『インサイドライン』編集長 歳川 隆雄(としかわ・たかお)
1947年東京生まれ。上智大学英文科中退。週刊誌記者を経て81年からフリージャーナリスト。現在は国際政治経済情報誌『インサイドライン』編集長で、Japan Watchers(米ニューヨーク)発行の「The Oriental Eco-nomist Report」の東京支局長を兼務。『安倍政権 365日の激闘』『外務省の権力構造』『機密費』など著書多数。
安倍晋三首相は第2次政権発足以来、海外からも注目される経済政策「アベノミクス」を掲げる一方、安全保障では歴史的な政策転換を行い、外交では中国包囲網構築を進めてきた。参議院選挙では改憲勢力3分の2超を獲得。東京五輪をまたいだ長期政権も視野に入ってきた。日本の政治・経済の内幕情報を発信する『インサイドライン』の歳川隆雄編集長に安倍政権への評価と展望を聞いた。
——これまでの安倍政権をどう評価していますか。
歳川 非常に「あっぱれ」と言わざるを得ません。私個人は、安倍首相の政治理念や信条には必ずしも賛成できません。彼の思想にも批判的です。私は事実に対して公正、フェアに観察して判断する主義でいますが、それを前提に安倍政権を評価すると、かなりの高い評価をしなければなりません。政権運営、党運営から内政、外交まで相当のレベルに達しています。
——まず、外交政策で見えてくるものは何ですか。
歳川 安倍外交の軸の一つに中国包囲網があります。さかのぼれば、第1次安倍政権の2006年11月に、当時の麻生(太郎)外相が、日本国際問題研究所という外務省所管のシンクタンクで、価値観を共有する国々との関係を強化する「自由と繁栄の弧」構想を発表しました。ここに原点があります。安倍首相は健康問題もあって辞任してしまっただけに、第2次政権ではその挽回とばかりにこの外交戦略の実現がスタートラインとなりました。13年から14年夏までに安倍首相が訪問した都市の中で、モンゴルのウランバートル、ロシアのモスクワ、トルコのアンカラ、インドのニューデリー、ミャンマーのネピドー、ベトナムのハノイ、フィリピンのマニラなどの各首都を線で結ぶと、その中にあるのは中国。安倍首相の外交戦略の帰結は中国包囲網を構築することだったのです。
東シナ海や南シナ海の問題でも明らかなように、中国は国際ルールをほとんど順守しません。そのような国と対等に外交経済交渉を行うためには、どうすればいいか。相手はすでに世界第2位の経済大国になっているし、軍事力についても自衛艦に対するレーダー照射を行うなど13年時点でその後の海洋進出の予兆となる事件を引き起こしています。対等な交渉には経済力、防衛力、交渉力を十分蓄えた上で臨まなければなりません。そのための包囲網が「自由と繁栄の弧」だったのです。安倍首相はピンポイントでトップとよしみを通じて、まず2国間の関係強化に努めました。「ケミストリー(相性)」という外交用語があるのですが、安倍首相はロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領らとケミストリーの合う関係を築きました。中国側もすぐに気付いて対応したのですが、後手に回り、習近平国家主席はとうとう包囲網ができた後の14年11月、北京でのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で会談に応じなければならなくなりました。日中首脳会談は約2年半ぶりです。中長期の視野と戦略を持って外交戦略に臨んできた成果といえます。
——対米でも積極的に動いています。
歳川 安倍首相は15年4月にワシントンを訪問してオバマ大統領と首脳会談を行い、翌日には上下両院合同会議でスピーチしました。当初、オバマ大統領は安倍首相の歴史観を根拠に不信感を抱いており、安倍首相もオバマ大統領を決断しない軟弱大統領と嫌悪していました。トップ同士のケミストリーが合わないことによって、オバマ政権の2期目半ばくらいまで日米トップの意思疎通は空洞化していました。14年にはオバマ大統領の訪日にこぎ着け、安倍首相は東京・銀座の高級すし店でひざ詰めの話をしましたが、オバマ大統領は不快感を示してすしを残したままお開きになってしまいました。安倍首相は小さな店のカウンターをインティメット(親密)な意見交換の場として選んだつもりでしたが、不興だったのです。ワシントンでは作戦を練り直し、テーマごとにそれぞれの主張をぶつけ合う場としました。会談はスムーズに進み、議会でのスピーチは現地で圧倒的に評価されました。そして、今年5月の伊勢志摩サミットの際には、オバマ大統領の広島訪問が実現しました。
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