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未来の会

第187回 患者のキモチ医師のココロ
へき地医療のオンライン化に思う

第187回 患者のキモチ医師のココロへき地医療のオンライン化に思う

 へき地こそオンライン診療の導入を。

 そんなレクチャーを聴講した。早朝のオンラインレクチャーシリーズでその日、講師をつとめたのは、山口県立総合医療センター内の「へき地医療支援部」で診療部長をつとめる原田昌範医師。県内の離島でも医師不足が深刻で、常勤医の確保がむずかしいところはこれまで巡回診療で対応していたが、オンライン診療の導入も試みているのだという。

 昨年9月には原田医師がアドバイザーとなって、200人あまりが暮らす県内の柳井市平郡島で実証実験が行われた。オンライン診療所が設けられたのは、島の郵便局内の個室。患者さんはそこでテレビ通話を使って島外にいる医師の遠隔診療を受け、電子化されて薬局に送られた処方箋により、薬が自宅に郵送される仕組みだ。郵便局が選ばれた理由は、今後、へき地のオンライン診療の普及を見越したとき、郵便局であれば全国の津々浦々にあり、局員が常駐していてサポートを受けやすいから、ということだ。

 おそらく「オンライン診療ならもう導入している」というドクターたちも大勢いるだろう。とくにネットリテラシーが高い若年層が多く住む都市部では、コロナ禍が始まる前からすでにオンライン診療が普及し始めていた。「忙しくて受診の時間がない」といった人にとっては、オンラインでの診療や薬の郵送は負担の大幅な軽減につながる。

 もちろん、この仕組みをへき地医療で取り入れた場合、「急変時にどう対応する」という問題もあるが、現場に看護師がいなくても、血圧計や体温計などがあればサポート職員によりバイタルサインの計測も可能だ。それを参考にしながらテレビ通話での診療で、「なるべくすぐに実際に医療機関を受診した方がいい」「今日でなくて明日でよいので島外の病院に行きましょう。今日は患部を動かさないようにしてください」などの判断や振り分け、助言ならある程度できるだろう。

へき地医療で求められる“非オンライン性”

 オンライン診療はへき地医療にとっての救世主かもしれない、原田医師の話にうなずきながらそう思った。「自宅からスマホで」がむずかしい高齢者でも、「郵便局に来てくれればテレビ電話で先生と話せますよ」と言われれば、抵抗なく出かけられるに違いない。私がいま勤務している穂別診療所もかなり広範な地域の医療をカバーしており、公共交通機関はきわめて貧弱なため、「なかなか行けない」という声をよく聴く。そういう人たちにとって、郵便局あるいは自宅から接続可能なオンライン診療はどんなに助かるだろう。

 ところが、早朝のレクチャーが終わって外来診療が始まると、その考えが揺らいだ。患者さんたちからこんな言葉を聞いたからだ。

 「ここに来て先生や看護師さんたちの顔を見ると、なんだかホッとするのよ」「今回もなんとか診察に来られたよ。来月も来られるようにがんばるから。もうすぐ山菜の季節だから、採れたら先生にも持ってきてやるよ」「ふふ、血圧の薬をもらいに来て、ダンナのグチまで聞いてもらっちゃった」

 皆80代だが、通院が「診察や処方箋の交付」にとどまらず、それに付随してさまざまな意味を持っていることが分かる。医療機関の待合室で元気におしゃべりする高齢者の様子がよくシルバー川柳などで取り上げられ、笑いの種になっている。さらには「これぞ高齢者の不要な受診」として批判の対象になることもあるが、病院通いやそこでの患者さん同士、あるいは医療スタッフとのコミュニケーションが、やや大げさに言えば生活の柱や心の癒しにもなっているのだ。

 午前の外来が終わる頃には、「へき地医療にとって、オンライン診療はもっとも相性が悪いのではないか。ここでの診療こそ“非オンライン性”をもっとも求められているのではないか」と朝とは反対のことを考えていた。

 とくに地域医療やへき地医療では、「“先生の顔を見たい”などというのは医療の本質からは外れている。心の癒しは別の場所で見つけるべきだ」と切り捨てることはできないのと思う。それに精神医療というバックグラウンドを持つプライマリ・ケア医として言わせてもらえば、その“心の癒し”こそが体調の安定や正しい生活習慣のモチベーションに繋がることも少なくないのだ。オンライン診療でずっと薬を送ってもらっていた人と、対面診療の後、処方箋の交付を受けていた人。両者で治療効果や心理的満足度に差があるかどうかを比較調査した研究をまだ見つけられずにいるのだが、高齢者では少なくとも「オンライン診療の方が効果的」という結果にはならないと思われる。

 もちろん、高齢の患者さんが多いへき地医療こそ、医療以外の理由も含め病院や診療所に来てもらっての対面診療の必要性が高いのだが、へき地医療では医師の確保がむずかしいのも事実なのだ。というより、医師がいない地域だからこそ、次善の策としてオンライン診療が提案されているのである。

 こうして考えてくると、一方でオンライン診療の普及も大切、他方では地域医療やへき地医療の医師確保も大切、という結論にしかなりえないのが分かる。そんなに都合よくはいかないと言われても、やはり「オンラインがすべてを解決」とはならないのだ。

今の若者がシニアになる頃には

 ただ、十年後、二十年後には事態は大きく変わるかもしれない。オンライン診療の利便性を経験している若い世代は、自分たちがミドル、シニアになってからも比較的、抵抗なくこのシステムを使うと考えられる。彼らは「医療を受けるとは、自分の症状にあった適切なクスリをもらうことであり、医療機関で雑談をすることではない」と最初から認識できているので、医療がすべてオンラインで完結したとしても味気なさや物足りなさは感じないであろう。

 「それでも」と私は思う。いまはオンライン診療派の若い世代も、実際に高齢になりいろいろな心身に関する不安が出てきたり人生を振り返って話をしたくなったりする時が来るのではないか。これまではオンラインで誰にも直接、会わずに受診や薬の受け取りができたとしても、ふと「目の前にいる先生や看護師さんに話を聞いてほしい。直接、聴診器をあてて診察してもらいたい」と思う瞬間が来ることはないのだろうか。

 いや、そんな感傷的なことを言っている場合ではない。限られたマンパワーで必要な人に必要な医療を届けるためにも、医療の現場でもICT化は不可欠だろう。そのとき、忘れてはいけないことがある。それは、ICT化とは例えばタクシーからドライバーがいなくなり無人運転となったり、高齢者施設で介護職員がロボットになったりするように、人が現場から消たり人との接触の機会が減ったりすることを意味する、ということだ。それは患者さんにとってどういうメリットがあり、またどういうデメリットがあるのか。

 「この診療所から常勤医がいなくなるので、次回からはここじゃなくて郵便局に来てもらい、オンライン診療にします。必要な薬はちゃんと家に送りますから心配しないでください」

 この穂別診療所でも、いつか患者さんにそう伝えなければならない時がやって来るのだろうか。それを考えるだけで胸が痛い。診療所長も副所長の私も60代、「どうやって次の医者を見つけるか」と日々、話しているところである。

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