「レカネマブ」に続く新薬開発に患者らの期待高まる
厚生労働省は9月、米製薬大手イーライリリーが開発したアルツハイマー病(AD)治療薬「ドナネマブ」(商品名ケサンラ)について、製造販売を正式に承認した。近く保険適用する。
ADの原因物質とされる異常蛋白、アミロイドβ(Aβ)を脳内から除去して進行を遅らせる薬としては、昨年末に保険適用された日本のエーザイと米バイオジェンによる「レカネマブ」(同レケンビ)に次いで2例目だ。相次ぐ認知症新薬の開発に患者らの期待は高まり、専門医も「希望の光が見えて来た」と評価する。只、根治薬では無い上重篤な副作用の可能性も否定出来ない。課題は未だ山積している。
「ドナネマブ」と「レカネマブ」は何が違うのか
9月初旬、元会社役員の男性(72)は東京都内の医療施設でレカネマブの点滴を受けていた。男性は認知症の一歩手前の軽度認知障害(MCI)と診断され、5月から2週間に1回、点滴に通院している。投与から半年弱とあって未だ効果を実感出来ないのは仕方無いと思いつつ、間も無く使える様になるドナネマブが気になると言い、「どちらが効くのだろうとか併用は出来るのかなとか、色々考えてしまいますね」と苦笑いする。男性の主治医も「治療の選択肢が増える。状態に応じた使い分けも可能になって行くでしょう」と期待を寄せている。
ADは発症原因が特定されてはいないものの、20〜30年掛けて脳内にAβ等が溜まる事が原因というAβ仮説が最有力だ。溜まったAβは脳で炎症を起こして脳神経細胞を破壊し、脳の病変を引き起こすとされる。レカネマブ、ドナネマブとも原因物質とされるAβを除去し、進行を遅らせる点で共通している。
両剤はどちらも点滴によって体内に注入する抗体医薬品だ。抗体がAβにくっ付いて除去する点で作用も同じ。とは言え、作用するAβの段階には違いが有る。Aβは蓄積するうち次第に塊になって行くが、レカネマブは大きな塊になる前のプロトフィブリルという段階でくっ付く。プロトフィブリルは神経細胞に対する毒性が強いとされている。これに対し、ドナネマブはもう少し大きな塊になった段階のAβを狙い撃ちする。この為、効率良くAβを除去出来る可能性を秘めている。
両剤は臨床試験対象の人数、期間こそ1800人弱、1年半と共通しているものの、効果について専門医は「同じ条件の患者を対象にした訳では無く、比較出来る段階じゃない」と話す。尤も其の臨床試験の結果も、認知機能の低下をどれほど遅らせたかで比べると、レカネマブ27%、ドナネマブ29%と大差は無かった。
但し、Aβを除去する力はドナネマブがデータ上はやや優位に立つ。又、臨床試験の対象者をもう1つの原因物質とされるタウ蛋白の蓄積が少ない人に絞ったケースでは、ドナネマブの薬効を窺わせるデータが有る。
副作用はどうか。どちらも脳の一部が腫れたり、微少脳出血を起こしたりする「ARIA」が見られる。脳の腫れで見ると、レカネマブは12・6%の人に、ドナネマブは24%の人にそれぞれ生じた。数字の上ではドナネマブの方が副作用が強いように見える。
だが、レカネマブを処方している東京都内の医師は「日本人の場合、臨床試験の結果より副作用の出る割合が高い様に感じる」と言う。只、「画像で見る限り、もっと頭痛等の症状が出てもおかしく無いレベルなのに、誰もが無症状。其の点は臨床試験の結果と合致する」と語る。
ドナネマブとレカネマブでは、利用出来る人に若干の差が生じる可能性が有る。レカネマブは国際標準の認知機能テスト「MMSE(30点満点)」で言うと「22点以上」の人に投与出来る。21点以下の人は症状が進んでいて対象外と言う訳だ。これに対し、ドナネマブは臨床試験段階の基準に従って「20〜28点」の人を対象とする可能性が高い。共にMCIか早期の認知症の人を対象とした薬ではある。が、レカネマブは「20〜21点」の人が使えず、又ドナネマブは「29〜30点」の人が対象外となり兼ねない。
ある専門医は「20〜21点の早期の認知症の人はいるのにレカネマブは使えない。その点、ドナネマブなら使えるのは大きい」と言う。反面、ドナネマブが30点満点の人に使えない点には批判的だ。「30点満点でも実質MCIと言う人はいる。そうした極めて早期の人に投与してこそ効果が有るのだから」。
患者が生活を営む上で無視出来ない違いとなるのが、点滴の頻度だ。レカネマブは2週間に1回。他方、ドナネマブは月に1回でよく、こちらの方が通院の負担は小さい。エーザイとバイオジェンは患者の負担軽減に向け、レカネマブを自宅等でも自己注射出来る様にする準備を進めている。
投与の期間も異なる。共に標準は1年半ながら、レカネマブは効果が認められる限り、1年半を過ぎても使用し続ける事が可能だ。片やドナネマブは6カ月でAβが十分減っていれば投与を終える事が出来る等、治療の終了時期が設定されている。
高額な「ドナネマブ」と「レカネマブ」
両剤は共に遺伝子組み換え技術を用いており、高額なのが特徴だ。只でさえパンク寸前の日本の保険医療財政を圧迫する要素となり兼ねない。
「2つの薬が完全に市場を分け合う形になるのか、市場が拡大していくのか慎重に見て行く必要が有る。トータルで保険財政に大きな影響を与える事が想定され、(2つの薬の)使い分け規準の整理、市場拡大再算定(予想を上回る売り上げの薬の価格を下げる仕組み)の在り方も議論する必要が有る」
9月25日、ドナネマブの薬価収載に向けて議論した中央社会保険医療協議会総会。支払側の委員、松本真人・健康保険組合連合会理事はレカネマブ、ドナネマブを患者の状態に応じて使い分ける事で認知症薬市場の無尽蔵の拡大を防ぐ必要性に触れ、薬価も抑えて行くべきだと訴えた。厚労省保険局医療課の清原宏眞・薬剤管理官は2剤の使い分けについて「現状のデータ等で可能な限り検討を進めてもらう」と応じた。同省はドナネマブの薬価算定についてレカネマブ同様特別ルールの適用を検討している。
レカネマブの日本の薬価は、年間約298万円。対するドナネマブの日本の薬価は間も無く決まる見通しだが、米国の価格は年3万2000㌦(約480万円)となっている。何れも自己負担の上限を抑える高額療養費制度を使う事で患者の負担はある程度抑えられる。それでも高齢化のスピードを踏まえると投与対象者の増加は避けられず、医療保険財政への影響は必至だ。
レカネマブ、ドナネマブとも原因物質は取り除いても、既に壊れた神経細胞を修復する力は無く、認知機能を元の通りに巻き戻せる訳ではない。多くの医師が「症状の進行を抑えたと言われても、患者や家族は効果を実感し難いだろう」と懸念する所以だ。
より早期に使う治療薬の開発が求められる
先述した通り、Aβ原因説は仮説の段階に留まる。仮に立証されたとしても、未だ「何故Aβが脳内に溜まるのか」という上流部分は未解明のまま。今後はAβが溜まる原因を突き止め、蓄積自体を防ぐ治療薬の開発が待たれる。Aβだけでなく、他にも脳に溜まる蛋白質、タウ等を取り除く薬が必要だ。
更に、進行抑制のみならず、認知機能の低下を止め、回復に向かわせる治療薬の開発が求められる。その点では傷んだ神経細胞や神経回路の修復を促す治療薬について研究が進められている。神経回路網を蘇らせる再生医療にも期待が集まる。
「レカネマブ、ドナネマブは原因物質を取り除く所まで来た。壁は厚いとは言え、大きな第一歩だ」。ある専門医はそう話す。両剤は症状が軽い人ほど薬の効果が大きいとされる。ドナネマブの臨床試験では、MCIの人は60%症状の進行を抑える事が出来た。「ADの早期発見・治療の重要性を示唆している」と述べた上で、「アミロイド抗体医薬によるアルツハイマー病の治療は、より早期に薬を使う『予防』へとシフトして行くだろう」と見据えている。
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