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未来の会

日本化薬

日本化薬
競争激化で優位性を失った 世界的すきま発」事業

 「世界的すきま発想」をキャッチフレーズに成長してきた日本化薬が今、競争の中に放り出されている。同社は1916年(大正5年)に設立された日本火薬製造という民間用爆薬会社が前身だ。戦時中に帝国染料製造、山川製薬を吸収し、事業は爆薬、染料、医薬品を柱としてきた。戦後、社名は現在の日本化薬に変わったが、3本柱のうち景気に左右される染料や爆薬に代わり、医薬品は安定した事業として同社を支えてきた。医薬品事業では多くの医薬品メーカーが市場の大きい成人病に傾斜しているときに、すきま発想からがん領域に特化したのが成功。今では抗がん剤のジェネリック医薬品(後発薬)、バイオシミラー(バイオ後続品)の品数は世界のトップで、DPC(診断群分類包括評価)対象病院から重宝されてきた。

 だが昨今、大手製薬メーカー、ジェネリック専業メーカーも抗がん剤領域に参入。「世界的すきま」などといっていられなくなってきた。同社が創業100年を目標にした中期経営計画でうたう「2016年に売り上げ2000億円達成」も微妙だ。

大手のがん領域参入で株価は一服

 同社が「世界的すきま」から表舞台に立たされているのは、株価を見れば一目瞭然だ。リーマンショック後の09年1月の株価は340円台だったが、その後、少しずつ回復したとはいうものの、株価は800円台を続けていた。ところが、安倍内閣になり、黒田東彦日銀総裁が「異次元の金融緩和」を実行すると、同社の株価は1000円台に上昇。その後も上がり続け、昨年末に1500円に達した後は、1300円台に落ち着いたまま推移している。もう一歩で大手製薬メーカー並みの株価に届きそうで届かないのである。

 ある証券アナリストによると、「日本化薬はがん領域に絞り、新薬と後発品開発にまい進した。結果、抗がん剤の後発薬、バイオシミラーの品数ではトップ。どこも追随できない状態になったことで注目され、株価が上がった。しかし、大手製薬メーカーががん領域に力を入れるようになったことで、株価は一服している」というのだ。

 同社のがん領域に特化した戦略は成功してきた。43年に帝国染料製造、山川製薬を吸収合併し、戦中、戦後の事業は火薬、染料、医薬品の3本柱になった。その後、3本柱は時代とともに中身が変わり、火薬事業は火薬制御技術を応用したエアバッグ点火装置などの自動車向けセイフティシステムズ事業に、染料部門は染料から発展した低分子合成を使った半導体封止材用エポキシ樹脂に代表される機能化学品事業に変わった。変わらなかったのは医薬品事業だが、3事業は全くといっていいほど関連性が薄く、ユーザーもまるで違うというユニークさだ。

 バブル崩壊、さらにリーマンショックで自動車産業、エレクトロニック産業が不況に陥り、同社の2本の柱は痛手を受けたが、医薬品事業が踏みとどまって支えた。といっても、同事業の売り上げはたいした額ではない。大手製薬メーカーのような大型新薬があるわけでもない。後発薬が確実に収益を上げていたにすぎない。

「強み」が「弱み」に変わる懸念

 そんな状況だからこそ、市場の大きい成人病、慢性病の医薬品に目もくれず、大手製薬メーカーの手薄な抗がん剤とその周辺医療剤に特化する道を選んだ。同社が掲げる「世界的すきま発想」である。

 医薬品で目立つのは、戦後、ペニシリンの製造を始めたことくらいだ。当時、世間から「火薬会社がペニシリンを作るなんて」といわれたこともあるが、69年に開発した「ブレオ」が抗がん剤の最初だ。以後、特許切れを迎えた低分子抗がん剤の後発品開発、さらにいち早く時代の流れを読み取り、バイオシミラーにも突き進む。81年の「ぺプレオ」、84年の「ランダ」、96年の「コホリン」、03年の「カルボプラチンNK」、06年の「パクリタキセルNK」、09年の「イリノテカンNK」、13年には「エヌケーエスワン」「イマチニブNK」等々、29種類、31品目もの抗がん剤が並ぶ。これだけの抗がん剤をそろえて発売する製薬会社はない。これこそが同社の強みである。

 後発品、バイオシミラーに抵抗感を持つ医師も多いが、時代の流れが同社に味方した。DPC病院の増加である。先発品の抗がん剤があまりにも高額であることから、薬剤費を抑えたいDPC病院が積極的に後発品、バイオシミラーの抗がん剤を使ったことが、各種の抗がん剤をそろえている同社に幸いした。医薬品の中で後発薬の占める割合は30%を超えたが、抗がん剤に限って見れば、後発薬とバイオシミラーは50%を優に越える。特にDPC病院の存在が大きく貢献している。

 同社の売り上げがそれを示している。16年に創立100周年を迎えるのに合わせ、今年3月に16年3月期を最終年度とする3カ年の「中期事業計画」を設定した。中期事業計画は10年に定めていたが、昨年、上方修正したのに合わせて今年からの3カ年計画に改定したものだ。中期事業計画は16年に「売り上げ2000億円、営業利益300億円」を目標に掲げている。ある幹部は「医薬品事業の売り上げを近い将来に1000億円にしたい」と語っており、創業100周年の目標達成は医薬品の売り上げ増にかかっているようだ。そのため、10年当時、取締役常務執行役員として医薬品事業をけん引していた萬代晃氏を社長に抜擢し、16年の目標に向けた意気込みを示した。そのもくろみは今のところ、抗がん剤の品ぞろえとDPC病院の増加によって成功している。10年5月期に約497億円だった医薬品売り上げは今年3月期で約509億円に伸びた。

 追い風は吹き続けそうだ。DPC病院はさらに増えるとみられるし、何よりも田辺三菱製薬をただ一医薬品で支えてきた抗リウマチ剤「レミケード」の特許切れで始まった「医薬品の15年問題」と呼ばれる大型医薬品の特許切れが集中するのだ。レミケードに続いて抗がん剤の「ハーセプチン」「リツキサン」の特許切れが迫っている。17年には抗リウマチ剤「ヒュミラ」、18年には抗がん剤「アバスチン」と、世界で5000億円以上を売り上げる大型医薬品が次々に特許切れを迎える。 日本化薬も創業100周年に向けた「売上高2000億円への成長シナリオ」として医薬事業分野では後発薬の抗がん剤の上市によるシェア拡大、バイオシミラーのトップランナーとして「CT‐P13」(レミケード後続品)の市場浸透に期待を懸ける。

勝ち残るには資金力と販売力が必要

 同社の抗がん剤は73億円の売り上げを上げるパクリタキセルNKと、40億円の売り上げに達したカルボプラチンNKが中心だ。その抗がん剤に昨年、エヌケーエスワン(大鵬薬品の「TS‐1」後発品)が加わり、イマチニブNK(ノバルティスのグリベック後発品)の販売も今年から始まった。さらに好中球減少症治療剤の「フィルグラスチムNK」(協和発酵キリンの「グラン」後続品)も発売、薬価収載に合わせて今年末にも同社が期待するリウマチ治療剤「インフリキシマブBS」(レミケード後続品)を発売する予定だ。

その次にはやはり特許切れを迎えるロシュと中外製薬の抗がん剤、ハーセプチンも提携先の韓国メーカーの手で開発に取り掛かっている。抗がん剤の後発薬、バイオシミラーが続々登場するのである。日本化薬は今年度の医薬品事業の売り上げを前年度比8・1%増の550億円と見通しているが、十分達成可能だろう。 その上、16年までに間に合わせるのは難しそうだが、同社が夢を託す「ミセル化抗がん剤」がある。ミセル化とは国立がん研究センターが発表したもので、高分子でパクリタキセルのナノ粒子を内包すると、抗がん剤ががん組織に集中するという仕組みだ。日本化薬はその性質を応用した「高分子ミセル化パクリタキセル」がフェーズⅢに入り、もう一つの「高分子ミセル化カンプトテシン類」もフェーズⅡが始まっている。同社のがん領域に絞った医薬事業は一見した限りでは前途洋々に見える。

だが、現実にはがん領域はすでに「すきま」ではなくなっている。抗がん剤とその関連領域には外資はもちろん、国内大手製薬メーカー、後発薬専業メーカーも参入しつつある。例えば、同社が期待するフィルグラスチムはテバ製薬との共同開発だが、テバは別売するし、持田製薬と富士製薬も共同開発し、日本化薬と同時に発売している。有力視しているレミケード後続品に関しても、協和発酵キリンと富士フイルムが共同で同じ抗リュウマチ薬である米アボット(現アッヴィ)のヒュミラ後続品を出すし、アバスチンのバイオシミラーもヨーロッパで開発している。 今や日本化薬の医薬品は「日の当たる分野」になり、競争が始まっている。同社が競争に勝ち残るには品ぞろえだけでなく、豊富な資金力と販売力も必要になる。創業100周年に売り上げ2000億円の目標を達成する道は平坦ではない。

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