ネット民主主義の新たな光か、「反知性主義」の闇か
国民は政治を諦めてはいない。既存の政治に対する不信がこれ迄は「選挙離れ」へと向かっていたが、2024年11月17日投票の兵庫県知事選の投票率は前回21年の41・10%から55・65%に跳ね上がった。今回の県知事選は、斎藤元彦知事がパワハラ問題で県議会から全会一致の不信任決議を突き付けられて辞職したのを受けて行われ、斎藤知事が再選された。県民の審判は県議会の不信任決議に対する「ノー」だったという事になる。
慌てたのは、低投票率に慣れた政党やマスメディアだ。立憲民主党や国民民主党、公明党の他、前↘︎回知事選で斎藤氏を推薦した自民党の一部からも支援を受けた元尼崎市長の稲村和美氏が当初は優勢と見られたが、選挙戦が進むにつれて「改革派知事の斎藤氏が、県政を牛耳る既得権益層(県庁、県議会、マスコミ)からの不当なバッシングによって辞職に追い込まれた」というナラティブ(物語の語り口)がSNSを通じて急速に拡散した。NHKが投票所で行った出口調査では、投票する際に何を最も参考にしたか、との質問に対して「SNSや動画サイト」との回答が30%で「新聞」「テレビ」の各24%を上回った。新聞とテレビを足せば5割近くまでなるものの、旧来メディアへの信頼が失墜しつつあるのは間違いない。
「斎藤知事は被害者」のナラティブ拡散
「斎藤氏は悪くない。むしろ被害者」という設定は、斎藤氏を辞職に追い込んだ「悪」への攻撃を生み、その「悪」の一味と見做された稲村氏も誹謗中傷に晒された。「斎藤知事によるパワハラは無かった」という不確かな認識まで生まれ、斎藤知事のパワハラ問題を県庁内部から告発した、元西播磨県民局長への誹謗中傷も流布された。斎藤知事は1期目の辞職前、元局長の内部告発を公益通報と認めず、3︎月末の定年退職を取り消して停職処分を科した末の7月、元局長は自死した。1人の命の重みさえ、ナラティブによって軽視されるのか。NHKの出口調査で「SNSや動画サイト」を最も参考にしたと答えた人の約7割が斎藤氏に投票したという。森友学園問題で公文書の改竄を強いられた近畿財務局の職員が自死したにも拘わらず、当時の安倍晋三首相が政治責任を問われる事なく長期政権を維持したのが思い起こされる。
11月の米大統領選で共和党のドナルド・トランプ氏の勝利要因の1つとされるのが、、民主党の「ポリティカル・コレクトネス(political correctness=ポリコレ)の暴走」だ。ポリコレを日本語に翻訳すれば「政治的正しさ」。人種や民族、ジェンダー等に関連する少数派への差別・偏見を是正する政治的姿勢を意味するが、これが過ぎれば多数派の反発を招く。バイデン民主党政権はLGBTQ(性的少数者)の権利保護や同性婚の合法化等に熱心な余り、物価高に苦しむ国民多数派から「自分達の生活に目を向けようとしない綺麗事ばかりの民主党」と見做され、米国初の女性大統領を目指したカマラ・ハリス氏の敗北に繋がったとの見立てである。
ポリコレに対抗する政治姿勢が「反知性主義」だろう。科学的な知見や理性を重視する「知性主義」の根幹を成すのは、自らと意見の異なる他者の存在を受け入れ、社会的共存を図る態度だ。主権者たる国民による選挙を通じて合意形成を図る民主主義は、多数派が少数派を抑圧する危険を常に孕む。第1次世界大戦後のドイツが極めて民主的なワイマール憲法の下でナチス政権を誕生させ、多数派ドイツ民族の優越を唱えてユダヤ人を虐殺した歴史が民主主義の欠陥を人類に警告している。我が国の足下を直視すれば、在日米軍施設の約7割が集中する沖縄県の県民が米軍基地の縮小・移設をどんなに訴えても、他の都道府県民が等閑視している現状も明白な少数派への抑圧である。民主主義国家の健全な運営には少数意見を尊重する知性主義が欠かせない。
地球温暖化の科学的知見を否定し、移民を攻撃し、女性の妊娠中絶の権利を制限し、LGBTQの人権を軽んじるトランプ氏を米国民の多数が支持した。トランプ氏が訴えたインフレ対策への期待、「アメリカ・ファースト」への共感等が知性主義を凌駕した事になる。兵庫県知事選に於いて斎藤氏が少数派を抑圧する主張をした訳ではないが、斎藤氏に投票した県民の多くが斎藤氏のパワハラ問題から目を背けた。斎藤知事1期目に取り組んだ県政改革の評価とパワハラ問題の失策は別という判断には合理性も認められるが、1人の命が失われた事実を軽視し、自死した元局長を貶める事で斎藤氏を被害者に仕立て上げるナラティブは反知性主義の産物だ。
「トランプ現象」の日本上陸か
米大統領選を席巻した反知性主義が太平洋を越えて日本の兵庫県に上陸したのだろうか。SNSの普及が反知性主義を助長しているのだとすれば、そういう見方も出来よう。日本独自の事情を考えるなら、政治不信の蔓延は無視出来ない。裏金事件の真相解明を行わず、政治改革もおざなりに済ませようとした自民党に斎藤氏を批判する資格が有るのか。森友学園問題に止まらず、「加計学園」「桜を見る会」等の度重なる政権不祥事を不問に付して来た安倍長期政権下、国政選挙の投票率は5割前後に低迷する事が常態化し、有権者の半分しか投票しない中でその半分の支持によって維持される「4分の1政権」が「安倍1強」の実態だった。その様な既存の政治に対する不信感が兵庫県知事選に於ける斎藤氏支持に向かったと考えた時、それを反知性主義の一語で評するのには無理がある。
米大統領選でトランプ氏自らが「移民がペットを食べた」等の流言を公然と口にした様に、斎藤氏の陣営が意図的に元局長を貶め、パワハラ問題が存在しなかったとするストーリーを流布させていたかどうかが最大の焦点となる。兵庫県と取引関係にあるPR会社が斎藤氏陣営の広報戦略を請け負った疑惑も、公職選挙法に違反する買収だったかどうかに加えて、意図的なナラティブ創りが陣営の広報戦略に組み込まれていたかが追及されるべきだ。
兵庫県知事選で投票率が上がったという事は、これ迄なら棄権していたであろう人々が投票所に足を運んだ事を意味する。その多くがテレビや新聞を主たる情報源としない若年〜中年層だったと考えれば、SNSや動画サイトが主戦場となった事も理解出来る。テレビや新聞は報道内容がファクトである事をメディア側が保証するが、SNSや動画サイトに於ける発信のファクトチェックは受け手が自らの責任で行わなければならない。SNS・動画サイトとテレビ・新聞を組み合わせて判断するのが適切な手法ではあるが、兵庫県知事選では政治不信にメディア不信が重なり、メディアも斎藤氏を陥れた「悪」の一味だとするナラティブの前に、その様な理性的判断は力を失った様に見える。
物は使い様。SNSや動画サイトは情報を収集する有用な手段である一方、見たい物、信じる言説ばかりを追求出来る点で反知性主義との親和性も高い。反知性主義が蔓延れば、社会は分断され、少数派が抑圧される。健全な民主主義を守り、社会を安定させるツールとなるかどうかは、有権者がそれをどう使い熟すかに懸かっている。
政治不信の先に見えるのは反知性主義の闇か、ネット時代の新たな民主主義を照らす光か。兵庫県知事選の結果に責任を負うのは兵庫県民だが、そこから得られる知見や教訓を社会全体で受け止め、民主主義の発展モデルに繋げて行きたい。既存の政党と旧来メディアが失った信頼を回復し、民主主義に不可欠な存在たり得るかが大きな鍵となろう。25年は参院選や東京都議選が予定されている。石破政権云々ではなく、民主主義の試練が続く。
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