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未来の会

第3回 捲土重来

第3回 捲土重来

 2017年夏の甲子園、大阪桐蔭vs.仙台育英、「甲子園には魔物が棲む」「野球はツーアウトから」の名文句がしみじみ理解出来る久しぶりの感動だ。泣くな、大阪桐蔭の背番号3番中川君! ここで挫折してしまうか、これを糧にして、さらに成長するか。今は死語化した「捲土重来を期する」がドンピシャに当てはまる。

 スポーツでは二つの例を思い出すことが出来る(詳細は検索してください)。

 ①黒岩彰(スピードスケート男子500m)、1984年サラエボ冬季五輪で金メダルを期待されるも惨敗、1988年カルガリー冬季五輪で雪辱の銅メダル。

 ②プロ野球、1988年10月19日パ・リーグ最終戦のロッテvs.近鉄、引き分けで近鉄は優勝を逃すも翌年優勝。

 ①②ともに捲土重来を成し遂げた。

 医者になって40年、自分を振り返って人を感動させたことがあっただろうか。沈思黙考点……。思い出すのは、外科医局時代のつらい思い出ばかり。医局1年生の役割である病棟患者の毎朝の点滴、失敗ばかりで患者に怒鳴られたこと。「また先生か! 他の医者に代わってくれ!」──これに発奮して点滴は名人の域に達した。学会発表のアイデアが浮かばず、スライド原稿未完成で予演会に穴を空けてしまい、助教授に大目玉を食らったこと等々。

 一つだけあった。医局1年生秋の当直の夜、少し慣れてきた頃だ。18歳男子高校生がバイク事故で下肢挫滅、膝窩動脈損傷。血行再建は行ったものの汚染が著しく、切断しかないと決定された。本人とその家族へのインフォームドコンセントは当然上司が行うのだが、18歳の少年にとって現実はあまりにも重い。毎日の外科チームの回診も重い空気が漂う。病棟ナースもしかり、ほとんど無言……。

 当時はまだ「熱き心」に満ちていた私は、2人当直の夜、上司と当直婦長に許可を得て明日が手術予定のその少年と話をした。23時から明け方まで、私も人生経験が少ない中、いろいろな話をした。最初は聞いているだけだった彼も、ポツリポツリと話し出した。4時頃だっただろうか、目に涙を浮かべながら、私の目をしっかり見つめて、笑顔で「先生、もういいよ。俺大丈夫だ。今日の手術受けるよ! 寝不足で手術失敗されると困るから、もう寝てくれ」と手を差し出してくれた。力強く握ってくれた感触は今でも覚えている。私は手術室には入らなかったが、腰椎麻酔下で本人が「よろしくお願いします」、最後は「ありがとうございました」とお礼を言っていたと聞いた。

 術後の回診時には笑顔が見られ、リハビリにも前向きだった(当時は今ほどシステマティックなリハビリではなかった)。後日、彼の両親から手紙を頂いた。「篠原先生、本当にありがとうございました。私達も息子にどう接していいか分かりませんでした。ある日、『お母さん心配しなくて大丈夫だよ。これから心を入れ替えて勉強する。出来れば医師になりたい』と言ってくれました」。自分にとって、心が通い合ったと実感した最初の患者だった。彼がこの挫折にくじけず捲土重来を期してくれたことが、何よりも嬉しかった。その後、私も忙しさにかまけて、彼が医師になったのかどうか確認は出来ていないが、患者とその家族に真正面から向き合うことを学んだ「私のとっておきの思い出」である。

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