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「柳原病院事件」が医療現場に投じた波紋

「柳原病院事件」が医療現場に投じた波紋
果として不利益をもたらす事態

 手術後の女性患者に診察を装ってわいせつな行為をしたとして、非常勤の男性外科医が準強制わいせつ罪に問われた柳原病院事件。11月30日に東京地裁で開かれた初公判で、被告の医師は「私はやっていません。診察に何の落ち度もありません」と無罪を主張。医療関係者有志で作る「外科医師を守る会」の呼び掛けで、早期釈放を求める約3万筆の署名が集まったりするなど、医療界の注目が集まっている。

 このような中、早稲田大学の校友会である稲門医師会と稲門法曹会が11月27日、「柳原病院事件を考える」をテーマにした合同シンポジウムを開いた。まず、医師で弁護士の大磯義一郎・浜松医科大学医学部医療法学教授が登壇し、次のように述べた。

 「本件が当該医師に与えた影響は極めて大きい。実名・顔写真付きの報道により、ネット上では誹謗中傷の嵐が起きている。また、長期にわたる逮捕・勾留が行われ、保釈も認められていない。収入の道は断たれ、本人は仕事に復帰できるだろうかと鬱々とした日々を送っていると思う」

 論点の一つは長期の勾留だ。刑事訴訟法第60条1項は「被告人が定まった住居を有しないとき」「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」「被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき」に裁判所は被告人を勾留することができるとしている。被告の医師がこの3条件のいずれかに該当するかというと、大いに疑問だろう。

 「明らかに理由がある場合、明らかに理由がない場合の間には、グレーゾーンがある。そのグレーゾーンのどこに線を引くかが問題。本件を含めて、裁判所は『罪証を隠滅する』可能性を広く捉える傾向があるのではないか」と大磯氏。

 同シンポ後の12月7日、男性外科医は保釈された。同病院によると、弁護団は初公判後に保釈請求したが、東京地裁は12月2日に却下。弁護団は6日、却下決定に対する「抗告」を東京高裁に提出したところ、同夜、却下決定の取り消しと保釈許可が決定された。

医師業務の特殊性をどう考えるか
 次に登壇した独立行政法人国立病院機構横浜医療センター副院長・手術部長の鈴木宏昌氏は、麻酔科医の立場からPACU(麻酔後ケアユニット)における麻酔覚醒時せん妄に関する論文を引用、乳がんと腹部の手術ではせん妄リスクが高まるという研究結果を紹介した。自身も事実と異なる患者の思い込みで、口を利いてもらえなくなった経験があるという。看護師が患者に聞くと「先生が娘をレイプした」と言う。集中治療室(ICU)入室中の患者の、いわば妄想だった。

 今回の事件に関していえば、麻酔覚醒時せん妄の可能性は否定できない。「被害者」とされる女性には全身麻酔が施された。その際、笑気(亜酸化窒素)やセボフルラン、ペンタゾシンなどの麻酔薬が使われたようだ。こうした麻酔薬によって、「術後の嘔吐や興奮をもたらすケースもある」と鈴木氏は言う。

 また、乳がん手術特有の事情にも考慮する必要がありそうだ。「生体への侵襲度は低いのだが、皮膚切開が大きく患者の心理的な負担も大きい。審美性についても注意を払う必要がある」と鈴木氏。医師が入念に左右の乳房を見比べ、形状が大きく変わらないようにするのは、医療としては通常の行為である。

 こうした医師の業務に伴う特殊性をどのように考えるべきか。最後に登壇した弁護士の趙誠峰氏は、こうした観点での判断スキームについて語った。「電車の中での痴漢事件などでは、通常、外形的な行為がわいせつな意図を示すと判断される。電車の中で胸を触った場合、わいせつな意図以外の合理的な説明をするのは困難だが、医療の現場では合理的な説明がいくらでも可能。わいせつ性を裏付けるためには、別の客観的な事実が必要」。

 もしも、現場から精液が採取されていたとすれば、かなり強力な証拠になるだろう。本件では、「被害者」の「胸を舐なめられた」との供述に基づいて警察が調べたところ、アミラーゼが採取されたとされる。つまり唾液だが、会話によって唾液の飛沫が飛ぶことは十分考えられる。証拠としての能力については議論がありそうだ。

 「痴漢と同じ判断スキームを用いて、本件を考えることはできない。第1に、被害者とされる女性の供述の信用性リスクをどのように考えるか。術後の特殊な状態が影響して、事実ではないことを事実と思い込んで話した可能性はないのか。第2に、客観的な証拠について。現時点で報道されているものだけでは、十分な証拠とは言えないのではないか」(趙氏)

学会や医師会の関与を求める声も
 その後、参加者を交えたディスカッションが行われた。会場からの「患者の医師に対する好意や敵意といった感情が、麻酔の影響下において何らかの作用をする可能性は考えられないか」との質問に対して、鈴木氏はこう答えた。

 「医師と患者の関係は非常に重要。最近は入院期間の短期化を背景に、信頼関係を構築しにくくなった。医師や看護師にとっては患者の信頼を得る努力が重要。信頼度が低ければ、トラブルになる可能性は徐々に高まる」

 今後もし柳原病院事件のようなことが繰り返されるとしたら、医師たちが安心して現場に立ち続けることは難しい。では、病院や医師はどうすれば違法の謗りを受けずに済むのだろうか。ある弁護士の提案は次のようなものだ。

 「診療などの際に看護師などをいちいち呼んで、横にいてもらうしかないのではないか。また、トラブルが発生した時点で、録音・録画をするのも有効。特にせん妄状態では、発言の内容がおかしくなることもある。そういう状態をカルテなどに記録されていれば大きな意味がある」

 トラブル時の録音・録画については、否定的な意見が多く示された。大磯氏は「クレームがあった途端に、『録画します』というのはハードルが高い」と話す。鈴木氏は「横浜医療センターでは、録音・録画は患者の同意が前提という院内ルールがある。せん妄状態の録音・録画となると、倫理委員会の判断が求められる」と言う。

 ただ、ある民間病院関係者は次のように語った。

 「今はアイフォンなどを使って簡単に録音することが可能。当院では、(トラブル時などに)そういうことをしても良いというルールを作っている」

 現状では、医師が自分自身を守るための手段は限られている。何らかの手立てを考えなければ、医療の質にも悪影響が及ぶ可能性は十分考えられる。参加者の間からは、学会や医師会が法務部門を充実させ、司法に訴えかけたり、専門的な評価が求められる場面では学会が関与したりする必要性も指摘された。

 「異性への治療はリスキーだと考え、医師が避けるようになれば、結果として患者も不利益を被る」と大磯氏。柳原病院事件は一病院のみの問題ではなく、日本の医療全体の問題である。


10月07日記事・外科医は本当に「わいせつ行為」をしたのか
12月05日記事・柳原病院事件 初公判「証拠開示は開廷直前に手渡し」

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