診察室で、思わず頭を抱えてしまうできごとがあった。読者の先生たちならどうするだろう。以下に、個人が同定されないよう改変を加えて、アウトラインだけ記そう。
その女性患者さんは50代。いわゆる「トリプルネガティブ乳がん」で、当地からいちばん近い(と言ってもクルマで1時間半以上かかる)総合病院の外科で治療を受けつつ、受診のあいだのフォローは当診療所で行っている。
家族歴などをよくきくと、乳がんの親族がとても多い。「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」の可能性が高いのではないか、と思った。外科の主治医の口からは、遺伝子検査の話などは出ていないという。
その人は30代の娘とふたり暮らしで、「私の乳がんは治療が遅れ、余命宣告までされている。それは仕方ないけど、私がいなくなっても娘には健康で暮らしてもらいたい」と語った。私が「だとしたらなおさら、あなたも娘さんも、遺伝子検査を受けた方がいいかもしれませんね」と言うと、彼女も「そうですね」とうなずいた。私は外科の主治医に相談の手紙を書いて、次の受診の際に持参してもらった。
外科の医師からはとても丁寧な返事が来た。それによると、HBOCは十分、考慮されるべきと自分も考えたが、問題は費用なのだという。
以下にその内容を簡単にまとめてみたい。
「HBOCの診断に必要なBRCA1/2遺伝子検査は現在、一定の条件を満たすケースでは保険適用となっている。この患者さんはそれを満たしているが、それでも3割負担で6万600円、1割負担で2万200円の自己負担が発生する。そのほかに手技料なども別途、発生する。
もし、その検査で本人の遺伝子に病的変異が同定されたら、娘さんは同じ遺伝子に限った検査(シングルサイト)を受けることができる。この血縁者診断の検査費用は3万3000円である。」
患者さんは経済的な事情も抱えており、外科の医師はそれもよく知っていたので、あえてこの検査を提案しなかったのであろう。
うなだれる患者を目の前にして
次に当診療所を受診した際、「これくらいかかるそうです」と説明した。すると彼女は、「とても無理です」とうなだれた後、こう質問した。
「もし検査を受けたとして、娘もその遺伝子の異常があるとわかったからといって、何か予防的な治療はできるの?」
今度は私がちょっとうなだれる番だった。欧米では、がん未発症のHBOCに対して予防的乳房・卵巣切除が行われることもあるのはよく知られているが、日本ではまったく健康な乳房を切除するというケースはほとんどない。万が一、それをしたいとなったら、その費用は保険適用にはならない。その説明をしたあと、私は言った。
「あとは、一般的に18歳から毎月の自己検診、25歳をすぎたら医師による半年ごとの視触診、1年ごとのマンモグラフィーやMRIを加えた検診を受けることが勧められてます。とにかくごく初期の乳がんを見逃さない、ということです。これを一般の検診と分けて『サーベイランス』と呼んでるんですよ」
女性はこう言った。
「娘はまだ30代だから、乳がん検診のお知らせも来てないみたい。これも仮定の話だけど、遺伝子に問題があって、その『サーベイランス』を受けるとなったら、それは保険診療でできるの?」
私はさらにうなだれた。サーベイランスは自費診療として受けてもらうしかないのだ。
結局、彼女から娘さんに遺伝的に乳がんや卵巣がんのリスクが高いと伝えてもらい、市町村の乳がん検診の対象延齢になったら必ず受けること、それまでは自己検診を毎月行い、少しでもあやしいと思ったらすぐに乳腺科を受診することを約束してもらう、という結論に至った。
女性の外科の主治医は、この結論が最初から見えていたからこそ、あえてHBOCの話や遺伝子検査の話をしなかったのだろう。ある意味、それは賢明だったかもしれない。
最近、増え続ける医療費が日本の財政を圧迫している、という話題がときどき取り上げられる。そのたびに、湿布は健康保険でカバーするのをやめろ、高齢者の看取りは医療機関ではなくて施設や自宅で行うべきだ、といったさまざまな“医療費抑制対策”が語られる。ある自治体のホームページには、「私たちが健康でいることが、医療費を抑えるために一番大切なことです。特に、生活習慣病(糖尿病、高血圧症、肥満等)を予防することを心がけましょう」などと、これらの疾患が自己責任であるかのような文言も記されている。
もちろん、これ以上、医療費が増え続ければ健康保険制度そのものが破綻しかねないので、その抑制が重要な課題であることはよくわかっている。ただその一方で、今回、紹介したケースのように、個別の切実な事情があり、本人の遺伝子検査、さらに娘の遺伝子検査を行うことが必要と思われる場合でも、いわゆる“お金の問題”でそれがかなわない、といったこともあるのだ。「私に十分な稼ぎがないから、大事な娘のがんのリスクも調べられない」と言う女性に、私はかける言葉を失った。
「最後まで見捨てません」と言いたい
現在、厚労省が認める「先進医療」は77種類あり、その費用は患者が全額、自己負担で支払うことになっている。それらの内訳を見ると、決して“ぜいたくな治療”ではなく、陽子線治療は重粒子線治療など、患者の生命的予後に直結するようなものも多い。民間の生命保険でそれをカバーするものも少なくないが、そのためにも一定の費用を支払い続けなければならない。「この治療を行えば命が助かるかもしれないのに、お金の問題で受けさせてあげられない」というとき、家族の苦しみはどれほどだろうか。
いわゆるかかりつけ医として患者の人生にかかわる医師は、こういった患者や家族の悩み、迷い、なげきにもつき合わなければならない。そのときに「まあお金がないんだからしょうがないですよ」とドライに現実を突きつけるだけでは、患者は絶望するばかりだろう。そこでいちばん大切なのは、「たとえ先進医療を受けられなくても、私はあなたを見捨てることなく、ずっといっしょにがんばるつもりだ」というメッセージだと思う。「可能な範囲でできるかぎりのことをする」「最後まで見放すことはない」と医師に言ってもらうだけで、患者や家族にとってはどれほどの救いになることか。
さまざまな方面の尽力もあって、がんなどの病名告知に関しては、多くの医師が患者に寄り添った形での説明を行えるようになってきた。昭和の昔は「9割9分、がんだね。どれくらい悪いか?そんなの切ってみなきゃわからん」などと言い捨てていたことを思うと、隔世の感がある。
ただ、この「高度な医療があるのに経済的理由で受けられない人」に対する説明や寄り添いに関しては、まだまだ苦手とする医師が多いように思う。医療は「お金がないならそこで終わり」とはいかない。それぞれの患者や家族には個別の事情がある。そのことを再度、認識して日々の診療にあたりたいと思う。
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