確実な予防策ない中で社保費抑制と産業育成狙う愚
政府の新たな認知症対策大綱は、認知症の人との「共生」という従来方針に加え、認知症の「予防」を重視した内容となった。70代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す。
ただ、認知症の予防策は確立されていない。予防を前面に出し過ぎると認知症の人や介護をする家族を追い詰め、「認知症になっても安心して暮らせる地域づくり」を謳う共生の理念を揺るがしかねない。
5月16日、首相官邸であった「認知症施作推進のための有識者会議」(座長=鳥羽研二・国立長寿医療研究センター理事長)で、政府は2019〜25年を対象とする認知症対策大綱の大枠を示した。15年に定めた認知症の国家戦略「新オレンジプラン」の後継となる政府方針だ。認知症の人との「共生」と、認知症にならないことや進行を抑える「予防」の両輪からなる。
つまり、新大綱にも共生の理念は引き継がれている。「認知症サポーターの養成」など、新オレンジプランに盛り込んでいた政策に加え、認知症の人が自宅に閉じこもらないようにすることを目指す「認知症バリアフリー」などを新たに提唱している。交通事業者向けの対応指針の作成や、バリアフリーを推進する企業を認証する制度の創設なども列挙している。
とはいえ、最大の特徴は「予防」に大きく舵を切ったことだ。
認知症予防に向けては、運動不足の解消や社会参加の促進に繋がるものとして、地域の介護予防事業、スポーツジムなど「通いの場」の拡充を挙げた。
さらに、予防・治療法の研究開発推進や、認知症予防に役立つと考えられる商品やサービスに評価・認証の仕組みを検討することも加えられた。
当初は、認知症の有病率を減らすことを数値目標として掲げる意向だった。70代の人の有病率を6年で6%、10年で1割程度減らす、などの内容だ。ただ、与党内からも「拙速過ぎる」と指摘され、認知症の人と家族の会が1日の総会で「予防重視が強調され、偏見を助長する。自己責任論に結び付きかねない」との声明を確認するなど批判が高まった。こうしたことを受け、数値目標は撤回され、参考値へと変更された。
18年時点の認知症高齢者の数は500万人程度、65歳以上の人の7人に1人に当たると推計されている。これが25年には700万人に達するとみられ、5人に1人が認知症という時代が訪れる。「生涯現役社会の実現」を目指す政府にとって、認知症対策は避けて通れない。その中でも、認知症予防が国民の大きな関心事であるのは確かだ。
「社会のお荷物」「本人の努力不足」の不安
ただし、政府が予防を重視する背景の一つには、膨張が止まらない社会保障費の存在がある。
大綱策定の契機は、昨年10月の経済財政諮問会議の席上、民間委員が「医療・介護費を含む認知症の社会的コスト」として、2030年には21兆円を超すとの試算を示したことだ。
また、認知症予防は体操や認知トレーニングからゲーム、書籍に至るまでビジネスが活発化している。有望な商品・サービスに国のお墨付きを与えることで、認知症予防関連産業を有力な産業に育てようという成長戦略の側面もある。
もちろん、予防への取り組み自体は進めるべきものだ。ただ、強調され過ぎることを不安視する声は決して小さくない。
東京都内の認知症専門医は「予防にばかり関心が向き、『認知症患者は家族と社会のお荷物』という風潮になってしまうのでは」と指摘する。
また、「認知症の人と家族の会」の鈴木森夫・代表理事は「『認知症になるのは本人の努力が足りないからだ』と捉えられかねない」と心配している。いずれも「認知症になっても安心して暮らせる地域づくり」という共生の理念に逆行する、との懸念が根底にある。
認知症予防には、①発症を遅らせたり、リスクを低減させたりする1次予防②早期発見への対応をする2次予防③重症化を防ぎ、機能を維持する3次予防——がある。この中でも2次、3次予防は研究が進んでいるが、1次予防に関してはまだ手探りの面もある。認知症、とりわけ認知症の6割前後を占めるアルツハイマー病は発症メカニズムが解明されておらず、確実な予防策を編み出しようがないためだ。
国内で認可されている4種類の治療薬も進行を遅らせる効果しかない。運動をしたり、食事に気を付けたりすることが1次予防に役立つとされてはいるものの、十分な根拠は示されていない。
大綱も「認知症予防に関するエビデンス(根拠)はいまだ不十分」と認め、平行してデータ蓄積を進めることで予防法を確立するとしている。
社会保障費を抑制するという思惑もどこまで進むか未知数だ。安倍政権は医療・介護全体でも「予防」を打ち出し、「健康寿命の延伸」とともに社会保障費の抑制を目指しているが、多くの医療経済学者は「寿命が延びる分医療費も増え、抑制には繋がらない」と論破している。厚労省老健局OBは「認知症の発症を遅らせることができたとしても、加齢による認知機能低下も併せていずれ発症する。予防による医療・介護費の抑制効果はなんとも言えない」と懐疑的だ。
「認知症になってもどう生きるか」
政府の大綱素案の公表を受け、認知症の人や家族らの団体で作る「認知症関係当事者・支援者連絡会議」は5月22日、認知症施策の提言を厚生労働省に出した。認知症の人がやりたいこと、できることへの支援や、医療・介護現場での身体拘束の禁止徹底、家族の介護離職を防ぐための環境整備——など「認知症の人の尊厳が守られる社会の実現」を目指すものが中心となっている。
当事者として情報発信に努めている若年性アルツハイマー病の会社員、丹野智文さん(45歳)は前日の21日に埼玉県三郷市で講演した。その中で認知症予防に傾く政府の姿勢について、「予防に頑張っていたのに認知症になった人が落ち込んでしまう。『予防』より『備え』が大切。『なりたくない』ではなく、『認知症になってもどう生きていくか』に力を入れるべきだ」と訴えた。
批判に慌てた政府は、新大綱へ「予防とは『認知症になるのを遅らせる』『認知症になっても進行を緩やかにする』という意味」とわざわざ注記を加えた。
6月3日の記者会見で根本匠・厚労相は「批判を真摯に受け止め、数値目標ではなく、予防の結果としてそうなることを目指す表記に修正する」と強調。「認知症の発症を遅らせ、認知症になっても希望をもって日常生活を過ごせる社会を目指したい」などと釈明に追われた。
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