「安心・安全」を謳う有料老人ホームで起きた
介護職員による殺人事件
また老人ホームでの殺人事件である。
2014年に神奈川県川崎市の有料老人ホームで、男性職員が入所者3人を6階のベランダから突き落とした殺人事件が起こり、衝撃を与えたが、今度は介護最大手「ニチイ学館」の100%子会社「ニチイケアパレス」が運営する介護付き有料老人ホーム「ニチイホーム鷺ノ宮」(東京・中野区)で、元男性職員が83歳の入所者を殺害したとして17年11月に殺人容疑で逮捕された。
ニチイホームは「施設介護30年以上の実績と経験に基づいた『安心・安全』のサービスを具現化してきた」と謳う、介護スタッフ24時間常駐の老人ホームである。一体どうなっているのだろう。
事件が起こったのは17年8月22日。早朝の4時45分に「入居者の藤沢皖さんが浴槽で溺れている」という119番通報が入った。
救急隊員に続いて駆け付けた警察が事情を聴くと、介護士の皆川久容疑者(25歳、17年9月退職)は「4時ごろ入浴させている最中にナースコールが鳴ったので20分ほどその場を離れて戻ってみると、浴槽で溺れていた」という説明だった。
だが、警視庁捜査一課が調べると、首をかしげることばかりだったという。
「同施設は15年に開設された、定員76人の介護付き有料老人ホーム。事件当夜の入居者は約50人で、介護職員は経験約3年半の皆川容疑者と男性職員の計2人が当直していた。施設側の説明では皆川容疑者は14年4月に新卒で入社、16年6月から同施設に介護士として働き、勤務態度は真面目だったという。だが、当夜、もう一人の職員は別の階にいて、藤沢さんを介護していたのは皆川容疑者だけだった。藤沢さんはパーキンソン病を患っていたとはいえ、頭から浴槽につかっていた不自然な状態だったこと、さらにナースコールが鳴らされた形跡がないこと、背骨や肋骨が十数本折れていただけでなく、首を絞められた痕跡があることなど、どう見ても不審な点が多過ぎた」(捜査関係者)
粗相をして布団を汚したことが動機
加えて、当夜、入浴の予定がなかった上、予定外の入浴をさせる時には、職員全員で検討して決めることになっていたのに、皆川容疑者だけの判断で入浴させていたことも分かった。
こうした不自然なことを追及すると、皆川容疑者が殺害を自供したという。自供によれば、「藤沢さんが何度も粗相して布団を汚したので、頭にきて『いい加減にしろ』と思って首を絞めた上、グッタリした藤沢さんを浴室に運び、空の浴槽に投げ落とし湯を張った」という。
殺害された藤沢さんは国際基督教大学高校教頭や外務省人事課子女教育相談室室長を務め、英語の用語辞典を執筆していたことから、マスコミの報道も多かった。
それにしても、ニチイケアパレスはホームページやパンフレットで「介護スタッフが24時間の見守り体制を取り、自由で楽しい、安心・安全な暮らしを提供する」と謳う介護付き有料老人ホームだけに、キャッチフレーズと現実との落差が大き過ぎる。
ニチイケアパレスは17年12月に第三者による調査委員会を設置、2月中にも事件の発生原因の究明と再発防止策を発表するとしている。
ニチイケアパレスは、ニチイホームを首都圏中心に70施設以上を展開。この他、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)「アイリスガーデン」6施設を運営している。
親会社のニチイ学館は、医療事務の受託などの医療関連事業、訪問介護などの在宅系介護サービスから有料老人ホームなどの居住系介護サービス、英会話教室の「COCO塾」や「Gaba」で知られる教育事業、さらに家事代行サービスや中国の高齢化社会を見据えた中国での介護事業まで幅広く展開している。
しかし、同社を支えているのは介護事業であり、中核の有料老人ホームを運営するニチイケアパレスである。何しろ、ニチイグループは、高齢者住宅のホーム数・居室数ともSOMPOホールディングスグループ、ベネッセスタイルケアに次ぐ第3位だが、介護事業の売り上げでは約1438億円(2017年3月期、連結)で、ナンバーワン。日本最大の介護事業者なのである。
無論、介護事業の売り上げは入居金や毎月の入居料金の多寡、さらに老人ホームだけでなく、デイサービス、在宅訪問介護、訪問看護など広く介護を行っているかどうかでも変わる。
ニチイケアパレスは施設だけでなく、在宅訪問介護、在宅入浴サービス、デイサービスなど、介護に関わるサービスなら全て提供していることもある。介護事業者としてやれるサービス全てを提供し、まさに立派なのである。
しかも、施設では「プラチナ介護職」と名付けた複数の介護資格を持つベテランスタッフが介護するということも謳っている。
50人の入居者に対し夜間職員は2人
だが、現実には事件が起こったニチイホーム鷺ノ宮では50人の入居者に対し、夜間勤務中の職員は2人で、1人は別の階で介護に当たっていて、皆川容疑者一人だけで、犯行に及んでいた。
宣伝と実態が異なるのはしばしばあることだが、抵抗出来ない老人に対する暴行は、介護サービスでは許されない。ニチイケアパレスでは、なぜ事件が起こったのか。
ニチイ学館は先述したように医療事務や英会話教室、さらに家事代行サービスなど、幅広く事業をしているが、メーンの事業は介護サービスだ。世間では、ニチイ学館といえば介護であり、介護業界のトップリーダー的存在と言えばニチイ学館である。
同社は介護サービスで躓けば赤字に転落し、施設数が増えたり、介護報酬が上がったりすれば、収益が上がるという介護に偏り過ぎた経営体質を持っている。
この体質は財務を見れば一目瞭然だ。同社の連結売り上げは2766億円(17年3月期)だが、その5割を超える約1474億円が介護・ヘルスケア事業の売り上げである。同事業の営業利益は約117億円で、英会話教室や保育事業、中国事業が出す赤字を穴埋めして、全体で42億円の営業利益を確保している。
同社の介護事業に偏った体質の弱点が明らかになったのが15年度だ。介護業界は慢性的な人材不足に悩まされている。賃金が低いことも人材不足に拍車を掛けているが、こうした状況下で3年ごとに改定される介護報酬が、社会保障費抑制策として15年度に引き下げられた。
具体的には、改定は人材不足に対応しようと介護士の給与を1・2万円引き上げ、代わりに訪問介護、施設サービスに対する介護報酬を大幅に引き下げ、全体の介護報酬改定率はマイナス2・27%に及んだ。
この15年度の介護報酬引き下げで介護施設の閉鎖が続出したが、訪問介護も多いニチイ学館は業績にも響いた。要支援の切り捨てや介護報酬引き下げでデイサービスや家事サービスの利用者が激減し売り上げが減り、施設サービスも利益率が悪化し、利益減少を招いた。
実際、15年度(16年3月期)のニチイ学館の連結決算は160億円の大赤字となった。売上高は2735億円と前回予想より20億円減った。
ところが、18年3月期は大幅な改善が見込まれている。17年4月から9月までの中間決算で前期の4・6倍に当たる37億円の営業利益に達し、通期では営業利益が倍増しそうな勢いなのだ。この好転は介護・ヘルスケア分野の好成績によるもので、おかげで、ニチイ学館の株価は殺人事件の最中にもかかわらず、急騰している。
コストコントロールのツケが現場へ
ある介護担当のアナリストが説明する。
「ニチイ学館の株価は17年11月に発表された中間決算での営業利益が良かったことから急騰しています。16年末比で見ると、同業のベネッセホールディングスの株価が3割の値上がりなのに対し、ニチイ学館の株価は7割もの値上がりです。理由は英会話教室の赤字が縮小し、赤字脱却が見えてきたことがありますが、徹底したコストコントロールの結果、主力の介護事業の営業利益が格段に良くなったことです。殺人事件の影響で入居者が減少しなければ、株高は続くでしょう」
つまり、介護事業でコストを引き下げた結果、利益が大幅に増えたということなのである。
ニチイケアパレスのスタッフの給料は、決して高いわけではない。むしろ、普通か、それ以下だという。
同社では、基本給はむしろ低く抑え、教育部門が行う資格教育や講座で資格を複数取得し、「プラチナ介護職」になると、資格手当が付き、給与が上がる仕組みになっている。「資格手当や夜勤を加えて一般並みの給料。ボーナスは貰ってみると、基本給が低いため、誇れるほど多いわけではない」(元介護職員)という。
「プラチナ介護職のスタッフがサポートします」と謳うのは、テイの良い看板でしかない。
介護は善意に頼るサービスで、これが終点ということがない。元々、収益を求めるものではない。営利を追求する株式会社で介護事業を行うのなら、介護以外に収益の柱があり、利益を社会還元するような気持ちで行う必要があるだろう。
だが、ニチイ学館は逆に介護が収益の柱である。利益を上げるためには介護でコストカット、サービスカットに注力しなければならない。ニチイホーム鷺ノ宮で起こった介護職員による殺人事件には、背景にコストコントロールのシワ寄せという見方もある。
18年4月の介護報酬改定はプラス改定となった。その効果は19年度の業績に表れるだろうが、ニチイ学館はコストコントロールが、介護サービスの質低下による評判を落としたり、今回のような殺人事件も起こり得る、ということを肝に銘じるべきである。
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