2020年以降の実効性ある経済対策が不在
自民党は3月に党大会を開き、総裁任期を現在の「連続2期6年」から「連続3期9年」に党則を改正した。その結果、2018年9月に総裁任期が切れる安倍晋三は、もし3期目も選出されると、2021年9月まで現在の地位を保てる運びとなる。
誰しもこの党則改正の理由として、安倍が2020年の東京オリンピック・パラリンピックを自身で手掛けたいからだと思うだろう。だが仮にそれが実現したとして、安倍がどこまで本気で「2020年以降」に起きることを自覚しているのか。何事にも無責任で虚言癖のこの男のこと、東京オリンピックが終わってから「2021年9月」までまともに現実に向かい合う覚悟があるのか、心もとない限りだ。
なぜなら、オリンピック終了翌年の開催国は、米アトランタ(1996年)を例外に、ほぼ経済の実質成長率や民間投資が鈍化するという共通のパターンがあるからだ。よく知られるようにスペイン(1992年)やギリシア(2004年)では、経済・財政危機の原因となった。少なくとも、以後の民間消費を恒常的に増加させるような期待はまず持てない。
日本の場合、それだけに留まらない深刻度が予測されるのは、現在の人口動態に由来する。生産人口の減少がさらに加速し、確実に潜在成長率が下押しされるようになるのこそ、2020年以降だからなのだ。しかも2025年からは、ついに団塊の世代が後期高齢者となる「超高齢化時代」に突入する。そんな時に、オリンピックが以後どのような好材料になるというのか。
箱モノ造りに財政の大盤振る舞い
これでは一時、オリンピックが真顔で「第4の矢」とされた「アベノミクス」とやらが、どう楽観視してもオリンピック後に無事で済むとは思えない。そもそも新興国と違って、改善の展望がほぼ潰えた少子化などにより、もうこの国に急激な経済成長が実現出来るような条件は無いのだ。オリンピックを起爆剤とする経済成長を期待するのは、とうの昔に空しくなっている。ところがその一方で、わずか17日間の会期のため、新国立競技場に象徴されるオリンピック用の箱モノ造りに借金を重ね、財政の異様な大盤振る舞いを続けたら、国家財政がどうなるかくらい、予測はつくのではないか。
だが、以前から証券会社の「アナリスト」をはじめ、広告収入を見込んでいる大手メディアなどは、「オリンピック特需約1兆円、経済波及効果約3兆円、雇用誘発は15万人越」だの「都市インフラ整備・オリンピック関連業種投資加速で15・2兆円の経済効果」「デフレ脱却を後押し」だのと、景気よく煽りに煽っている。
いま国民に必要なのは、目先の動きに惑わされない冷静な思考のはずだ。そして為政者にも、「山高ければ谷深し」なのだから、「2020年以降の日本経済」に関する対策がいよいよ迫られてこよう。だが、いずれも現時点では全くの期待薄に嘆かざるを得ない。
思い出してみるがいい。1964年の東京オリンピック後に発生した、「昭和40年不況」を。63年の実質経済成長率は8・8%、64年は11・2%だったが、65年には建設ブームが終了したこともあり、5・7%とほぼ半減した。さらに、山陽特殊製鋼を筆頭に企業の倒産件数が前年比で倍増し、山一證券(1997年廃業)の経営危機に伴う取り付け騒ぎが起きたのはこの年で、ついに戦後の財政史上初めて、赤字国債(2000億円)が発行された。
こうした窮状を日本が逃れたのは、その国債による公共投資が効を奏したためとされるが、当時のレートで総額約16億2000万㌦に達したベトナム戦争による「特需」(1965〜69年)も無視できまい。2020年以降、再び建設需要は大幅に後退するだろうし、どこからかの「特需」は全く期待出来ず、最悪状態にある破綻した財政では、将来何に期待をかけられるだろうか。
無論、53年前と経済・社会状況は全く違う。単純な歴史の繰り返しはあり得ないが、2019年10月までに延期されていた消費税率10%への引き上げが予定されている。過去の例にならえば、これによって消費の落ち込みは不可避で、オリンピック後どころか、その前にさらなる景気後退が訪れる可能性も否定出来ない。
のみならず、安倍が株高を演出するために始めた「異次元の金融緩和」と称する日銀の国債買い入れと紙幣増刷が、2020年以降も続けられるのだろうか。何が何でもオリンピックまでは続けざるを得ないだろうが、常識的に考えれば「永久」というのはあり得ない話だ。
オリンピック後のいずれかの時期に、買い入れを止めるのは不可避の選択となろう。しかし、もしそんなことをしたら、金利上昇と円安、株安になるのは明らかだ。日本経済はいずれ重大な局面を迎えることになるのは避けられない。「アベノミクスの第4の矢」どころか、これではオリンピックが経済に与える打撃を加速させる結果ともなろう。
3兆円超の使い道は他に無いのか
そもそも安倍は、2013年9月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会総会での「オリンピック東京招致最終プレゼンテーション」で、福島第1原発事故現場の汚染水に関し、「状況はコントロール下にある」と発言した。
これについては、後に小泉純一郎元首相が外国人特派員協会でいみじくも「嘘、嘘ですよ。これはアンダーコントロールされていない」と指摘したのが正しい。放射性物質を含んだ汚染水は現在、東京電力が対策として鳴り物入りで導入した「凍土遮水壁」が、「未だ効果が見られない」(原子力規制委員会検討会)状態となっている。しかも、それに代わる妙策が出されてはいない。
つまり2020年の東京オリンピックとは、日本の首相が世界に明らかな「嘘」をついて誘致したものなのだ。そこまでしたのは、人気取りのためだったのは言わずもがなだろうが、そんなオリンピックに投じねばならない3兆円以上、国民1人当たり3万円以上もの予算があるなら、未だ先が全く見えない汚染水対策や6基の原子炉の廃炉、さらには避難者の支援に投じられなければならないはずだ。
しかしそんな声がまず聞こえてこないのは、有権者がこの国の未来に対し、安倍以上に無責任で無関心だからだろう。だが、彼らがいくら3年後の「宴」を待ち望もうが、このままだとオリンピックは日本経済の「最後の宴」になりはしまいか。
そして、オリンピック後に誕生した新たな世代が「次の宴」を待つ間もなく、経済が確実に衰退の一途を辿っていくのも、杞憂で終わってくれる可能性は限りなく薄いように思える。 (敬称略)
LEAVE A REPLY