厚生労働省内で、厚生官僚に比べると労働官僚の存在感が薄い。事務次官は3年連続で逃し、2017年7月に新たに創設された事務次官級の「医務技監」は、旧厚生省系の医系技官ポスト。さらに、労働官僚の悲願とも言える残業時間の上限規制などを盛り込んだ働き方改革関連法案は政権内の優先順位が下がって、成立は18年夏以降に持ち越されたからだ。
そんな中、将来の事務次官候補として労働官僚から注目されるのが、労働基準局の村山誠総務課長と雇用環境・均等局の岸本武史総務課長の1990年入省コンビだ。
一時、世間の注目を浴びた働き方改革関連法案は、このコンビなくしてはまとまらなかった。法案の柱である残業時間規制は「労働基準局のプロ・村山」、同一労働同一賃金(同一労賃)は「職業安定局のプロ・岸本」が担ったからだ。
まずは村山氏の経歴だが、開成中・高校、東京大学文学部を卒業したエリート。内閣官房に設置された国家公務員制度改革推進本部に労働基本権担当の参事官として出向していたこともあり、12年9月から16年6月まで労働基準法改正を取り仕切る花形ポストの労働条件政策課長を務めた。労働現場にも詳しいことから、労働行政に批判的な左派系メディアのベテラン記者も「村山氏は信頼出来る」と評価する。物腰柔らかな人柄で、「芸能オタク」(厚労省幹部)の一面もある。
労働条件政策課長就任後は、まれにみる激動期だった。就任当初、一部専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」導入のため労基法改正を官邸から指示された。「残業代ゼロ」だと猛反発する連合を抑えるため、一般労働者の3倍を上回る厳しい年収要件を付け、譲歩を引き出して法案をまとめた。ところが、16年頃から政権から働き方改革推進のため、残業時間に上限規制を設けるよう異なる指示が下ると、過労死ラインを参考に労使間を調整して批判を抑えた。
一方の岸本氏は、筑波大附属駒場高校、東京大学法学部を卒業した経歴は村山氏と似るが、職業安定局畑が比較的長い点は異なる。直前は、同局内の派遣・有期労働対策部企画課長だったが、これは「当初、官邸が同一労賃を推進するとは想定していなかったため前任を交代させ、急遽、岸本氏を異動させた」(省幹部)という逸話が残る。同一労賃は概念も曖昧で、日本固有の年功序列ともバランスを取るのが難しい難題だが、非正規社員の処遇改善に絞って経済界と交渉し、通勤手当など各種手当を正社員と同一の扱いにすることなどを飲ませた。
岸本氏は普段は物静かだが、「スイッチが入ると気性が荒くなる。コピー機を蹴っていた姿を何度も見た」(省中堅)との話もあり、村山氏と対照的。同一労賃を巡って、考え方の異なる塩崎恭久前厚労相とたびたび対立し、大臣室から「出入り禁止」を言い渡されたという頑固さもある。
入省後の歩んだ道のりも性格も対照的な2人だが、「2人がいなかったら、働き方改革の法案はまとまらなかった」(省幹部)との評価は一致する。目立った幹部がいない労働官僚だが、将来の事務次官を2人が争うことは想像に難くない。
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