「進次郎首相」は「純一郎首相」になれるか
自民党総裁選の結果は本稿執筆時点では定まっていない。しかし、小泉進次郎・元環境相が第28代自民党総裁、即ち第102代日本国総理大臣就任に向けて、一歩リードしている様相だ。
小泉氏が9月6日に行った総裁選出馬表明の記者会見は鮮烈だった。派閥の裏金事件が批判を浴びる中でも、自民党が手放さなかった政策活動費を廃止する▽先の国会で自民党が日本維新の会と合意しながら実現していない、調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)の使途公開と残金返納を義務付ける▽選択的夫婦別姓を認める法案を国会に提出する||。小泉氏はこれらを「1年以内に実現する改革」と位置付け、「長年議論ばかりを続け、答えを出していない課題に決着を付けたい」と打ち上げた。
平成の「小泉旋風」を令和に再び?
もし仮に岸田文雄・首相がこれらの改革を実行していたら、内閣支持率が地を這う事は無く、総裁選不出馬に追い込まれる事も無かっただろう。岸田首相に政治改革が実行出来なかったのは、総裁再選を目指し、裏金事件に拘わった安倍派等の議員から支持を得たいと考えたからだ。岸田首相本人は元来賛成だった選択的夫婦別姓の導入に後ろ向きの対応を続けたのも、安倍派等の党内保守系議員への配慮からだ。全ては総裁再選を果たし、安倍晋三・元首相に続く長期政権を手にする為だった。
では、岸田首相に出来なかった事を、なぜ小泉氏は公約に掲げる事が出来たのか。その理由は小泉氏の父純一郎・元首相が2001年の参院選で巻き起こした「小泉旋風」を思い起こせば分かり易い。当時の自民党は森喜朗・首相の不人気で党勢が低迷。「森首相のままで7月の参院選は戦えない」という声が広がって森首相は4月に退陣。「自民党をぶっ壊す」と言って改革を訴えた純一郎氏が後継の総裁・首相に選ばれた。前任の首相が不人気であればある程、後継首相はその反動で高い人気を得られる。キーワードは「改革」。前任者が出来なかった改革を「自分なら出来る」と訴えれば良い。自民党の議員や組織は何も変わっていないのに、新総裁が「自民党を変える」と叫ぶ事で、あたかも擬似的な政権交代が起こったかのような錯覚を有権者側に生起させる。
小泉氏は総裁選出馬会見で「私が総理・総裁になったら、出来るだけ早期に衆院を解散し、私の改革プランについて、国民の信を問う」と宣言した。23年前と違って、次の参院選(来年7月)まで未だ1年近く有る。衆院議員の任期満了(来年10月)迄は1年余り。岸田首相のままジリ貧の党勢で衆院解散・総選挙を迎える事を恐れていた自民党議員達にとって、総裁選後直ちに衆院選が行われて我が身が救われるなら、多少の既得権益を失っても背に腹は代えられない。国民にとっても、頼りにならない野党に政権を委ねるより、「小泉改革」を前に進めてもらった方が良い。斯くして再び「小泉旋風」が吹き荒れ、01年参院選や05年衆院選(郵政解散)の如く自民党を大勝に導くのだろうか。
岸田首相にとっては、改革を実行出来ない駄目首相を演じつつ身を引く事で、自民党再生の立役者となるシナリオの完成だが、それが本望ではあるまい。3年の在任期間中、岸田首相の目標で在り続けたのが憲政史上最長政権を築いた安倍元首相だ。自身は自民党内でリベラルの系譜に位置付けられる宏池会(岸田派)を率いながら、安倍長期政権を支えた保守層の取り込みに腐心した3年間だった。外交・安全保障政策では、防衛費倍増方針を継承し、日米同盟強化に邁進した。憲法改正に積極的な姿勢を発信し、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党総書記との首脳会談を模索し続けたのも保守層へのアピールだ。しかし、安倍政権の岩盤支持層を繋ぎ止める事は出来なかった。その要因が防衛増税への反発だったり、安倍派を震源とする裏金事件だったりするのは皮肉な話だ。安倍政権で軽視された少子化対策に本腰を入れようとして財源問題を批判され、アベノミクスの負の遺産と言える物価高にも苦しんだ。「安倍首相」になろうとしても叶わず、結果的に安倍長期政権の尻拭いに追われた岸田首相の3年間だった。
「強い外交」に潜む物足りなさと危うさ
小泉氏は総裁選の公約で「強い外交」を打ち出したが、日米同盟の更なる強化と防衛力の増強、オーストラリア等の同志国との協力拡大によって「中国・ロシア・北朝鮮といった権威主義体制に毅然と向き合って行く」外交方針は安倍政権以来一貫したものだ。小泉氏は出馬会見で、11月の米大統領選でトランプ・前大統領が返り咲く可能性を念頭に「米国自身が『米国ファースト』の政策を打ち出す傾向を強める中で、我が国には『自らの存立、平和と安定は自分たちの手で守り抜く』気概がますます求められている」と述べたが、具体的にどう備えるのか。ロシアのウクライナ侵略、イスラエルのガザ攻撃への言及も無く、外交・安全保障分野に関して言えば「改革」を謳うには物足りなさが否めない。
懸念も残る。小泉氏が「拉致問題の解決は、これ以上先送り出来ません。同年代のトップ同士、胸襟を開いて直接向き合う適切な機会を模索したい」と述べ、金総書記との首脳会談実現に意欲を示した事だ。拉致問題と言えば02年当時の純一郎首相が北朝鮮を電撃訪問し、金正日総書記(金正恩の父)との首脳会談を行って拉致被害者5人の帰国を実現した「小泉訪朝」が日本外交史に刻まれている。20年以上の月日を経て息子の小泉氏が決着へ動くというのは誰もが期待したくなるシナリオではある。だが、今や北朝鮮は核兵器保有を宣言し、ウクライナ侵略を続けるロシアに武器を供与し、民主主義国家陣営の主導する戦後国際秩序に公然と敵対する「ならず者国家」。その独裁者に安易に近付けば、民主主義陣営内で不信を買い兼ねない。
安倍元首相も、岸田首相も、金正恩総書記との会談を模索し続けた。「小泉訪朝」に官房副長官として同行し、長く拉致問題に取り組んで来た安倍元首相の尽力には敬意を表したい。そうした下地の無い岸田政権が北朝鮮に秋波を送り、水面下で接触していた事実からは、国内保守層への「やってる感」のアピールに加え、あわよくば政権のレガシー(政治遺産)にしたいという思惑が透ける。外交交渉と呼ぶにはあまりにも拙い。それを見透かした北朝鮮の金与正・朝鮮労働党副部長(金正恩の妹)が「日本政府がこれ以上、拉致問題に拘るのであれば、岸田首相の構想は人気取りに過ぎないとの評価を免れないだろう。自分が望み、決心したからといって我が国の指導部に会えるものではないことを首相は悟らなければならない」との談話を発表したのは、岸田内閣の支持率が低落していた今年3月。北朝鮮側から交渉相手と見做されていない現実も然る事ながら、極秘の接触を暴露されて佇む岸田外交の稚拙さに呆れたのは筆者だけでは無かっただろう。
政権のレガシー作りという意味では、安倍元首相も褒められたものではない。ロシアがウクライナ領のクリミア半島を一方的に併合した14年以降もプーチン・ロシア大統領との会談を重ね、20年には中国の習近平・国家主席を国賓として招こうとした。ロシアとの北方領土交渉、中国との関係改善を長期政権のレガシーとして歴史に名を刻みたかった様だが、権威主義国家の独裁者達のその後が安倍元首相の過ちを立証した。新型コロナウイルスの感染拡大によって習主席の来日が見送られた事が今となっては不幸中の幸いだった。
岸田首相最大のレガシーは、自ら身を引いて「小泉進次郎政権」誕生に繋げた事だと後世語り継がれるのだろうか。その「進次郎首相」は「純一郎首相」と同じく自民党の救世主となれるのか。
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