電通事件の弁護士も一石投じる過労死事件を公表
医師の働き方を巡る本格的な議論が厚生労働省で始まった。政府は今年3月、「最長で月100時間未満」などと定めた罰則付きの残業上限規制を盛り込んだ働き方改革実行計画を策定。しかし、応召義務がある医師については、適用を5年間猶予し、2年後をめどに規制の在り方について方向性を示すとした。そんな中、「電通事件」で有名な過労死問題に詳しいやり手弁護士が、議論に一石を投じる医師の過労死事件を公表。医師の働き方はこれから、どうなっていくのだろうか。
「井元班の調査では、若手の医師を中心に長時間労働が常態化している。団体の代表としてのポジショントークではない、自由闊達な意見を頂きたい」
8月2日午後、厚労省で行われた第1回「医師の働き方改革に関する検討会」の冒頭、塩崎恭久前大臣はそう力強く挨拶した。冒頭の「井元班」というのは、東京大学医科学研究所の井元清哉教授が主任研究者を務め、昨年12月に行われた「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」のことだ。
「井元班の調査も、検討会の第1回の日程も、塩崎前大臣の強い意向で決まりました。特に検討会の日程は8月3日の内閣改造を前に、『改造前に何とか日程を入れるように』という前大臣の指示で2日に開催しました」と内部事情に詳しい厚労省関係者が明かす。
残業代支払い生じれば病院経営圧迫
会議を傍聴した全国紙記者は「ポジショントークを封印というだけあって、団体代表の構成員は日本医師会常任理事の市川朝洋氏くらい。東大大学院教授の渋谷健司氏など、全般的に塩崎人脈が目立ちました」と語る。国立大学附属病院長会議の常置委員会委員長である山本修一・千葉大医学部附属病院病院長などそれなりの地位の人もいるが、「クリニック理事長などごった煮の印象。それに引き換え労働分野の専門家は、「日本労働組合総連合会(連合)や全日本自治団体労働組合(自治労)など、思い切り『ポジション』でした」(前出の記者)というちぐはぐさだ。
肝心の議論の中身はどうだったのか。「1人一言を言っただけで会は終わったが、基本的には過労死を防ぐために規制すべきだという労働組合側の意見と、規制すると地方医療は崩壊する、医師の働き方に時間規制はなじまない、医療の質を担保すべき、といった医療側の意見が対立した印象だった」と傍聴した記者は振り返る。
こうした議論に、医師の働き方の実態に詳しい構成員からは「所属する医療機関が残業時間を厳しくすれば、早く仕事が終わった医師はアルバイトに精を出すだろう」という意見も。議論を見守った医療政策に詳しい専門家は「医師の長時間労働に〝残業代〟は支払われていない。労働時間を管理すると、多くの医療機関は残業代が支払えず、さらに経営が苦しくなるだろう」と予測する。
もっとも、残業時間の削減は過労死を防止する唯一の手段であり、日本社会全体が残業削減に向かって動いていることは間違いない。検討会では、労働組合出身の構成員から「過労死に詳しい弁護士のヒアリングもしてほしい」との意見も出た。
そして、まさに検討会の1週間後、〝先鋒〟ともいえる事件が明るみになった。品川労働基準監督署(東京)が7月末、2015年7月に自殺した東京都内の総合病院の産婦人科の医師の「過労自殺」を認定していたことが分かったのだ。医師の過労死認定は、昨年1月に亡くなった新潟市民病院の女性研修医に続くものだ。しかも、産婦人科医の事件を担当したのは、電通の新入社員、高橋まつりさんの過労自殺事件の代理人を務めた川人博弁護士だった。
医療関係者によると、今回明らかになった過労死事件の舞台となったのは、国立病院機構東京医療センター(東京・目黒区)だった。全国でも有数の大病院であり、「診療科の中でも救急に次いできつい」とされる産婦人科でも2桁の医師がいたという。つまり、「医療資源としてはかなり恵まれた環境の産婦人科だった」(関西地方の産婦人科医)のだ。それでも過労死は起きた。
全国紙記者によると、男性医師は10年に医師免許を取得し、初期研修を終えた後、13年から同センターで後期研修医をしていた。病院近くの寮に住み、休日にもかかわらず分娩や手術に呼び出されることも多かったようだ。川人弁護士が集めた資料では、医師は亡くなるまでの半年間に5日間しか休日がなかった。部屋の冷蔵庫は空っぽで、室内には書類などが散乱したまま。亡くなる直前には運転中に信号無視をして違反切符を切られるなど、注意力が散漫になっていたことも後で分かった。
労基署の認定では、男性が精神疾患を発症する前の1カ月間の時間外労働は約173時間。医療事故や上司のパワハラ、患者とのトラブルなど、ストレスをさらに高める要因は見当たらず、会見した川人弁護士は「長時間労働に疲弊しきった中での自殺とみている」と語った。
川人弁護士は、8月2日の厚労省検討会で出された井元班の調査結果の資料を用いて、こんな訴えもした。「1週間の労働時間が60時間を超える人の割合は、全職種の中で医師がもっとも高く、41・8%となっており、特に20代、30代の若年医師の労働時間が長時間となっている」。続いて、「政府の働き方改革案によれば、医師は5年間、長時間労働規制の対象外とされているが、医師の過労死を放置、促進するもので、極めて危険で撤回すべきだ」とも訴えた。
五輪・復興特需に建設業でも過労自殺
会見に出た記者が解説する。「過労死のプロである川人弁護士の事務所には数々の依頼が舞い込むのだろうが、会見して公にする事件は効果的なものを選んでいる。川人氏は政府の働き方改革実行計画の残業規制から医師だけでなく建設業が外れていることも問題視。東京五輪を前に建設業が人手不足となる中、7月中旬には、新国立競技場の建設現場で働いていた新入社員が過労の末、自殺し、労基署に労災申請したことも会見して明らかにした」。
なお、厚労省の検討会で示された医師の過労死(自殺未遂含む)は昨年度4件。15年度3件、14年度4件、13年度4件と毎年度数件ずつ起きており、近年になって増えているわけではない。しかし、「社会全体の働き方改革が進む中、医療だけが例外というわけにはいかない」(厚労省関係者)。改革を進めるにあたり「塩崎前大臣は、厚労省が好む各団体の代表者を呼んでのお手盛り検討会で改革を進めるのが嫌で、まず第1回を在任中に開くことにこだわったのだろう」と厚労省幹部はみる。
検討会の翌日に行われた内閣改造で塩崎氏の後任となったのは、一億総活躍担当大臣から横滑りした加藤勝信氏。一億総活躍担当には労働行政も含まれており、財務省出身で手堅い加藤氏は「政府の大きな流れの中で方針を決定していくだろう」(厚労省幹部)とみられている。
塩崎氏が種をまいた検討会は、今後の医師の働き方を左右していくのだろうか。
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