虚妄の巨城 武田薬品工業の品行
早くも1年が経過した。武田薬品工業が同社湘南研究所で昨年11月に起こした遺伝子組み換え生物を含む排水の漏出事故はまだ終わっていない。
「今度事故があれば許さない」
「事故はもう一度起こると思います。『今度あったら、武田を許さない』って言っている人は少なくない。すでに引っ越した人もいます。アリナミン工場時代からの武田ファンなんて本当にいるんでしょうか」(湘南研の近くに住む主婦)
武田といえば、東証一部上場企業であり、日本の製薬企業のトップランナー。社長である長谷川閑史は経済同友会の代表幹事を務めている。
それほどの企業がなぜ当然の情報開示に応じようとしないのか。一つの区切りを迎えた今、事故後の歩みを振り返ることで探ってみよう。
事故が発生したのは、昨年11月29日と30日。どんな事故だったのか。少々長いが、武田が事故後、12月12日付で出した〈武田薬品工業株式会社湘南研究所の環境保全に関する協定書に関する事故時の届出〉の記述を追うことで確認しておきたい。
〈11月29日/19時ごろ、湘南研究所C4棟2階(C4棟のフロア構成上4階、法定5階)の低温実験室(中略)の滅菌排水流し上部の水道の止水忘れが発生した。当研究所では、C4棟2階の実験室からの滅菌排水がGF階(C4棟のフロア構成上1階、法定1階)の実験滅菌排水原水タンク(以下廃液タンク、内容積1立方㍍)に流入し、その後順次加熱滅菌を行う構造である。/23時、廃液タンクの満杯警報が発報し原因追求のための設備点検を行った。現場にて次工程の滅菌機械・中和処理装置の稼働状態が正常であることを確認した。/11月30日/0時、滅菌が終了した加熱滅菌タンクの水位を下げることで、廃液タンクへの流入余地の確保を試みた。/1時、委託先より廃液タンク通気口より溢水が認められると社員(保全担当)に連絡があり、研究所内の滅菌排水流しの確認および漏水を容器に受けるよう指示された。流しの確認では直接の原因である開放栓は発見できなかった。/2時30分、再確認として滅菌排水流し以外からの流入がないか、調査確認をしたが異常はなかった。/3時30分、再度、滅菌排水流しの確認のため、図面と照合しながらの流しの現地チェックを1時間半にわたって行なった。5時、各実験室における開放栓の再確認を行ったが発見できなかったため、容器回収での対応を開始した。その時点で上記容器回収を行わなかった期間の溢水が滅菌室床にたまっていた/7時、出勤した社員(研究者)が2階の低温実験室の滅菌排水流し上部の水道の開放栓を発見し、止水した。/ほぼ上記と同時刻に出社した社員(保全担当)が委託業者から連絡を受け、GF階の滅菌室床に漏水を認めた。漏水量は回収作業後の液量から約1立方㍍と推定された。/8時、遺伝子組換え実験安全主任者(安全主任者)に上記の異常の一報が届き、現場確認した際に一部の漏水が立ち入り作業着の靴について滅菌室外約50㌢の部分を汚染していることを認めた。直ちに滅菌室内と上記の室外の汚染部分について拡散防止措置および不活化措置を開始した。遺伝子組換え実験安全委員長、遺伝子組換え実験技術委員長、研究業務部環境安全衛生グループマネージャーに報告し、優先して対応する事項を確認した。/10時ごろ、建物管理担当により、階下の免震室へ配管の貫通部を伝って漏水が床面に染み(約1㍍×2㍍)を作っていることが認められ、安全主任者措置に報告された。同箇所はコンクリートの厚さが60㌢あり、排水溝からは距離がある地点である。/免震室における拡散防止措置および不活化措置を開始すると同時に、遺伝子組換え実験安全委員長、遺伝子組換え実験技術委員長、研究業務部環境安全衛生グループマネージャーに報告、応急の拡散防止措置終了後、文部科学省に報告することを確認した。研究業務部長への報告は出張中のためメールでの連絡を行った。/16時ごろ、応急の拡散防止措置にほぼめどが立ち、安全主任者が文部科学省に電話連絡し、翌日12月1日の訪問の連絡を受けた〉
武田は前出の〈届出〉に続き、21日には〈同(第二報)〉と題した文書を出している。双方に共通するのはあたかも滅菌室は1カ所でそこにある流しから免震室にある廃液タンクに向かった排水が漏出したかのような印象操作がなされていることだ。後にこれは虚偽だと明らかになる。
武田は湘南研の操業前、住民に対して「排水は各実験室で不活化する」と説明してきた。だが、実際はそうではない。この点を住民が指摘すると、「配管も含めて実験施設だ」と居直る。企業人としても、科学者としてもおよそ誠実とは言い難い説明ではないだろうか。武田イズム全開だ。
その後、12月1日、文部科学省からの訪問と現場確認の後、事故の認定と指導を受けている。事故の調査に当たった同省研究振興局ライフサイエンス課生命倫理・安全対策室の岩田順一・木村好克両室長補佐(当時)の言い分はこうだった。
武田は「実験者としては最低守らなければならないルール」が守れない。事故は「本来、タンクの中になければいけないものが外に出てしまった」もの。「拡散防止措置が取られなかった」ことで下された「厳重注意」は「製薬企業として重く受け止めざるを得ない状況」。「行政から叱られたということがすでに罰則」。しかも、「会社の規模と研究者のモラルは必ずしも一致しない」。地域住民の「不安は遺伝子組み換え生物を使っていることに対するもの」。「武田の説明だけでは今後何も起こらないとはいえない」のだ。
「武田問題対策連絡会」(代表:小林麻須男)をはじめ、いくつかの住民グループは武田側に質問を投げ掛けた。文書で質問を提出し、文書での回答を求めたが、武田側は全面的に拒否。仕方なく、口頭での回答を聞くために足を運んだ。
数百㍍の管を有毒な排水が通過
地道な活動の結果、住民がつかんだ事実は驚くべきものだった。実験室は1カ所ではなかったのだ。実際にはこの棟の実験室は30カ所に上る。そこから1階のタンクに至るパイプの長さは30㍍にも及ぶと推測される。各実験室の枝管を合算すれば、ゆうに300〜400㍍もの距離に達する。管の中を通っていくのは実験後の排水。しかも、この間、不活化はされていない。次号も事故の検証を続けていく。 (敬称略)
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