「画期的新薬の開発」には逆行する恐れも
薬価制度改革の焦点となっていた公定薬価の改定頻度に関し、政府は2016年末、今の「2年に1度」から「毎年」へと増やす基本方針を打ち出した。医療費抑制に躍起の首相官邸が主導し、製薬業界などの反発を抑えた形だ。ただ、浮く財源の使途や、市場価格と公定価格の差がどのくらい開いた薬を改定対象とするのかといった基準を決めるのはこれから。官邸と、巻き返しを狙う製薬業界や日本医師会(日医)などとの攻防第二ラウンドが幕を開ける。
16年12月21日夕。首相官邸であった経済財政諮問会議で、塩崎恭久厚生労働相は18年度から毎年、薬の市場価格を調べ、薬価を見直すとした政府の薬価制度改革の基本方針を報告。2年に1度の従来改定の間の年にも全ての薬価を調べる、との内容だ。とはいえ、調査対象は大手卸会社に絞り、さらに薬価を下げるのは「市場価格との差が大きい」品目に限る。前日、塩崎氏や菅義偉官房長官、麻生太郎財務相ら関係閣僚会合で合意したものだが、業界などの反発に配慮して、薬価見直しの条件などは今後、中央社会保険医療協議会(中医協)で詰めることになった。
厚労省が音頭を取る中医協で詳細を決めることに、日医の関係者は「まだ勝負の行方は分からない。これからだ」と語る。それでも、21日の経済財政諮問会議で安倍晋三首相は「今後の検討課題は諮問会議などで議論を深めてほしい」と述べた。薬価制度改革については引き続き「経済財政諮問会議=官邸」でグリップすると宣言し、中医協で全てを決めることを狙う勢力を牽制したものだ。
公定薬価は、医師の技術料など診療報酬「本体」とセットで、2年に1度見直している。見直しの場は中医協。現在は約2万種類ある保険適用の薬全てを対象に市場価格を調べ、その市場価格に合わせて公定薬価を引き下げている。医療機関は薬を公定価格より安く仕入れるのが通常だ。このため、市場価格は漸減することが多い。公定薬価を2年に1度引き下げるだけでは、なかなか市場価格の下げ幅に追い付かず、大きな薬価差が生じることは避けられない。税や保険料は公定薬価に合わせて支出されるため、財務省などは以前から毎年改定によって薬価差を縮めることを求めてきた。薬価の改定頻度が増えるほど、公定価格も下がりやすくなり、患者の負担も減る、というわけだ。ただし一方で、製薬会社や医療機関が得る利幅は小さくなる。製薬業界や日医の反発は強く、毎年改定はなかなか実現せずにいた。
局面が変わったのが、新たながん治療薬「オプジーボ」の登場だ。オプジーボは14年に皮膚ガンの免疫治療薬として承認された後、15年末には肺ガンにも使えるようになり、対象患者が大幅に拡大した。医療費は患者1人当たり、年間約3500万円かかるとされる。そこで「医療費にメスを入れる」と宣言している菅官房長官を中心に、官邸が薬価引き下げに乗り出した。
薬価・本体改定の切り離しが加速
オプジーボに関しては、急きょ17年2月から特例で薬価を半減することにしたが、これを機に政府は薬価制度の本格的な見直しに着手。渋る厚労省を横目に、菅氏は「熱いうちに方向性を決めるべきだ」「国家財政に関わる重要な話を中央何ちゃら(中医協のこと)だけで決めるなど、あり得ない」と周囲に伝え、経済財政諮問会議を使って薬価の毎年改定に向けたレールを敷き始めた。
菅氏の意向を受ける格好で、16年12月7日の諮問会議では、伊藤元重・学習院大教授ら4人の民間議員が「全品を対象とした毎年の薬価調査と薬価改定」を提案。毎年改定により、年間240億円程度の国費節減につながるという。これに対し、塩崎厚労相は使用患者が増えて販売額が急増した薬について最大年4回値下げを検討する案などを示していた。
製薬業界が薬価の引き下げに反発するのは当然として、なぜ日医など医療関係者も毎年改定に反発するのか。主な理由は、薬価引き下げを診療報酬本体の見直しと同時に行ってきたルールが崩れることにある。従来、薬価引き下げで浮いた財源の一部は、診療報酬本体の上乗せ財源に充てられてきた。本体は入院料や手術料などの公定価格で、医師らの収入に直結する。それが薬価のみ毎年改定となれば、薬価改定と本体改定の切り離しが進み、本体への上乗せ分が半減しかねない。
薬価の毎年改定を巡る次の焦点は、調査・引き下げ対象と、どのような条件の時に薬価を見直すのか、そして薬価引き下げで浮いた財源を、どこに回すのか、だ。引き下げの対象品目に関し、日医の横倉義武会長は「オプジーボなど外国の価格に比べて高いものは一定の理解をせざるを得ない」と述べており、範囲を限定する考えを滲ませている。既に政府方針は薬価の調査対象を大手卸に絞ることが確定しており、範囲をどの程度にするのかのつばぜり合いが始まりそうだ。
薬価見直しの条件も、内容次第で大きく状況が変化する。政府の基本方針では市場価格との差が大きい医薬品の薬価を見直すとしたが「差が大きい」とはどのくらいか、がポイントとなる。15年の薬価調査によると、市場価格と公定薬価の差は平均8・8%だった。しかし、年間でみた市場価格の下落率は5%弱。仮に5%以上を「差が大きい」として薬価の引き下げ対象とするなら、対象品目はかなり限定されることになる。
薬価引き下げで浮く財源についても、財政再建に充てたい財務省と、診療報酬本体への上乗せに回すことを狙う医療関係者の綱引きが続きそうだ。ただし、政府内には一部を診療報酬本体に回す仕組みにして日医を懐柔し、タッグを組む製薬業界との間を分断しようという思惑も見え隠れする。厚労省幹部は「本体への上乗せを確約すれば、日医は強硬に反対しないのではないか」と読む。
米商務長官が菅官房長官に懸念表明
そもそも、薬価の毎年改定が官邸の思惑通り医療費引き下げにつながるか、はっきりしない面もある。
製薬業界からは「毎年薬価を引き下げられるなら、価格防衛に回らざるを得ない」との声も漏れる。そうなれば、卸価格が高止まりする可能性も出てくる。また、薬剤費も含めた包括の診療報酬を得ている医療機関にとっては、包括点数が毎年引き下げられかねない。東京都内の病院幹部は「そんなことになったら、死活問題だ」と漏らす。
「失望している」「医療関連製品のインセンティブ構造だけでなく、市場の予測可能性と透明性に対する深刻な懸念を引き起こす」。米国のペニー・プリツカー商務長官(当時)は16年12月2日付で、こうした書簡を菅官房長官に送ったとされている。ドナルド・トランプ米大統領は自国産業の利益を重視しており、米国製薬業界を圧迫する薬価の毎年改定には慎重な対応を求めるものとみられる。今後、米国を中心に外圧が強まるのは避けられそうにない。
安倍政権は、製薬業界に画期的新薬の開発を期待し、成長戦略につなげようとしている。しかし、毎年改定はそれに逆行する恐れもある。日本製薬団体連合会などは「イノベーション創出に重大な支障を及ぼす」との声明を公表し、危機感を露わにしている。売上減に直接つながる製薬業界、診療報酬本体への影響を懸念する医師らの反発は強く、関係者の綱引きは激しくなりそうだ。
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