第87回 『ムー』向けのネタ 南淵明宏(大崎病院東京ハートセンターセンター長、心臓外科医)
テレビ局の方からいろいろとご質問を受ける。中には答えづらいものもある。
「冠動脈の血流の方向は上から下に流れるのですか、それとも下から上ですか。今CGを作っているんですが……」
どんなCGをお作りになっているのだろう? それが分からなければ答えようがない。中枢から末梢に……いや待てよ。中枢と末梢が分かっていれば自明の理のはずで、こんな質問は出ないはずだから……この人は一体何が分からないのだろう? 対応に苦慮した。
民放からは、こういう質問が来た。
「冠動脈のカテーテル治療は内科がやるのですか、それともガイカがやるのですか?」
外科をゲカと読むことを知らない人に何をどうやって説明したらいいのだろう? 10秒ほど考え込んでしまった。
報道の方にはいろいろな人がいる。つくづくそう思わせる事態もあった。
皇后陛下様が8月9日に冠動脈CTをお受けになった。結果について公に発表され報道も一区切りついた感のある8月12日、某週刊誌の記者から取材の申し込みがあった。
「来月の9日に皇后様が冠動脈CTという検査をお受けになるということですが、どういう検査なのか教えてください」
「来月に? また?」
「ええ、そのようです。手元の資料では『来月の9日に予定されている』とあります」
「本当に来月?」
「ええ、そのようです。宮内庁がそう発表していますから」
記者は記者らしく、自分がつかんだ目の前にある揺るぎないファクトに自信満々の口調だ。
だが、数日前に既に冠動脈CTは終わっている。
「これは間違いない! 異次元の世界、あるいはパラレルワールドと呼ばれる空間の住人からの電話だ。マルチバース理論が実証されているのかもしれない。電話の相手の世界ではまだ皇后様は冠動脈CTをお受けになっていないのだ。その世界では日付はまだ7月で、1カ月ずれている、ということなのだろう。こちらの世界で亡くなっている人があちらの世界ではまだ元気で活躍されている…なんてこともあるかもしれない。生きて今生でこのような現象を体験できるなんて、なんて充実した人生なんだ!」
私の推論は膨らんだ。電話が切れたら、もう二度とかかってこないかもしれない。いや、待てよ。相手は週刊誌の記者を名乗る人物でいわゆる心を病んだ人であるかもしれない。そう思うとそちらの思いの方が強くなった。
「あのぉ……あなたは心療内科か精神科におかかりですか」
記者に尋ねた。自分はこの手の疾患群は不得手だ。だが、日頃多くの患者さんに接していて、中にはそういう方もいらっしゃる。だが、「かかっていない」というご返答だ。
週刊誌の編集部に電話した。取材を命じた上司の女性が出てきた。事情を説明すると、「事情はよく分かりませんが、疑念をお持ちになるのは当然です」。上司はこちらの世界の住人だった。
その週刊誌は記者を大学入試の合格発表の会場だけでなく、いろいろな世界に配置しているのかもしれない。それにしてもこの話は『集中』ではなく『ムー』向けのネタだ。
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