次期診療報酬・介護報酬の同時改定にも影響を及ぼす懸念
安倍晋三首相は衆議院解散に踏み切り、消費税を上げる際に得られる増収分の一部について、教育無償化を柱とする「人づくり革命」に充てる方針を衆院選の争点に掲げる考えを示した。選挙戦の主導権を握るべく、「国の借金返済に回す」という従来の方針を覆した格好だ。
しかし、耳障りのいい政策で有権者の心をつかもうとした首相の解散戦略の行方は、与党が勝利した選挙結果が出た後も不透明なままだ。
「社会保障全体が放漫経営になっていないか、きちんと見直してからでないと、消費を冷え込ませるだけではないか。増税については景気条項(を付ける)というような形で進めるのが妥当だ」
9月28日。新党発足を受け、日本記者クラブでの記者会見に臨んだ小池百合子代表は、使途を変えることを条件に、増税容認へ転じた安倍首相に切り込んだ。
税収増分の充当先の見直しについて国民の信を問おうとした首相の機先を制し、消費増税の凍結を主張、増税の是非そのものを争点に仕立てる、したたかな戦術に出た。
首相側近は「ポピュリズムの極みだ」と不快感を示すものの、与党にさえ諮らないまま唐突に税収の使途変更を持ち出し、それを後付けで解散の大義とした首相の側も五十歩百歩だ。
この側近は「小池さんが仕掛けどころをよく分かっている戦略家であることは確か」と語る。
それでも希望の党の当初の勢いも失速気味。党発足当初、小池氏は側近の若狭勝・前衆院議員らに作業を委ねているかのようだった。しかし、広がりに欠け、「森友・加計学園疑惑隠し」の解散は、首相の思惑通り与党有利に運び始める。
すると一転、小池氏は自らがトップに立って結党をリードし、25日の首相の衆院解散表明と同じ日に、党首への就任会見をぶつけてきたのだった。
さらに、27日には民進党が事実上解体し、希望の党に合流する構想が明るみになる。
与党の勝利が囁かれていた選挙戦の様相は、「安倍信任選挙」から一気に政権選択選挙に転じた。公明党幹部は一時「希望の党は、民進党ではなし得なかった政治不信の受け皿になりつつある」とうなったほどだった。
社会保障財源充当分が教育無償化へ
突然の衆院解散に対する首相の狙いが、「森友・加計疑惑隠し」にあるというのは政界の共通認識だ。それでも、首相はその本音を伏せ、解散の理由について、消費税増税分の使い途の変更の他、緊迫する北朝鮮情勢への対応などを国民に問うと説明している。
経済成長を重視する上げ潮派の首相にとり、増税は好ましくない。実際、首相は2度に渡って消費増税を延期してきた。
だが、今回の衆院選では一転、増税を認めた形となっている。増税を受け入れる代わりに、税率を8%から10%に引き上げることで得られる約5兆円のうち、約2兆円を幼児教育や高等教育の無償化に振り向ける策に打って出た。
約1・2兆円を要する幼児教育や保育の無償化、一部高等教育の無償化に加え、介護職員の賃金改善も実現させるとしている。
本来なら、5兆円の税収増のうち4兆円は、社会保障財源の不足を借金で補っていた分の穴埋めに回す計画だった。借金返済に充てるはずの半分を教育無償化などに回す以上、財政再建が遠のくことは避けられない。
一方、選挙後の財務省の巻き返しも想定され、その場合、今度は残りの1兆円を「社会保障の充実に回す」としていた計画が揺らぐ。
首相の提案は、「世代を問わず能力に応じて負担することで、社会保障制度の安定化・充実を図る」という、2012年に与野党が合意して成し遂げた「社会保障と税の一体改革」の理念を根本から崩すものだった。
こうした事態に自民党厚労族は、虎の子の税収が社会保障から教育に流れることを懸念し、「選挙で掲げるなど論外。社会保障がガタガタになる」(丹羽雄哉・元厚生相)、「消費税は社会保障の充実維持のために使うと国民に約束している。教育費などにというのはけしからん」(橋本岳・厚労部会長)などと騒ぎ立てた。
19年10月の消費増税を待たず、来年度予算の教育無償化費の増額を求める声も強く、厚労族幹部は「そうなると、来年度の診療報酬・介護報酬同時改定予算にも響きかねない」と心配している。
消費増税凍結派も財政は語らず
もっとも自民党議員の多くは、「借金返済より、教育無償化の方がよほど国民にアピール出来る」(中堅議員)と、首相の「奇策」を概ね受け入れた。厚労族の懸念はさておき、「選挙に有利」という自民党議員の思惑がむき出しになりつつある。
税収増分を幼児教育などに充てる策は、民進党の前原誠司代表が代表選で訴えた構想でもある。そこに同じ策を投げ掛けて、争点潰しを図った首相の狙いは、一定程度奏功している。
一方の小池氏。消費増税凍結を示唆しておきながら、どう社会保障を立て直すかには触れていない。財政がさらに悪化する可能性についても、語らない。
安倍首相は9月30日、京都府舞鶴市での講演で、「(民進の希望への合流話では)政策の話が出て来ない。自分の選挙の話ばかりだ」と批判し、「90年代の新党ブームが生み出したのは、政治の混乱と経済の低迷だ」と切り捨てた。
自民党幹部も「小池の政策に中身なんて何もない。安倍が増税に踏み込んだから、逆張りをしてきただけだ」と吐き捨てる。
「私が代表という案なら興味持てる?」
9月24日、小池新党との連携を求めてきた民進党の前原氏に、小池氏は電話でこう持ち掛け、自ら党首に名乗りを上げることで、民進党の解体・希望の党への合流という流れに道筋を付けた。
民進党内には合流への異論も強く、同党は分裂。立憲民主党というリベラル新党が発足した。
希望の党へ移った一派には、財政再建を重視する勢力が少なくなかった。安全保障法制を「違憲」と断じてきた民進党に対し、同党の受け入れを図る希望の党は安保法制を重視している。
しかし、「候補の頭数を揃えないと、過半数は取れない」との政治的思惑の前に、そうした矛盾は飲み込まれた。
「こうなってくると、もう政策なんてどうでもよくなってくる」
希望へ移行した旧民進の前職は、そう言って苦笑いした。
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