予想を覆す自民党総裁選を経て、石破茂内閣が出帆した。政権幹部らに押し切られる形で踏み切った史上最速の衆院解散・総選挙は辛うじて乗り切ったが、政権運営は不安定で、波乱含みのスタートだ。
同盟国の米国は間もなく新大統領に代わる。中国は米欧との経済対立を一層深め、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとイスラム組織との紛争も混迷が続く。就任早々、円高と株価大暴落の洗礼を受けた市場との対話も厄介だ。総裁選のしこりで、党内は不穏なまま。何より、国民の政治不信が収まっていない。自民党長老からは「短命に終わる」との声も漏れており、内憂外患、多事多難の船出である。
史上最短内閣と石破首相
石破内閣誕生で落胆と歓喜が交錯した東京・永田町で、或るSNSの呟きが話題をさらった。
「政権交代で石破内閣を『史上最短内閣』にすべき」
発信者は立憲民主党の小沢一郎・衆院議員である。
小沢氏をよく知る自民党関係者は「小沢さんが短命内閣を口にするのが何とも皮肉で、意味深だね〜。石破首相は当時、小沢さんと行動を共にしていたしね」と苦笑いした。
現憲法下で「最短」の内閣は、1994年の羽田孜内閣だ。存続期間は64日。小沢氏、羽田氏ら自民党離党者による新生党と社会党等による非自民連立政権の時代だった。羽田政権は内部対立による社会党の離脱で、少数与党に転落。羽田首相は解散を模索するが、小沢氏や石破氏らが翻意を迫り、総辞職に追い込まれた。非自民連立政権を実質、切り盛りしたのは小沢氏だった。当時の石破氏は政治改革、殊に選挙制度改革にのめり込み、小沢氏の下、一兵卒として動いていた。
羽田内閣が短命に終わった裏には、野党に転落した自民党、特に小沢氏らが嘗て所属した経世会(竹下派)の政治工作が有ったが、小沢氏の政治手法への身内の反発も大きかった。野党となった小沢氏らは勢力を再結集し、巨大野党「新進党」を結成し、2大政党型の政治体制への移行を目指す。石破氏は新進党に加わるが、権力闘争に明け暮れる小沢氏に疑念を抱き、自民党に復党した。
小沢氏と石破首相には共通点が多い。共に慶應大出身の2世議員であり、父親の死去に伴って20代で政界入りした。後見役は田中角栄・元首相である。小沢氏は吉田茂・元首相に重用された父・佐重喜の後を引き継ぎ、政界入り。吉田門下だった田中元首相の秘蔵っ子として育てられた。
石破首相は鳥取県知事を経て自治相(現総務相)等を務めた父・二朗の死去に伴い、田中元首相に口説かれて政界入りする。小沢氏と違うのは、当時の鳥取全県区には田中派の現職がいて、中曽根康弘氏の派閥「中曽根派」からの立候補となった事だ。以降、同派閥の幹部だった渡辺美智雄氏の薫陶を受ける。
石破首相に近い中堅議員は「田中元首相、渡辺元副総理が政治の師であり、小沢氏が反面教師だろうね」と語る。「握った手の数、歩いた家の数しか票は出ない」という泥臭い選挙哲学は田中元首相譲り、「政治家の仕事は勇気と真心を持って真実を語る事」という実直さは渡辺元副総理似なのだと言う。若い頃から、安全保障政策など国民の理解を得にくい問題を訴え、時に「裏表」の無い弁舌で物議を醸して来た石破首相の政治の基礎はこうして作られて行った。
新進党からの出戻り組には二階俊博・元幹事長らがいる。側近から「何でも拾って来る」とからかわれた二階元幹事長は「民主主義は数の力」と割り切り、勢力拡張を求め続けた。結果として、史上最長の幹事長となる。一方、石破首相は「数の力」よりも、持論を曲げない頑なさを優先した。一匹狼と言われる所以だ。
石破首相を支持する中堅議員が語る。「石破さんには、元来、オタク的なところが有って、周囲を気にせずにのめり込むタイプ。防衛相の時に大臣室で戦艦の模型で遊んだりとかね。只、出戻りで仲間がいなかったのだから持論を貫き通すしか、自分の存在をアピールする手立てが無かったという面は有ったと思う。総裁選に何度もチャレンジしたのも自民党という巨大組織に埋没して行く自分を鼓舞する手段だったんじゃないかな」。
田中元首相門下の兄弟子に当たる小沢氏は記者団にこう話している。「何度も(総裁選に)挑戦したが、確実に総裁になるという状況じゃ無かった事もあり、色々と理想論、悪く言えば、綺麗事を言っていた」。
出戻り組で長く自民党非主流派に在り、自身に注目を集める為にも「正論」を訴える立場に置かれていたとの分析だ。
首相就任後、早期解散へと踏み切って持論を曲げた事で就任直後の内閣支持率が最低レベルだった事にも触れ、「ちょっと違うじゃないか、みたいな類いの、ちょっとした不信感が一般の人の中にも有る」と付言した。
「最短内閣にする」と攻撃した割に口調は穏やかで、周辺は「打倒石破は変わらないが、石破首相の誕生に思うところが有ったのだろう」と話している。
自民党の歴史で見ると、石破首相は穏健派の系譜に属する。右派色の強かった安倍晋三・元首相とは対極に在り、党内の一部は「安倍政治の終焉」と位置付けている。「デフレ経済も旧統一教会や裏金問題も皆、安倍さん、安倍派の尻拭いだった」と述懐する岸田文雄・前首相が、〝安倍政治〟の再来を目指す高市早苗・前経済安保担当相ではなく、石破首相に乗ったのは自然と言える。
命運握る党内不和の解消
自民党の系譜で見れば、岸田前首相も石破首相も、吉田元首相を原点とする保守本流に属する。岸信介・元首相を原点とする安倍派とは根本が異なるのだ。端的に表れるのは、歴史認識だ。石破首相は「先の戦争は誤り。但し、指導者と国民を同列に論じた〝1億総懺悔〟はおかしい。国民は被害者だ」との考え。日本軍による南京大虐殺についても「規模はともあれ、虐殺が在ったのは事実」と、明快だ。同世代の安倍元首相とは正反対に在ると言っていいだろう。
石破政権の誕生は、大局で言えば、右派から左派への揺り戻しだ。当然、党内の軋轢は強まる。右派の高市前経済安保相とその支持派、衆院選で非公認とされた旧安倍派勢力との確執は、当面避けられない。党内に溜まる不穏なエネルギーをコントロール出来るかが政権運営の肝となる。
石破首相の財産は豊富な政治経験に在る。田中元首相、渡辺元副総理、そして小沢衆院議員。内部の反発を抑制し、挙党態勢に昇華させる試行錯誤を沢山見て来た。その経験を上手く生かせるかどうかが政権の命運を握りそうだ。
自民党ベテラン職員が語る。「俺は石破さんになると端から思っていた。只、スタートは最悪だね。最初からドン底。這い上がるという点では、小沢さんが反面教師として役立つのかなとも思うね」。
ベテラン職員は「最短内閣」の可能性も口にしながら、こう繋いだ。「政治には夢を売ってなんぼ、というのが有る。石破さんの本質は裏表無い率直な言説に在る。党内に向けて、そして国民に向けて、華の有るメッセージを放てるかどうか。そのタイミングと、それに至る下準備をどうこなして行くかに命運が掛かると思うね。それが出来なければ、瞬く間に尻すぼみになる」。
党内不和と国民の政治不信の解消に向け、田中流、渡辺流、そして小沢流を包含する石破流の政治が試される。
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