第79回 消えた煩悩の火 南淵明宏(大崎病院東京ハートセンターセンター長、心臓外科医)
昨秋はどこの病院も患者が減ったと聞く。
病人が減っていいことだと理解すべきなのか、社会一般の病気に対する考え方、あるいは死生観というものが変わりつつあるのか。
世相というものに影響は受けるのだろうが、年末に向かってまた持ち直したところを見ると、どうやら「懐具合」が一番影響しているように思えてしまう。
ならば、やはり医者にとっても一般社会の景気がいい方が医者の景気もいい、ということになる。
できれば、景気は良くなってもらいたいものだ。だが、これからどうなるのか。不安は尽きない。
暮れにあった選挙で政治家どもは盛んに経済政策を話題にしたのだが、そもそも政策で経済が上向くのか大いに疑問だ。
それに政治家は経済政策だけをやっていていいものなのだろうか。
株が上がったというが、競馬で大もうけしたやつがいる、というのと同じで大半の人は蚊帳の外。
円高にしても円安にしても困る人、喜ぶ人、悲喜こもごもである。
経済指標さえ良ければ国民は皆幸福になる、というのはどうも信用できない。
だいたい製造業に依存する日本経済の先行きは暗い。
作ったものがどんどん売れる時代は終わったからだ。
車やテレビをいっぱい作って世界中の誰が買うのだろう。
買うやつはいるだろうが、日本製でなければならない理由はない。
「広がりを常に必要とする資本主義の生き残る場所はない」
と、水野和夫氏は指摘するが、その通りだと思う。
ならば、製造業や資本主義同様、医療産業もおしまいなのだろうか。
いろいろな部分でいろいろな角度から医者の「取り分」は減らされてきたが、これからもその流れは続くのだろう。
薬価差益や医療機器の償還価格との差益はどんどん圧縮されている。
いわゆる「しのぎ」の部分がなくなりつつあるのだ。
エビデンスに従い、安全管理をしっかりやり、無理な治療はしない、そんな優等生医療しか認められないご時世になりつつある。
合併症のある患者は門前払い。高齢者の治療機会も奪われる。
医療行為のリスクとは、患者のリスクではなく自分に降り掛かるリスクを意味し、徹底的にそれを排除しようとする。
そんな保身医療が当たり前と教え込まれた若い世代の医師たちが病院に充満しつつある。
何となくそんな気がする、という話なのではあるが、とにかく皆守りに入っている。
周りを押しのけて、自分だけが這い上がろう、などといった姿勢はレジェンド化しつつあるように思える。
資本主義が終わってしまったのも、そういった「煩悩の炎」が多くの人びとの心の中から消え失せたせいなのではないだろうか。
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