織本 健司(おりもと・けんじ)
医療法人社団健齢会ふれあい東戸塚ホスピタル 病院長
留学先: 米国カリフォルニア工科大学(1999年4月〜2005年3月)
パサデナにあるカリフォルニア工科大学への留学
1999年4月から2005年3月までの6年間、米国カリフォルニア州のパサデナに在るカリフォルニア工科大学(Caltech)のHoward Hughes Medical Institute(HHMI)、デイビッド・アンダーソン研究室に留学していました。私は90年に金沢大学医学部を卒業後、当時の第3内科に入局し、骨髄移植研究グループで血液疾患の診療・研究に従事していました。93年からは大学院の学位研究の為、当時大塚に在った癌研究所で、癌の免疫遺伝子治療や分子遺伝学の基礎研究に取り組みました。幹細胞研究に興味を持つようになり、神経幹細胞研究に取り組む為に海外留学を決意しました。専門外の分野で知り合いの研究者もいなかった為、PubMedを利用して「Neural stem cell」「California」「Cell」「Neuron」「Nature」「Science」のキーワードで検索を行いました。その結果、10施設がヒットし、7施設にアプライメールを送信しました。Caltech、スタンフォード大学、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)、スクリプス研究所、バーナム医学研究所の5施設から受け入れ許可を頂き、第1志望であったCaltechに留学する事になりました。
パサデナは「谷間の王冠」を意味し、ロサンゼルスの中心地から車で20分程の所に位置しています。正月に行われるアメリカンフットボールの3大ボールである「ローズボウル」の開催地としても知られており、市街地を派手な衣装や巨大な山車で練り歩く「ローズパレード」が有名です。
Caltechは、マサチューセッツ工科大学(MIT)と並ぶ私立の理系名門大学です。アインシュタイン博士が滞在した事も有り、ファインマン博士、ポーリング博士、ミリカン博士等、歴史的にも著名な科学者が教鞭を取っていました。卒業生当たりのノーベル賞受賞者数は世界最多であり、47名のノーベル賞受賞者を輩出しています。私の留学期間に、Caltechは5年連続でTHE世界大学ランキングで1位を獲得しました。卒業生も多方面で活躍しており、私の留学中にはインテルの共同創業者のゴードン・ムーア氏が6億ドル超の寄付を行い話題となりました。この寄付額は個人としては史上最高額であり、神経科学研究所が設立されました。当時の学長はレトロウイルスの逆転写酵素を発見した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞したデイビッド・ボルティモア博士であり、彼は政治的手腕にも優れ、多額の研究費や寄付の獲得に貢献していました。
アンダーソン教授とのディスカッションや実験計画
私の上司であり、PIのデイビッド・アンダーソン教授は、ハーバード大学を卒業後、ロックフェラー大学大学院とコロンビア大学での研究キャリアを経て、30歳でCaltechに独立した研究室を設立しました。彼の大学院時代の指導者であるギュンター・ブローベル教授や、ポスドク時代の指導者であるリチャード・アクセル教授は、何れもノーベル生理学・医学賞を受賞しています。アンダーソン教授のラボから発表された論文(原著)は126本有り、その約8割がCell(26本)、Neuron(35本)、Nature(18本)、PNAS(20本)等の有名雑誌に掲載されています。彼は非常に多忙であり、直接話す機会も限られていた為、実験結果のやり取りは主にメールで行っていました。毎週金曜日の夜には、その週の実験結果をまとめた図表をパワーポイントで添付し、“Weekly Report”としてメールで報告する事が習慣となっていました。土曜日の朝には彼から返信が有り、詳細なコメントが記載されていました。メールの返信をラボでチェックしていると、「今、時間有る?」と声を掛けられ、ディスカッションを行い、次週の課題や実験計画を確認しました。この様なやり取りは、他の全てのポスドクや大学院生とも同様に行われていました。
HHMI(ハワード・ヒューズ医学研究所)での私の研究
HHMIは、米国の実業家ハワード・ヒューズによって1953年に設立された非営利の医学研究機関です。HHMIの主要事業は、最低5年間に亘り300人以上の科学者に資金を提供するプログラムで、トップクラスの研究者に対して多額の資金提供を行っています。アンダーソン教授は最高位のInvestigatorとして巨額の研究費を支給されていました。実際には、HHMIには建物は無く、常駐スタッフが3名程度の小さなオフィスが施設の一角に設置されており、研究費が支給されているラボの運営費や人事管理を行っています。私の場合はResearch Associateとして給与と研究費のサポートを受けていました。
私の研究テーマは、ラットの初代培養神経堤幹細胞を用いて神経分化の細胞遺伝学的機構をマイクロアレイで遺伝子発現解析する事でした。細胞調整を行う日は朝6時頃から実験を開始し、ラット胎児50匹から1mmに満たない坐骨神経を顕微鏡下で分離し、セルソーターで神経幹細胞を分離しました。これによりクローナル培養や遺伝子発現解析を行うという実験した。当時はラットのゲノム解析計画が十分に進んでおらず、試薬や遺伝子情報へのアクセスに制限が有った為、苦労も多く有りました。幹細胞研究を通じて、多くの事を学びました。
幹細胞はその多能性から「万能細胞」とも称されますが、幹細胞に関する論文でよく目にするフレーズに「at the expense of 〜(〜を犠牲にして)」が有ります。例えば、“Neural stem cells give rise to neurons at the expense of glial fate.”(神経幹細胞はグリア細胞に分化する可能性を犠牲にしてニューロンになる)という表現です。万能細胞は何にでもなれる可能性を秘めていますが、そのままでは何も出来ず、万能性を捨てて特定の細胞系譜に分化する必要が有ります。ある選択をするには他の選択肢を犠牲にする事になります。分化(成長)とは、何かを諦める事でその第一歩が始まります。幹細胞研究を通じて、諦める事の重要性を学びました。
日本映画『タンポポ』について皆で語る
時にはアンダーソン教授やラボの同僚を自宅に招いて日本食でもてなしました。その際、彼らはある日本映画を見て「予習」をして来るのが定番でした。それは伊丹十三監督の『タンポポ』という映画で、日本人の食に対するこだわりが絶妙に描かれた作品です。是非ご覧になる事をお勧めします。
在籍した6年間、身に余る給与待遇と潤沢な研究費のサポートを頂き、最先端の神経科学研究に没頭出来た事に感謝の言葉も有りません。華々しい活躍の様子を書く事は出来ませんでしたが、昨今流行の「ダイバーシティとインクルージョン」とご寛恕頂ければ幸いです。基礎生物学研究で培った経験を、医療に還元して行きたいと思っています。
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