山口俊晴(やまぐち・としはる)公益財団法人がん研究会代表理事・有明病院病院長
1948年北海道生まれ。73年京都府立医科大学卒業。77年秋田大学医学部文部教官助手。82年米国テキサス大学ヒューストン校留学(NIH奨励研究員)。95年京都府立医科大学助教授。2001年癌研究会附属病院消化器外科部長。05年癌研究会有明病院消化器外科部長・消化器センター長。08年同病院副院長。15年同病院病院長。日本臨床外科学会評議員・副会長、日本DDS学会理事・評議員、日本がん分子標的治療学会理事・評議員、日本内視鏡外科学会評議員、日本医学会用語管理委員会委員、国際胃癌学会理事などを務める。
長い歴史と伝統を持つがん研究会に、新たな柱となる「がんプレシジョン医療研究センター」が設立された。有明病院で採取された試料に対し、ゲノム解析やリキッドバイオプシー診断を行うことで遺伝子などの解析情報を集積。ここで得られた診断や治療法選択に役立つ情報を、臨床現場に届けようという試みである。プレシジョン医療に取り組むことになったがん研有明病院の現在とこれからについて、山口病院長に話を聞いた。
——がん研有明病院の医療の特徴といえるのは?
山口 「キャンサーボード」というシステムがあります。がん研の病院と研究所が大塚(東京都豊島区)から有明(江東区)に移転してきて11年目ですが、引っ越すときに、当時の病院長だった武藤(徹一郎)先生が、せっかく新しい病院になるのだから、体制も変えてチーム医療を本格的に取り入れようと、このシステムを導入しました。参考にしたのは、アメリカのヒューストンにあるMDアンダーソンというがん専門病院。そこに見学に行くと、1人の患者の診療に複数の診療科の医師が関わっているのです。例えば胃がんなら、消化器外科だけでなく、化学療法を行う医師や放射線科の医師も加わって、どういう治療を選択すべきかを検討していました。難しい症例に対して総合的に対処していく、このキャンサーボードというシステムを我々もやってみようと、取り入れることにしたのです。
——どんなことを決めるのですか。
山口 患者さんに何の説明もせず、いきなり「あなたの治療はこれです」と言ったのでは、本人の決定権が損なわれてしまうし、後で文句を言われるかもしれません。だからといって、患者さんにがんの病状を詳しく話し、手術や放射線治療や化学療法について事細かに説明して、「どの治療にしますか」と聞いたとしても、患者さんは答えられません。いくつもある治療法に序列を付け、第一選択はこれですと提示するのがプロの仕事です。それをキャンサーボードでやっています。
——序列を付けるには総合的な判断が必要ですね。
山口 難しい症例に対してはそうです。がんの治療は高度化しているので、単一の診療科だけで対処するのは困難になっています。私の専門は消化器外科ですが、化学療法や放射線治療について、専門的なことまで分かっているわけではありません。ところが、難しい症例であっても、専門家が集まってディスカッションしたら、どの治療を選択すべきか決めることができます。
電子カルテの導入とチーム医療
——キャンサーボードの対象となる症例は?
山口 2000年頃からガイドラインが作られるようになりましたが、その通りに治療すればよい症例は、対象になりません。例えば患者さんが5人いるとして、そのうち4人はガイドライン通りでよくても、1人くらいはガイドライン通りに治療できない人がいます。ガイドラインは臨床試験の結果から推奨する治療法を決めるのですが、臨床試験の対象となるのは、比較的一般状態が良好で、あまり高齢でない人です。従って、試験の結果が超高齢の人にも当てはまるとは限らないので、そういう場合はガイドラインから外れた治療を行ったほうがいい。ただ、そのときに1人の医師の勝手な判断でやるのではなく、キャンサーボードで検討して、最も適切な治療法を選択できるようにしようということです。
——導入した最初からうまくいきましたか。
山口 有明病院になってセンター制が始まりました。私がいたのは消化器センターですが、胃がんの外来や大腸がんの外来があって、そこでは外科医だけでなく、内視鏡の専門家や化学療法の専門家もいて、それぞれ外来をやっています。自分の専門外で相談したいことがあれば、すぐに相談できる体制になっているのです。こうした体制も、キャンサーボードを行うのに最適でした。また、キャンサーボードが最終決定機関とすることを明確にしたのも良かったと思います。そこで決定したことは、原則として覆すことができません。単なる寄せ集めの話し合いではなく、まさに司令塔なのです。これが、キャンサーボードが定着した最大の理由です。それから、電子カルテの導入も好都合でした。
——電子カルテはいつ導入されたのですか。
山口 有明に移ったときに入ったのですが、電子カルテなしにチーム医療は存在しないといってもいいでしょう。情報を共有することが大切なのです。例えば、大塚にいた頃は、カンファレンスのときにレントゲンフィルムをたくさん抱えて歩いていました。それでも、3年前のCT(コンピュータ断層撮影)がどうだったかと言われたら、すぐには見つかりません。その点、電子カルテならすぐに画像を出すことができます。キャンサーボードというシステムは、電子カルテというインフラの整備なくしては、なかなか実現が難しいかもしれません。
——他の病院にも広まっていますね。
山口 キャンサーボードをやっているという病院はありますが、形だけのところも少なくありません。文部科学省が推進しようとして、大学病院でキャンサーボードを作ったのですが、なかなか機能していないようです。うまくいかない理由は、キャンサーボードに決定権を与えなかったからだと思います。診療科の決定権が強く、一応話は聞くけど最後は俺たちで決めるというのでは、キャンサーボードはうまく機能せず、形だけのものになってしまいます。
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