個人情報の問題があるので、具体的な部分は省いてあるケースを紹介したい。
その人は60代の男性。ここではAさんとしておくが、彼はある慢性の症状を抱え、内科や整形外科などいろいろな科を受診していた。そして「メンタルじゃないですか。心療内科に行ってください」と言われ、私の診察室を紹介されて来たのだった。
診断がつかない慢性の身体症状で、最終的に「メンタルでは」と言われるというのは、とてもよくある話だ。診療情報提供書にも「これまでこういう検査をしましたが、いずれも正常で、おそらく何らかの心因による症状と思われ……」と記載されている。
それを見るとこちらもつい、最初から心因性の身体症状、つまり身体表現性障害ではないかという先入観で診察を進めることになりがちだ。
私も「Aさんはおそらく身体表現性障害」と思いながら問診を行ったが、途中から「あれ?」と疑問を抱くようになっていった。症状は明らかに増悪と軽快を繰り返しており、それとストレス状況には関係がなさそうだ。また、ちょっと丁寧に神経学的検査を行うと、軽度ではあるが所見が認められた。
「今さらですが、メンタルの問題じゃないかもしれませんよ」
私はAさんにそう告げ、いくつかの診断名を挙げて、「もう一度、血液検査などをさせていただけますか」と頼んだ。それまで「どうせ心の問題、気の持ちよう」と言われるのでは、と曇った表情をしていたAさんが、「ぜひお願いします」としっかりした声で言った。
医療者顔負けの医療知識を持つ患者達
それからいくつか検査を重ね、結局、Aさんはちょっと特殊な膠原病であることが分かった。「メンタルじゃなさそうです。この病気と思われるので、専門の病院を紹介しますよ」と言うと、Aさんからこんな答えが返ってきた。
「やっぱり。最初からそうじゃないかと思っていたんですよ」
「えっ?」と驚いて尋ねると、症状が出現してから、元々調べものが好きなAさんは、ネットで検索したり図書館で医学書を調べたりして、「この病気によく似ている」と思うようになった、と言う。
その病気の人が書いているブログもいくつか読んで、ますますその確信を深めるようになった。
ところが、医療機関で「〇〇病ではないですか」と病名を挙げると、医者は決まって不機嫌な顔になって、「そんなわけないですよ」「どうしてあなたに分かるんですか」と言う。
そして、結局は「この科の病気じゃないようですので、別の科へ」と検査や治療を放棄してしまうのだそうだ。
私は、患者さんに専門的な疾患名を挙げられただけで不機嫌になる医者達のプライドや人格の未成熟さにあきれながら、「それにしても、よくその病名にたどり着きましたね。医学の専門家であるはずの私達でも、なかなかお目にかかることがない病気なのに」と素直に伝えた。
すると、Aさんは「まあ自分のことですから、自分が一番よく分かるし、真剣に調べるということではないでしょうか」と言った。
ネットが普及した今の時代、医療従事者でなくても簡単に医学や医療の情報にアクセスできるようになり、中にはかなりの知識や情報を手に入れている人もいる。
もちろん、医療の実際は臨床の現場にいなければ分からないはずだが、今は動画やリアルな医療ドラマもあり、知識は医者や看護師顔負けという人も少なくないのだ。
AI診断アプリを誰もが気軽に使う時代へ
そして今後、AI(人工知能)が普及した場合、自分の症状や経過を入力すれば、診断名や治療法が出てくる、というアプリなども開発され、誰もが気軽に使うようになるだろう。
「めまい」と入れれば、「ぐるぐる回るか、ゆらゆら揺れるか」といった質問が出てきて、それに答えていくと、「あなたの病気は良性発作性頭位回転性めまい」と診断が表示される。
そういう人が外来に現れて、「もう診断は分かっているので、この薬を出してください」と処方を求めた時にどうするか。
私などはつい、「アプリじゃ正確な診断はつかないですよ。ちゃんと検査しましょう」と一からいろいろな検査をしてしまいそうだが、それで同じ診断にたどり着いたら、患者さんの時間や費用をムダに使ったことにはならないだろうか。
また、患者さん達が最新の知識にアクセスするのも容易になった。私もある疾患の治療に際して処方を行ったら、患者さんから「最新の薬が認可されたはずです。それを使ってもらえませんか」と言われて驚いたことがあった。私は恥ずかしながら、その情報を知らなかったのだ。
その患者さんは、必要に応じて医学の専門誌の論文もネットで手に入れて読んでいる、と言っていた。
時には、ある問題に関しては専門家以上の知識や情報を持っている、今の患者さん達。それに対して私達医療従事者も、「素人には限界がある」「専門家に任せない」とは言えなくなってきた。
とはいえ、もちろん「じゃ、自分で調べて自分で診断をつけて治療を決めてください」とは言えない。患者さんが探してきた情報が正確かどうかも、もちろん分からない。
インフォームドコンセントは、これまでは医療従事者が専門的な話をかみ砕いて知識のない患者さんに説明し、理解して納得してもらい、共に治療を進める、というコンセプトに基づいて行われた。
しかし今、それが本質的に変わろうとしている。「知識がない」とはいえない。あるいは、「専門家以上に知識のある」患者さんと、私達はどう対話をし、どうやって治療を進めていけばいいのか。
誰もが膨大な情報にアクセスできる今の時代に合った形のインフォームドコンセントの在り方を、早急に考えていかなければならないだろう。
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