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慶大が精子提供中止、精子をネットで買う時代到来?

慶大が精子提供中止、精子をネットで買う時代到来?
〝闇取引〟を助長し、感染症リスクも懸念される

慶應義塾大学病院(東京都)が10月下旬、第三者が提供した精子による人工授精(AID)の新規患者の受け入れを中止した。慶大病院は日本のAIDの草分けで、国内で行われているAIDの約半数を手掛けている。しかし、精子ドナーが見つからない現状を踏まえ、ついに中止に踏み切ったのだ。晩婚化により不妊治療を受ける人が増える中、「ネットで個人的に精子ドナーを↘募る時代が来るのではないか」と安全性を危惧する声も上がっている。

 夫が無精子症などで妊娠できない夫婦を対象に、匿名の第三者の精子を子宮内に注入して人工授精させるAID。世界では1884年に米国で初めて実施され、日本では慶大病院で1948(昭和23)年に初めて行われた。採取に手間がかかり、子宮に戻す必要がある卵子に比べ、精子の採取や人工授精は容易なことから、不妊治療の中では早期から行われてきた方法だ。

 日本産科婦人科学会(日産婦)によると、AIDは全国の医療施設で年3000件ほど行われ、100件ほどが出産に至るとされる。日産婦には現在、AID実施医療機関として12施設が登録されており、2016年には3814件行われ、99人が誕生した。このうち、慶大病院で行われたのは約半数の1952件だ。AIDによる出産の確率は2%ほどで、体外受精など他の不妊治療に比べて低い。感染症予防のため、一度凍結させた精子を解凍して子宮内に注入させるためだ。

ドナーの個人情報開示でなり手減少

 日本初のAIDを行って以来、国内のAIDをリードしてきたのは慶大病院である。慶大病院は匿名の精子ドナーを確保し、凍結させて長年、治療に使ってきた。しかし昨年、大きな見直しが行われた。

 「AIDで生まれた子供に、ドナーの個人情報が開示される可能性があるという内容が同意書に盛り込まれたのです。これにより、匿名を条件に協力してきたドナーのなり手がいなくなり、慶大病院で凍結されていた精子もほぼなくなり、院内の会議で新規の患者は受け入れない方針が決まったのです」(全国紙記者)。

 この記者によると、同意書が見直されたのは、時代のすう勢だという。「欧米を中心に、精子、卵子提供で生まれた子供の『出自を知る権利』が認められ始めた。この流れは止められません」(同)。

 出自を知る権利とは、自分の遺伝上の親の情報を知る権利のこと。北欧や英国などでは、子供自身が望めば遺伝上の親の情報が開示される権利が法律で認められている。米国や豪州などでも、AIDで生まれた子供達の交流が進み、同じ精子提供者を持つ〝遺伝上の異母兄弟〟が見つかる例も報告されている。

 ところが日本では、出自を知る権利を始めAIDなどの生殖補助医療で生まれた子供の親子関係を定めた法律がない。仮に精子ドナーとなった男性が将来、AIDで生まれた子供との親子関係が認められることがあれば、扶養義務を負ったり死亡した後に相続でトラブルとなったりする可能性がある。自分の情報が子供に開示されるかもしれないことを盛り込んだ慶大病院の新しい同意書は、こうした〝リスク〟を明るみにした。そのため、慶大病院のドナーはいなくなったというわけだ。

 ただ、社会のAIDへの理解が進んでいないわけではない。晩婚化により生殖補助医療のニーズは高く、生殖補助医療によって生まれた子供の数も増え続けている。それに伴い、人々の意識も変わった。東大の調査によると、第三者からの精子、卵子提供を容認する人は4割近くおり、反対する人を上回った。

 同時に、「出自を知る権利」への理解も深まっている。同じ東大調査では、出自を知る権利を認めるべきだとする回答が半数近い46%に上り、「認めるべきではない」と答えた人(20%)の2倍以上だった。ただ、不妊治療の経験者では認めるべきだという意見が少ない傾向があったという。

遺伝上の親子関係に関する法整備を

 前出の全国紙記者は「出自を知る権利に対する理解が深まってきたのは、AIDによって生まれた当事者が声を上げ始めたことも大きいでしょう。国内でAIDが開始された初期に生まれた子供達はもう50代。人数も多くなり、多くの当事者の思いが伝わるようになった」と分析する。もっとも、AIDによって生まれたことを隠す親は多く、父親と遺伝上の繋がりがないことを知らないままの人も相当数いると言われている。

 不妊治療を行う関西地方の産科医は「慶大病院が示した同意書によりドナーを辞めた人は、遺伝上の繋がりがある子供が将来、自分に会いに来るかもしれないことが不安なのか、相続や金銭的負担への不安なのか。後者であれば、法律が整備されれば解消する」と語る。出自を知る権利を認めることは、遺伝上の親との親子関係を法律でどう定めるかとセットで進める必要がある。

 一方、前者であれば話は異なる。海外では精子提供は不妊に悩む夫婦への「ボランティア」と前向きに考えるドナーが多いというが、ボランティア精神が希薄な日本では、その考え方ではドナーの獲得は難しい。慶大病院がこれまで主に行ってきたAIDは、匿名の第三者による「精子バンク」からの精子提供だ。しかし、親族の男性からの精子提供によって行われるAIDも多い。こうした知人や親族からの提供によるAIDは今後も実施されるだろうが、「提供者」のあてがない夫婦にはAIDは行えないことになる。

 もちろん、AIDを必要とする不妊の最大の理由である無精子症に対する研究は進んでいる。無精子症の患者の3割近くは、精巣に精子の前段階の細胞「円形精子細胞」を持っているとされるが、この細胞を人工授精させる不妊治療の成功率を上げる研究も行われている。ただ、無精子症の半数以上では円形精子細胞が見つからないとされており、円形精子細胞を使った治療には限界もある。

 第三者からの精子提供が難しく、精子の前段階の細胞もない患者はどうすれば良いのか。生殖医療に詳しいライターは「数年前のテレビ番組で、自分で〝採取〟した精子を不妊に悩む女性に渡して現金を受け取る男性が取材されていたことがあった。非衛生的だし、感染症などのリスクもある。慶大病院の決定が、こうした精子の〝闇取引〟を助長しないか心配です」と危惧する。

 事実、不妊に悩む夫婦のために、インターネットを通じて精子を売買する〝小遣い稼ぎ〟の方法を紹介したり、自ら高学歴などと謳って精子提供を呼び掛けたりするサイトもある。いずれも受け取った女性が自分で体内に注入する方法を採るわけで、医療機関が介在しないため犯罪に巻き込まれる恐れもある。

 法務省は10月、生殖補助医療を巡る親子関係の法整備についてようやく検討を始めた。新たな一人の命に関わることが、野放しにされたままでいいはずがない。

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