学術的には決着が付いても接種に腰引ける現状
「今や日本は、ワクチンの効果を示す論文を出すのに最適な国と言われています」と自嘲気味に語るのは日本産科婦人科学会(日産婦)に所属する産婦人科医だ。
厚生労働省がHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の積極的勧奨を中止してから、5年が経った。この間、日本にならって定期接種の勧奨を取りやめた国はなく、激しいけいれんや記憶障害など「これまでワクチンの副反応として知られていなかった症状」とワクチンとの因果関係は証明されていない。ワクチンが脳に被害を起こしていることを示唆した研究論文は撤回され、逆にワクチンの予防効果を示す論文が次々に出るようになった。日産婦関係者が「学術的には決着が付いた」と語る中、政府は止まった時計の針を動かすことができるだろうか。
5月22日夕方、東京・霞が関の厚生労働省記者クラブで、ある研究グループが会見を開いた。「HPVワクチン接種後の様々な症状を『HANS(HPV関連神経免疫異常症候群)』と名付けて研究している『一般財団法人難病治療研究振興財団』理事長の西岡久寿樹氏らのグループです。2016年11月に英科学誌『サイエンティフィック・リポーツ(SR)』に掲載された彼らの論文が今年5月に撤回されたとの報道を受け、説明したいと会見を開いたのです」(全国紙記者)。
接種反対団体の会見は悪あがき気味
記者によると、西岡氏らは論文の撤回に至る経緯と、論文内容について説明。同じくHPVワクチンの健康被害に関するイスラエルの研究グループの論文が学術誌に撤回されてしまった例を紹介し、状況が似ていると主張したという。「論文投稿の際に問題にならなかった実験手法を今になって問題視されたと訴えていました。何らかの背景があるのではないかと」(同)。
会見はその後、「HANS」の病態がいかなるものか、どうやって治療するかを説明する場となったが、いずれも症例の紹介にとどまり、新たな知見が示されることはないまま終わったという。
論文が撤回されたことに何らかの意図があったかどうかは不明だが、執筆者が同意していないのに取り消された論文はどんなものだったのか。
この問題に詳しいジャーナリストによると、論文はHPVワクチンが脳に与える影響をマウス実験で示したもの。大量のHPVワクチンと百日咳毒素を同時にマウスに投与したところ、マウスの脳に損傷が出たと結論づけた。これに対してSRは、百日咳毒素との同時投与ではHPVワクチンが単独で神経学的な損傷を与えることを証明するのに適切な手法でないと指摘し、撤回を決めた。
西岡氏らのグループは会見で、実験で投与されたのは製薬会社の毒性試験の3割減の量であると主張。同時投与についても、「HPVワクチン接種後にHANSになるのは10
00〜5000人に1人くらいと少ない頻度なので、マウスで再現するにはある程度の条件をそろえないといけなかった」と説明した。その条件がワクチンの量を多くする▽血液の関門を緩める▽マウスの感受性を高めることの3点で、百日咳毒素の投与は血液の関門を緩めるために必要だったとした。
グループは、薬物が脳に入っていかないと何が起きるか調べられないと手法が正当であると主張したが、会見者の1人である横浜市立大学の黒岩義之・名誉教授は「通常のやり方ではHANSの動物モデルを作るのは難しい。動物実験の限界だ」と率直に認める場面もあったという。
会見の最後ではようやく質疑応答の時間が設けられ、記者から実験内容を巡り厳しい質問も飛んだようだ。ところが、「あくまで論文の撤回理由や実験手法について質問する記者達に対し、研究者が『あの少女達をどうやって説明するんですか』『子供達からいろんなことを学んで治療に結び付けていかなければいけない』などと答えをはぐらかす場面が目立った」(担当記者)という。
担当記者によると、同省の記者会見場を借りての会見は通常は1時間以内と決まっているが、西岡氏らは患者らを伴って会見場に姿を見せ、1時間以上にわたり説明を行った。その後の質疑では厳しい質問が続いたためか、一方的に打ち切ると「(会見場にいる)患者にも話をしてもらおう」と提案したという。
西岡氏らの「HPVワクチンの薬害」についての論文は撤回されたが、HPVワクチンの効果についての論文は世界各地から上がってきている。5月には、科学的根拠に基づく医療の普及を目指す研究グループ「コクラン」(本部・英国)が「ワクチン接種により、がんになる手前の『前がん病変』になる確率が最大で1万人当たり164人から2人と80分の1以下に減った」とする報告を行った。日本で報告された副反応が疑われる症例の発生頻度も「ワクチンで高まってはいない」と評価。HPVワクチンの接種で、前がん病変だけでなくがんそのものが減ったとする他国の報告もある。
「接種していない群研究が容易」の皮肉
もちろん日本でも、ワクチンの有効性を調べる研究は行われている。ワクチンによって前がん病変やがんが減ったことを証明するには、ワクチンを打った群と打っていない群を対照する必要がある。多くの国でHPVワクチンが定期接種となる中、「日本は接種勧奨が取りやめとなったこの5年間、多くの女性がワクチンを接種していない。そのため、先進国では難しくなった『接種していない群』の研究が容易にできると言われている」(関西地方の産婦人科医)という。
さらに、日本は世界と異なる固有の事情もある。「ワクチンを打つかどうかを決める際には、ワクチンを奨める国や行政機関、政治家への信頼感が必要だが、日本ではこうした人達への信頼度が低い」(製薬企業関係者)。HPVワクチンの有効性を積極的に発信する政治家としては三原じゅん子氏が有名だが、「地元の患者からの反発を恐れてか、この問題に関わろうとしない政治家が多い」(全国紙記者)と政治家は必ずしも一枚岩ではない。
企業の危機管理に詳しい専門家は「製品の安全性に疑義が生じた場合は速やかに調査し、問題がなかった場合でも結果を早期に示すことが信頼回復に繋がる」と話す。ところが、日本は積極的勧奨を中止してから5年もの月日が経ってしまった。
HPVワクチンはウイルス感染の先にあるがんを予防する画期的なワクチンだが、がんを発症するには長い期間がかかるため、すぐに予防効果を実感できない。厚労省関係者は「科学的に有効性が認められていると説明しても、ワクチンを打とうという気持ちにはなかなかならないのではないか」と危惧する。この間にも、ワクチンで守られなかった女性達は増え続けているのだが。
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