した。最初の選挙の時から一貫して掲げているのは「命を守る政治」だ。医師は一人一人の患者の病気を治していくが、政治家が相手にするのは多くの人々。一度にたくさんの命を救うこともできるが、判断を誤ればたくさんの命を危険にさらすことになる。そのことを肝に銘じて、日々の活動に取り組んでいる。
——7月の参院選の結果をどう受け止めていますか。
大隈 自民党は3年前より議席を増やすことができましたが、東北や信越など1人区で大切な仲間を失いました。その点では、与野党ともに勝ったという感覚は少ないのではないでしょうか。要するに国民の皆さんからは、気を引き締めて今の路線で引き続き問題解決に努めなさいと、メッセージをいただいたのだと受け止めています。これまで通り謙虚に日々真剣勝負です。
——れいわ新選組から重度障害者2人が国会議員となり注目を集めています。
大隈 初めてのことで注目されるのは当然ですが、我々が特に厚生労働の分野でやるべきは、重度障害者の方が登院されることがニュースにならないような、国会や社会を作っていくことだと考えます。私も党の部会や厚生労働委員会で在宅や通勤時の障害者就労支援の拡充を訴えて来ましたし、自民党や国会にも、がんや難病の治療をされている先輩議員がいます。ITなどのテクノロジーを活用して、様々なハンディキャップを抱えていても、多様な人材の英知を結集できる環境が当たり前になるような社会の実現を目指したいですね。
——そもそも医師になられたきっかけは?
大隈 子供の頃は伝記物や歴史小説を読むのが好きで、漠然と自分の努力で世の中の役に立つ仕事をしたいと考えていました。佐賀鍋島藩の大隈家の傍系として、明治維新後は代々医師を継承してきましたので、医師になることは自然と選択肢にありました。父は仕事熱心な消化器外科医で、献身的に人のために仕事をする姿を示してくれた良い手本でした。一方で、私は数学と物理が苦手でもあり進路には悩みましたが、最終的に医師となって社会に貢献する道を選びました。その中でも、自分の手で患者さんを直接治す外科に惹かれて志すことにしました。
厳しく鍛えられた若手医師時代
——どんな医師だったのですか。
大隈 大学ではサッカーに明け暮れた学生生活でしたが、卒業後は地元の大阪大学の第一外科教室(現心臓血管外科)の門を叩きました。当時は心臓血管・呼吸器・消化器・一般外科のグループが同居した大所帯で、教室には外科学の巨人のような先生方が大勢おられました。毎日が緊張の中、「医者が諦めたら終わりだ」と、文字通り不眠不休で厳しく鍛えられました。私が関連病院に出向した3カ月後に、阪大病院で臓器移植法下で国内初の脳死心臓移植が行われ、TVや新聞で松田暉教授や教室の先生方の姿を見て非常に感動したのを、昨日のことのように覚えています。長年の教室の悲願であった心移植という難しい課題を成功させるため、歴代の教授を筆頭に凄まじい努力や準備を重ねた、ごく片鱗を体験した者として、社会を動かすには途方もない困難と努力が要るのだと、叩きこまれた思いでした。実際に当時のハードな経験は、今の選挙や日々の活動でも肉体的・精神的に辛いことがあっても、あの時の苦しさを思えば大したことはないとすら思えるほどで、今に至る私を鍛え上げてくださったことに感謝の思いで一杯です。
2度目の選挙で当選を果たす
——医師から政治家に転身した理由は?
大隈 ある大阪で一番忙しい病院の1つに配属された時、外科部長が非常に仕事熱心な方で、午後11時に夜の重症回診が始まるといった具合でした。ところが過労が重なり、その先生を含めて上司が3人も次々に倒れてしまったんですね。ちょうどDPC(診療群分類包括評価)制度が導入された頃で、また折しも診療報酬のマイナス改定がありました。大阪でも経営が苦しくなった公立病院が、閉院や売却するという話が次々と出ていました。救急車のたらい回しも大きな社会問題になっていましたね。こんなに懸命に働いていても、病院経営は苦しく、医療を提供する側が体を壊して倒れてしまう。これは何かがおかしいぞ、医療そのものを診察して治療するプロが必要ではないかと痛感しました。そんな時に、東京医科歯科大の川渕孝一先生の講演をお聞きする機会があり、医療の質を可視化する研究が非常に興味深く、ならば医療経済を学ぼうと思いました。今思えば、それが政治家への道のスタートになったわけです。
——京都大学の大学院に進んだのですね。
大隈 自分の患者さんを抱えて臨床を続けながら勉強するのに、東京には行けません。それで一番近くで医療経済学を学べる、京都大学大学院に進みました。当時の京大には医療経済学の教室が、西村周三教授の経済学部と今中雄一教授の医学部との2つありました。私は今中先生の教室に入れていただいたのですが、半数は医師・歯科医師や理学療法士など医療関係出身者で、半数は経済学・経営学出身や留学生から成るユニークな教室でした。私は医療の質や経営は何に影響され、どう改善するかを研究テーマとしました。教室には面白いプロジェクトがあり、数百の病院が任意提供する膨大なDPCデータを、様々な評価指標を開発しながら解析して、医療の質や経営面について、それら病院の現場の医師や経営陣と改善に取り組むというものでした。現在、厚労省がデータヘルスを提唱していますが、今から10年以上前から、客観的なデータを用いて鮮やかに医療の質や経営が改善することには、大きな喜びと発見がありました。一方で、政策や学会の指針の変更に応じて診療行為までも変化することは、臨床で経験した以上に驚きでもありました。ある政策が現場に与える影響を行政が全て予測できたとしても、実際には政策がうまくいくとは限りません。やはり、患者さんや現場の声を政策に反映したり複雑なステークホルダー間の調整などには、政治の力こそ必要だと感じました。遠い世界のことながら、いつしか政治家を志すこととなったのです。
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