キャッシュバックの観測気球
2024年8月1日に厚生労働省の第2回「妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会」が開催され、日本産婦人科医会や日本助産師会の構成員達からのヒアリングで、「出産費用(正常分娩)等の保険適用」に対する消極的姿勢が述べられていた。要は、施設維持が大変なので、出産育児一時金を(42万円から50万円に上がったばかりではあるが)その2倍以上の100万円から140万円くらいにまで引き上げて欲しいという要望そのものである。
そうした折の8月13日に突然、読売新聞オンラインに、「出産診療報酬『50万円以内』、妊婦は自己負担ゼロ・現行一時金との差額支給も……政府検討」という見出しの記事が掲載された。
その内容は、「政府は、出産費用への公的医療保険の適用を巡り、医療機関に支払われる診療報酬を原則として『50万円以内』とする方向で検討に入った。妊婦に対しては、通常の保険医療の場合にかかる3割の自己負担をゼロとすることに加え、50万円から出産費用を差し引いた額を一時金として支給することを検討している」「出産一時金の支給も一部存続する方向だ。現行の50万円の一時金は、出産費用が50万円を下回れば差額が妊婦の手元に残る仕組みで、家計にとっては出産だけでなく、育児費用に充てるための貴重な資金ともなっている。このため、保険適用後も、費用が50万円未満の場合は差額を一時金で支給し、制度変更の前後で不公平感が出ないよう配慮する」などというものであった。
ただその記事は、一見して明らかな、いわゆる観測気球(アドバルーン)の観測記事である。そこで、間もなく開催された第3回検討会(8月21日)の冒頭で、担当局である厚労省保険局の保険課長が、適切にその正しい部分と誤った部分とをクリアーに釈明して一件落着となった。その釈明は、「『こども未来戦略』におきましては、26年度を目途に出産費用の保険適用の導入を含め、出産に関する支援策のさらなる強化について検討を進める、と閣議決定がされております。それを踏まえて、この検討会において検討策を議論していただいているところでございますけれども、もちろん現時点で政府において、その結論、方向性も含めてでありますけれども、決まった方針はございません。ですので、それはこの報道についても、こういう報道というものは事実ではございませんので、この点については改めて申し上げたいと思います」というものであり、正当な釈明内容であったと言ってよい。
現物給付化の真の意味一妊産婦の選択の自由
引き続いて行われた第3回検討会では、「妊産婦の声を伝える者」(妊産婦の立場の構成員達)から「妊産婦等の負担軽減」の観点から「自己負担無し」「費用無償化」といった趣旨の発言が繰り返された。その直後、産婦人科医側の構成員から、非常に鋭く優れた質問が、それら妊産婦の立場の構成員らに対して発せられることになる。
それは、「結局、皆さんの費用負担を少しでも安くして、安心して安全に産める環境を整えてあげるということが、保険化というもの以外の方法で達成されるならば、それでもよろしいのかどうか、あるいは保険化ということにこだわりたいのかということが1つです。この質問をぜひ皆さんにお答えしていただきたい」という質問であった。非常に良質の質問である。保険化の本質を顕在化させるもので、賞賛に値する質問だと評しえよう。
さて、その質問に対する回答であるが、うち3者は、費用負担を軽減あるいは無償化すればよい、というものに過ぎなかったのである。無償化すればよい、という程度であるのならば、その実質は、保険適用反対・現物給付化反対というに等しい。
しかしながら、ある1人の回答だけは、グレードが異なっていた。それは、「保険化になりますと、医療の内容の標準化ができるかと思っているのです」「選択のメニューといいますか、内容としてお産が保険診療化されていると考えやすくなるのではないかと思ったところです」というものである。
この回答だけは、「現物給付化の真の意味」に言及していると評してよい。それは、複数の現物給付に「類型化」(標準化)し、妊産婦に多様な「選肢肢」を提示して、「多様なニーズ」に応じられるようにし、「妊産婦の選択の自由」に資するようにしようと意図したものだったのである。
パターナリズムからの脱却
現在の産科医療は、残念ながら、今もってパターナリズムが濃厚に残っているように思う。産科と美容以外の他の診療科は、すでに保険化の中で揉まれて、パターナリズムから真のインフォームドコンセントに移行して来ている。ところが、産科には今もって、昔のパターナリズムが残っているように思う。今回、保険化で問題にしているのは、「異常分娩」ではなく、「正常分娩」である。「異常分娩」ならばある程度のパターナリズムも理解しうるが、特に「正常分娩」は「普通の、日常的な、かつ生理的な生活場面(ノーマル・ライフ・ステージ)」の典型であるので、特にパターナリズムにはなじまない。
この点、ある妊産婦中心の市民団体では、24年7月24日にすでに「正常分娩を保険適用の対象とする妊産婦中心の『出産保険』制度の創設を求める提言」(第2弾)の第5項で、「現物給付化」における「標準化」(類型化)の意義を次のとおり説明している。
「『現物給付』化する趣旨には、国民の『経済的負担』の軽減、給付の『安全性』の確保、給付の『標準化』(複数の類型化)という要請が込められている。適正な評価額相当での給付、第三者の専門家達が安全性を検討した上での類型化、などが行われるので、一般国民は安心して『標準的な現物給付』を複数の選択肢の中から選択できるのである。なお、ここで言う『標準化』は、『画一化』ではない。同様の疾病や負傷(や出産)に対して、複数の『標準的な現物給付』を設定して、むしろ『多様なニーズ』に応じるものなのである」
さらに詳しくは、筆者も「出産の保険化に関する法的論点の整理」(本誌24年8月号)で解説しているので、興味のある方は参照されたい。
キャッシュバックの意味するところ
前述の提言の第6項では、キャッシュバックについて、「現物給付のレセプトで出産育児一時金の残額が出てきたら、差額分については、保険組合が妊産婦に振り込む。出産育児一時金制度は存続させ、現物給付分を差し引いた残額の現金給付を行うシステムを構築すべきである」と説明されている。これは、妊産婦の「多様なニーズ」に応じるべく、その選択肢として「キャッシュバック」を増やしたものではあるが、実はそれだけに止まらない。
往々にして、医療提供者側は、産婦人科医も助産師も同一歩調で、価格を引き上げたがるものであろう。しかしながら、デマンドサイド(需要側)である妊産婦からすれば、価格は安い方が望ましいのも当然である。ただ、保険制度において、国・自治体または保険者の負担において「費用無償化」してしまうと、デマンドサイドからの誘引力(引力)が無くなりがちである(需要の価格弾力性が小さくなる)。そこで、その価格引下げへの誘引力(引力)を再生すべく、制度としてのキャッシュバックを導入することが望ましい。
第3次お産革命
このように、妊産婦の「多様なニーズ」に対して、「分娩介助」等の行為類型の面と、自己負担無償化やキャッシュバック等の費用負担の面の両面で対応していくことこそが、真の「妊産婦等の支援策」となるのである。
そして、正常分娩の保険化が真の「妊産婦等の支援策」となるのであれば、それは第1次お産革命(20世紀初頭、新産婆の登場)、第2次お産革命(1960年代、正常分娩への医師の立会い)に続く、第3次お産革命(正常分娩の保険適用。妊産婦中心のお産の普及)とでも称すべきものとなることであろう。
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