自らの落ち度に対し「他人だってそう」と子供の言い草
日銀総裁の黒田東彦は7月19〜20日の会合で、消費者物価の上昇率「2%」達成を、またもや先送りした。これで、実に6回目だ。
5回目の先送り時に声明した「2018年頃」を繰り上げ、今度は「19年頃」と言い出したが、黒田の総裁任期は18年4月ではないのか。自身の任期終了後のことになるから、どこまで責任を自覚しての発言なのか、疑わしい限りだ。
そもそも黒田は周知のように、2013年3月に就任した直後、「2%」達成は「2年後」だと大風呂敷を広げていた。先送りが6回だろうが7回だろうが、責任意識があるのかないのか不明な黒田のこと、さしたる痛痒など感じてはいまい。
事実、会合後の黒田の記者会見はひどかった。「物価上昇の見通しを6度も先送りすること自体、デフレマインドを強めることにならないか」という質問に対し、「実際の物価安定目標が達成される時期は、欧米各国の中央銀行も、ずっと何回も先送りしている」だと。
さらに「目標の先送りが繰り返され、日銀が信用されなくなるのではないか」という当然の指摘にも、「達成時期が先送りされることは見通しの誤りであるのは事実だが、欧米の中央銀行やIMF(国際通貨基金)、OECD(経済協力開発機構)も、ずっとそういう(見通しが外れる)状況になっている」と、同じように逃げを打っている。
自身の落ち度を咎められているのに、「他人だってそうだから」と抗弁するのは、子供の言い草だろう。これが、いやしくも国家の金融政策を司る組織の長が吐くセリフなのか。黒田によれば、「見通しが外れたから信用がなくなるということではない」そうだが、黒田がどう思おう↖と、自身が口にした「見通し」を6回も反故にしながら「残念だ」としか口に出来ないようなら、当人の「信用」が失墜するのは大人の世界なら常識のはずだ。
だが、当日の記者会見にいたメディア各社の記者をはじめ、黒田が任期まで務めるのを世間があたかも当然視している風なのは、それだけ社会が幼児化しているからに違いない。当事者のみならず、それを監視すべき世論も、揃って「責任」意識が希薄にしか見えない大人気なさの結果が、今日の姿なのだろうから。
何しろ、62歳の今も母親から「あの子」と呼ばれ、その母親を38歳まで「ママ」と呼んでいたという安倍晋三が、未だに首相でいられるこの国のことだ。幼児性が抜けない安倍に対し、前総裁の白川方明を任期終了前に辞任に追い込み、黒田を後任に据えた責任を問う声は乏しい。
「アベ・クロ」政策の総括的検証が必要
だが、「2%の物価上昇率達成」とは、アベノミクスの中心目標であったはず。ならば、「政府・日銀が連携してデフレ脱却を目指す」(16年9月の衆議院本会議所信表明)だの、「デフレ脱却に向け、金融政策、財政政策、成長戦略を総動員する」(17年1月の年頭記者会見)だのと繰り返してきた安倍が、政策の破綻を宣告されたと見なされても当然だ。
前述の記者会見で黒田は、昨年9月に実施したような日銀の金融政策の「総括的な検証」を再度実施するつもりはあるのかという質問に対し、「現時点で必要があるとは考えていない」と即答した。当たり前だ。まともにそんなことをしたら、安倍のアベノミクスと黒田自身の「異次元の量的緩和」が間違っていたと認めるところまで追い詰められる。常識で考えて、もう6回も「2%の物価上昇率達成」を先送りしながら、例の如く「道半ば」などという言い訳をしても、通用するはずがない。
安倍は16年1月の年頭記者会見で、物価について「デフレではないという状況を作り出すことが出来たが、残念ながら道半ばだ」とし、「デフレ脱却というところまで来ていないのも事実」などと述べた。この男の妄言録に必ず記されそうな醜態だが、「デフレではないという状況を作り出」したのに、「デフレ脱却というところまで来ていない」とは、いったいどういう意味なのか。
こんな調子では、例の共謀罪法案の審議で支離滅裂な答弁を繰り返し、挙げ句の果てに「私の頭脳ではちょっと対応出来ない」と吐露した前法務大臣の金田勝年と同様、安倍に最初からデフレ対策に取り組めるような「頭脳」など、期待するのが愚かなように思える。本人はご執心の2020年東京オリンピックまで権力の座にしがみ付きながら、その間、アベノミクスも「2%の物価上昇率達成」も、「道半ば」だと同じ寝言を繰り返すつもりなのだろうが、その結果、日本経済はどうなるのか。
もうこの辺で、「異次元の金融緩和」と称して通貨の供給量を増やせば、物価が上がって「デフレ脱却」が実現し、消費や投資も上昇する— —という、既に5年になろうとする「アベ・クロ」的発想と政策の「総括的検証」が必要だろう。「2%の物価上昇」どころか、家計調査でみた消費支出は実質的に15カ月も続いて前年同月を下回り、17年1〜3月期の国内総生産(GDP)前期比は名目でマイナス0・3%という散々な有様ではないのか。
黒田の先送りの言い訳によれば、「賃金、物価が上がりにくいことを前提にした考え方が企業や家計に根強く残っている。(このような)『デフレマインド』が影響している」ためだという。そんな評論家風情の指摘は、黒田が日銀総裁に就任した当時から言われていた。その「マインド」を崩すための一種のショック療法として「異次元の金融緩和」があり、「インフレ期待マインド」を狙っての処置として導入されたのは疑いない。ならば「デフレマインド」が払拭されない現状とは、アベノミクスの破綻と受け止めざるを得まい。
「国民総貧困化政策」こそ問題
結局、デフレ問題の解決手段とは、金融政策ではないはずなのだ。小泉純一郎政権以来の相次ぐ派遣法改悪による使い捨ての非正規雇用者の激増と、年金を始めとした社会保障制度の後退に象徴される、明らかに意図的な「国民総貧困化政策」にこそ着目すべきだ。個人消費が国内総生産(GDP)の6割以上を占めるのに、その個人消費を冷やし続けたら物価上昇など起きるはずもない。
ところが黒田日銀のやったことといえば、札を異常に刷り増しして13年3月から17年6月にかけて実に336兆円も銀行から国債を買い上げただけ。だが、銀行に日銀から振り込まれた分のマネーが、需要が回復しないため経済に循環せず、ほぼ滞留しているままだ。その結果、日銀が抱える国債が名目GDPに迫る事態になりながら、物価はおろか、消費支出がマイナスを続けている。
これというのも為政者の噓を見抜く努力もせず、一時は盛況を極めたメディアのアベノミクスの提灯記事に躍らされた有権者の責任だろう。その意味では、この連中も安倍も、同じ幼児性という点で共通しているということなのか。 (敬称略)
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