「アジア版NATO」が映す準備と覚悟の欠如
「神の見えざる手」とでも言おうか。9月の自民党総裁選は誰もが予期しない方向に転がった。〈国民人気の高い石破茂・元幹事長と小泉進次郎・元環境相が党員投票で9候補の混戦を抜け出し、多くの国会議員票を固めた小泉氏が決選投票で石破氏を破って新首相に就任。自民党は余勢を駆って衆院解散・総選挙に打って出て政権を維持〉|。菅義偉・元首相等が描き、岸田文雄・前首相も乗ったかに見えた「小泉首相」誕生シナリオは何故「神」ならぬ「民」の祝福を得るに至らなかったのか。
自民党総裁選の過程で小泉氏が失速したとされるが、社会調査研究センターの世論調査で自民党総裁に選ばれて欲しい政治家を尋ねた結果は8月が①石破氏23%②小泉氏16%③高市早苗氏11%、9月が①石破氏26%②高市氏17%③小泉氏14%。小泉氏が失速したと言うより、高市氏が伸びていた。
「小泉改革」でも「安倍回帰」でも無く
総裁選で投票権を有するのは党員であって一般国民ではない。同センターの世論調査結果を自民党支持層に限って見ると、8月は①小泉氏23%②石破氏21%③高市氏14%だが、9月は①高市氏29%②石破氏24%③小泉氏23%と順位が逆転し、高市氏が急伸していた。総裁選で小泉氏が掲げたのは、選択的夫婦別姓制度の導入や政治改革等、従来の自民党では為し得ないと見られて来た政策だった。自民党自身が変わらなければ次の選挙で負けるという危機意識が党内に広がり、国会議員票では小泉氏が優位に立つ情勢が形成された。だが、自民党支持層の一部には小泉氏の掲げる改革が急進的と受け止められ、安倍晋三・元首相の長期政権に郷愁を抱く人々は、保守的な主張で安倍路線への回帰色を滲ませる高市氏を支持した。
自民党支持層の間で高まった「高市人気」に乗ろうとしたのが麻生太郎・元首相だった。大の「石破嫌い」で知られ、小泉氏の後ろ盾である菅元首相とも対立関係にある麻生氏にとって、自身の影響力を確保出来るシナリオは「高市首相」しか無い。麻生派から河野太郎・前デジタル相が立候補していたにも拘わらず、麻生派の一部の議員票を高市氏支持に回す事で勝負に出た訳だが、麻生氏の勝負手に「神」は微笑まなかった。安倍路線に回帰した自民党では選挙に勝てないと言う危機意識が、過去の栄光に縋る郷愁に勝ったとも言える。生き残りを賭けた生存本能による消極的選択の結果が石破首相だった。
1回目の投票で高市氏をトップに押し上げたのは党員票だ。国会議員票と合わせた得票数で見ると、1位高市氏の181票と3位小泉氏の136票の差は45票。2位石破氏の154票と小泉氏の差は僅か18票。麻生氏の動向が影響を与えたとしたら、小泉氏から一部の国会議員票を引き剥がして3位に転落させた可能性だ。国会議員票で優位に立っていた小泉氏との決選投票になれば高市氏に勝ち目は無い。石破氏との決選投票なら勝負になると考えたか。
今回の総裁選で想定された決選投票の組み合わせは「石破・小泉」「高市・小泉」「高市・石破」の3通り。この中で「石破・小泉」「高市・小泉」は何れも小泉氏の勝利が確実視されていた。「最後の戦い」と位置付けて5回目の総裁選に臨んだ石破氏にとっては唯一、首相の座に手が届く展開となり、決選投票の結果は石破氏215票・高市氏194票だった。「石破嫌い」の麻生氏にとっては皮肉な結果だが、「菅憎し」で自ら打った賭けに負けたのだから仕方あるまい。そもそも麻生氏が政局に勝とうが負けようが、所詮は国民生活とは無縁の永田町の駆け引きに過ぎず、「神」が与り知る話でも無い。重要なのは、結果的に自民党が石破首相を選択した事実であり、それがこれからの日本の政治に及ぼす影響だ。
自民党という1つの意識主体が存在する訳ではないが、急進的な改革を主張する小泉氏ではなく、安倍路線への回帰を志向する高市氏でもない石破氏を選んだ背景には、半端な党改革でお茶を濁しても何とかなるだろうという「甘え」が見え隠れする。石破氏もそうした党内のムードを感じるからこそ、総裁選中は否定的だった即時の衆院解散・総選挙に踏み切ったのだろう。しかし、国民的人気を背に誕生した石破政権への「御祝儀」で1人でも多くの仲間を救おうと言う思惑は国民に見透かされ、自民党派閥の裏金事件を有耶無耶にする事を狙った「裏金隠し解散」だという野党の批判に勢いを与えた。
自民党の経年劣化と日本政治の漂流
石破首相は「日本創生解散」と名付けて「日本を守る、地方を守る」と訴えたが、党内野党として安倍元首相等を批判して来た歯切れの良さは影を潜めた。総裁選で小泉氏が明言した選択的夫婦別姓の導入も、政党が自由に使える政策活動費の廃止も、石破首相の口の端には上らない。衆院選で「裏金議員」を公認する方針が報じられて強い批判を浴び、慌てて12人の非公認を発表したが、石破首相に改革を期待して裏切られたと感じた人々の「石破離れ」は止まらない。衆院選で何とか公明党と合わせた与党過半数の議席を維持出来たとしても、その後の政権運営で石破首相は何を成し遂げようとするのか。安倍派を中心とした「裏金議員」の落選を待って党改革に着手するつもりなのかも知れないが、自民党にその自浄能力があるのか。
更に懸念されるのが外交・安全保障政策だ。石破氏と言えば、防衛相を経験し、「軍事オタク」としても知られ、安全保障政策に精通しているイメージが有るが、その人脈や知見は政治家と言うより学者と言った方が良い。例えば「アジア版NATO」の創設。北大西洋条約機構(NATO)の様な安全保障の枠組みをアジアにも構築しようと言う構想だが、注意しなければならないのは、石破首相がこれを「集団安全保障」の枠組みとして提起している点だ。専門的な話になるが、NATOは元々、旧ソ連に対抗する軍事同盟の枠組みであり、その根幹に有るのは、NATO加盟国が域外国から攻撃されたら結束して反撃する「集団的自衛権」の行使だ。
それに対し集団安全保障とは、加盟国同士が互いに戦争しない事を約束し、その約束を破った国には罰を与える枠組みだ。国連がこれに当たるが、ウクライナを侵略したロシアにも、ガザ地区やベイルートで虐殺を続けるイスラエルにも罰を与える役割は果たされず、国連の機能不全が指摘されている。アジア版NATOを集団安全保障の枠組みとして機能させるには、東南アジア諸国やインド、韓国等の民主主義国家のみならず、中国やロシア、北朝鮮等の権威主義国家もメンバーに加える必要がある。
石破首相が政治家として長年に亘ってアジア版NATO構想を温めて来たのであれば、米国を含む各国のリーダー達と議論を重ね、構想の具体化へ向けた国際的な地均しをした上で満を持して外交の俎上に載せるのが筋だ。そうした準備を怠ったまま、首相の座に上り詰めて尚、一学者の如く非現実的な理想論を語れば、他国のリーダー達は石破首相の真意を訝り、疑心暗鬼を生じる。石破首相は日米同盟の強化に絡めて日米地位協定の改定にも意欲を示しているが、その真意も米側には伝わっておらず、日米外交筋は「ペンタゴン(国防総省)も国務省も石破首相への警戒を強めている」と懸念する。
結局、石破首相がこれ迄主張して来た党改革も、アジア版NATOも、歯切れ良く理念は語れても、実行する準備も覚悟も出来ていなかったと言わざるを得ない。急場凌ぎで石破首相を担いだ自民党も「安倍後」の展望を描けないまま、経年劣化で軋む権力構造の延命に汲々としている。斯くして自民党に救世主は現れず、国民の政治不信は極まれり。「神の見えざる手」は自民党の劣化を国民の眼前に突き付けたその先、漂流する日本を何処へ導くのか。
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