第84回 安住 南淵明宏(大崎病院東京ハートセンターセンター長、心臓外科医)
「このままでええんちゃう?」
住民投票は結果的にこうなる。
大阪の二重行政は結局なくならなかった。膨大な数の市会議員や府会議員さん、職員さん、関連団体幹部、天下り寄生会社の役員さんたちの地位もこれで未来安泰だ。
道州制の導入、首相直接公選制、憲法を変える……なども結局はこうなるのだろう。日本社会は究極に平和で安定しているからだ。商品を売るには、「イノベーションが必要」などとよく言われる。
「イノベーションって何?」と聞かれてすぐにはっきりと答えられる人はいないが、私の理解は「マーケットを変えること」である。商品を改革したり店員の意識を刷新するのではなく、会社やその商品を包み込んでいる社会の常識や価値観を変えること。これがイノベーションである。
そう考えると、満たされて、安定し、「このままが一番ええやん!何で変えなあかんの?」と考える人たちをイノベーションで変えることは困難だ。
私はこれまで心臓外科医療を「病院機能の最も充実したコンテンツ」と認識してもらえるよう、社会に活動してきた。だが、例えば、週にたったの一例しか心臓手術をやっていない病院があったとする。ここに若い気鋭の心臓外科医を送り込んで週2件、3件と手術件数を増やしていくのは至難の業だ。院内スタッフ全員が敵になる。揚げ句に、「彼はやる気があるんだが協調性がないんだよ。コミュ障というか……。困ったもんだ」と切り捨てられる。心臓外科に限らず何科につけても同じことだろう。
かつてある市民病院でも脳卒中は全部受け入れる、というやる気満々の若い医師が大学病院から赴任してきた。「これはありがたい」と周囲の医療機関が喜んでいると、彼は辞めた。救急車がひっきりなしに来るようになったからだ。「働かない」ことをとする市民病院の職員にとって、仕事を増やす医師は極悪非道、無慈悲で危険で排除すべき厄災に他ならない。働かなくても生活が安定している。ならば、働かない。これは人間のである。
これは患者にも言える。
「症状がないんですが、それでも手術を受けなければならないんですか?」
大動脈弁の圧格差が100mmHgを軽く超える計測値が出ているのに、普通、人は心臓手術を受けたいなどとは絶対に思わない。
そんなふうに今までの生活に安住している人たちを動かすには、彼らの周りで何かが起こらなければならない。
「今のままでええやん!どこがあかんのん?」
という人を、「このままではヤバい! エライことになるでぇ。なんとかせな!」と思わせる何かが起こる必要がある。平穏に暮らす人の考えを説得で変えることはできない。
原子力発電所に隣国からミサイルが飛んでくるとか、離島にいきなり隣国の軍隊が上陸してきて小学校の校庭に隣国の国旗が掲げられたとか、そんな具体的な何かが起こらない限り、憲法は変えられない、ということだ。いや、これでも世間の反応は、「自分らの毎日の生活が変わるわけでもないんやし、ええんちゃう?」で終わってしまうかもしれない。とにかく大動脈弁症は、症状がない早い段階で手術をさせてもらいたいものだ。
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