厚生労働省の今夏の幹部人事で、薬系技官のトップである医薬担当の大臣官房審議官に、佐藤大作氏が医薬局監視指導・麻薬対策課長から昇進した。薬系技官のトップは近年、2〜3年の「長期政権」を敷いていたが、前任の吉田易範氏は僅か1年で退任する事になった。医薬行政を司る薬系技官の取り巻く現状を紹介する。
先ずは、佐藤氏の経歴を振り返ろう。東京大学大学院薬学系研究科を修了した佐藤氏は、1992年に旧厚生省に入省。医薬食品局総務課企画官や医薬・生活衛生局安全対策課長、独立行政法人「医薬品医療機器総合機構(PMDA)」組織運営マネジメント役等を歴任。医薬品の審査畑より安全対策や監視・指導畑の方が長い印象だ。
吉田氏より入省年次が2年遅い佐藤氏だが、「早めに佐藤氏をトップにしないと定年が迫ってしまう」(業界関係者)という力学が働いた模様だ。
そんな佐藤氏には隠したくても隠せない「傷」が有る。専門誌の記者は「薬害イレッサ訴訟で和解が勧告された際、厚労省は和解勧告を批判する内容の学会見解を出すよう働き掛けたのですが、佐藤氏は安全使用推進室長でその責任者の1人だったのです」と明かす。
肺がんの延命治療薬として期待されたイレッサは、多くの患者に重篤な副作用である間質性肺炎の被害をもたらし、2002年7月の販売後、僅か1年で294人が亡くなったとされる。遺族らが訴訟を提起し、大阪、東京地裁から和解を勧告する動きが有ったが、最終的に政府は拒否を表明した。その動きに少なくない影響を与えたのが学会の見解だ。和解の受諾に消極的だった厚労省は「アタックリスト」という表を作成し、同調してくれそうな学会や専門家団体等に「アタック」を掛けていた。
関係者によれば、その内容は「裁判所の所見に従うならば、あらゆる未知の危険が明らかにならないと抗がん剤の様な新薬の承認が出来なくなる」等と記されていたとされる。更に、見解の文案(下書き)も提供していたという。この一連の動きに佐藤氏も関与していたと見られる。
只、この「傷」は世間を賑わせた割に致命傷にはならなかった。前述の記者は「最終的に省内では大きな問題とならず、寧ろ期待のホープだった佐藤氏はよく頑張ったとさえ言われ、功労者の様に扱われました。世間とはずれた反応ですが、背景には薬系技官の人材不足も有るでしょう」と指摘する。
薬系技官の世界には独特のルールが有る。その1つが学閥だ。出世している薬系技官は、東大や京大を卒業しているケースが多い。吉田氏や山本史氏、森和彦氏といった歴代の医薬担当審議官の多くが東大卒だ。磯部総一郎・元監視指導・麻薬対策課長は仕事振りは評価されたものの、私大の東京理科大学卒という学歴等が影響し、審議官まで昇り詰められなかった。「東大や京大じゃないと出世出来ない」とぼやく若手薬系技官は少なくない。
ポスト佐藤を争うのは誰か。中井清人・医薬局医薬品審査管理課長らが控えるが、中井氏は明治薬科大学卒の私大組で、今のポストで更なる実績を積む必要が有るとみられる。佐藤氏が長期政権を築くのか、はたまた古き慣行が破られるのか密かに注目される。
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