冒頭から質問で恐縮だが、あなたは「医師になってよかった」と思っているだろうか。
本誌の読者の多くは「よかった」と答えるだろう。ところが、若手の中には「医師にならなければよかった」「これからでもできるなら別の職業につきたい」と思っている人が一定数いるようだ。現在の勤務先やときどき診療で訪れる大学病院で研修医、専攻医と話していて、そう感じる機会が増えた。「医師ってこんなに損な仕事だったの?」と、雑な言い方で恐縮だが、“がっかり感”を抱いているのだ。
そして、それは一定のキャリアを積んだ医師にとっても決して無縁ではない。しかも、若手ならキャリアチェンジも可能だが、40代やそれ以上となるとそうもいかない。その人たちの場合は、“がっかり感”を抱いたまま医師として働き続けることになる。後述するように「少しでも仕事量が少なく収入が多い道へ」とどんどん転職を重ねる人も増える。当然、仕事へのモチベーションは下がり、人生への満足度も低下するだろう。
今回は、「医師受難の時代」ともいえる今、どうやって医師自身がモチベーションを保てばよいか、という問題を考えてみたい。
“がっかり感”を抱く若手医師たち
“がっかり感”の原因の1つは報酬体系だ。医師という仕事の場合、労働量やスキル、責任の重さと報酬が必ずしも相関関係にない、という特徴がある。1つわかりやすい例をあげよう。最近、医師向けの雑誌をパラパラめくっていると求人のページがあった。私が現在、働いているようなへき地診療所や離島の診療所の求人のすぐ隣に、都市部の医療機関で植毛術を担当する医師の求人広告が出ている。後者には「研修制度あり」とあるので、未経験者でも応募可能かもしれない。驚いたのはその待遇だ。そこに提示されている年収は、隣のへき地医募集の広告にある数字のほぼ2倍だったのだ。
もちろん、「植毛は医療ではない」などと言うつもりはない。それを切実に必要としている人はおり、施術により患者のQOLは著しく上昇して心から担当医に感謝するだろう。その上、都市部に住めて年収も高く、おそらく当直や休日出勤もないとなれば、子育て中の若手にとっては相当、魅力的に見えるだろう。現在、へき地医療に従事している私も、もし今より10歳ほど若かったら、「しばらく都会に戻って稼ごうかな」と迷いを感じなかったとは言い切れない。
しかし、こういった“誘惑”に負けずに地域医療の場に踏みとどまった医師に、さらなる苦難が待ち受けている。この6月から診療報酬が改定され、「プラス0.88%」という文字が新聞やテレビで繰り返し取り上げられた。患者側が「医療費がまた上がり、医療機関がさらに儲かる仕組みか」と受け取るのは当然だが、言うまでもなく今回の改定では賃上げ加算の割合が大きく、昨今の物価高騰などを考慮すると、多くの医療機関にとっては実質的にはマイナス改定だとされる。医師向け掲示板には、医療機関経営者たちの「内科診療所を狙い撃ちにしている」「休日は別の病院にバイトに行かなければやっていけない」など怨嗟の声が渦巻く。
さらには、訴訟リスクや厳しい判決も医師たちを脅かしている。もともと医療従事者は重い責任を負う仕事であることは間違いないが、どんなに手を尽くしても常に最善の結果がもたらされるとは限らない。また、ないに越したことはないが、ヒューマン・エラーもゼロにはできない。そういった事態に対して、1990年には年間350件あまりだった医療訴訟は2000年代になって一時、年間1000件超えまで増え、この10年は年間700〜900件で推移している。医療従事者側からすれば、いわゆる医療ミスあるいは暴言やハラスメントなどではないと確信している場合でも、いざ裁判となれば大きな心理的、時間的、経済的負担となる。さらに、裁判にまで至らなくても、ネットで拡散される“悪評”が医療機関や医療従事者を萎縮させる。私自身、これまで伏せていた勤務先を明らかにしたところ、すぐにネットに「誤診が多い」「地元での評判は悪い」といった書き込みをされるようになった。当地以外の人の嫌がらせかなと思いつつも、つい「これ以上、書かれないように」と身がまえ、「診察室では最低限のことだけ話すようにしよう」と思ってしまうこともある。
どうやって若手にインセンティブを与えるか
さて、これまでネガティブなことばかり羅列してきたが、これが現在、医師が置かれている現実であることは間違いないだろう。こんな状況では、若手医師たちが「高校の同級生は外資系コンサル会社に勤務し自分より何倍もの収入」「こんなに一生懸命やっても訴えられたらおしまい」「専門医になるまで時間がかかりすぎる。それまで耐えられるかどうかわからない」などとボヤいても仕方ない。中堅医師からも、「子どもが医学部に行きたいと言ったら反対する。それだけの学力があるのなら、もっと別の道に進んだ方が余計な苦労をせずに良い生活ができる」という声を聴いたことがある。
このようにモチベーションも自己肯定感も下がっている医師も、なんとか働き続けなければならない。そうするとリスクや責任を回避し、ストレスや疲労を少しでも減らそう、という観点から働くスタイルや勤務先を選ぶことになる。とにかく“安全策”で将来設計をしようとしている若手医師に、「せっかく医者になったのにそれじゃおもしろみがないでしょう」と言うと、「おもしろみ?」とあきれた顔をされたことがある。彼らにとっては医業はもはや糊口をしのぐための生業でこそあれ、この仕事ならではの達成感、醍醐味やおもしろみを得るための何かではないのだ。
ただ、医師たちに現場でなんとか踏ん張ってもらうには、この「おもしろみ」をなんとか実感してもらうしかない、と私は考える。もちろん、ハードな臨床の場に立つ医師の報酬を上げてインセンティブを与えるのも得策だが、現時点ではそれは実現不可能だろう。だとしたら、「この感覚は今の仕事でしか得られないものだ」という実感を少しでも涵養していくしかない。
それには、指導医や先輩など外の人の力が必要だ。たとえば若手が診療を通して何らかの感情を抱いても、それが「この仕事ならでは」のものかどうかは、経験が短い人たちには判断できないからだ。具体的に言えば、診断がうまくついて治療が効を奏したとき、あるいはそれがうまくいかなかったときなど、若手が抱いた感情をうまく取り出し、言語化して語ってもらう。それに対して、メンター的な役割の人が「こういう感じって医師になる前はあった?」「これからもそうやっていろいろ感じながら考えを深めていけるといいね」などとコメントし、主に感情面にスポットライトをあてていく。その繰り返しにより、若手は報酬でも患者からの賞賛でもなく、「他では味わえない感覚を仕事を通して得られている」というインセンティブを獲得していくことができるのではないか。
医療従事者という職業、医師という職業についてよかった。職業に上とか下とかはないけれど、やっぱり医師は「特別な仕事」だ。若い人たちがどれくらいそう思い、自分の選択や職業に誇りを感じることができるかに、この国の医療の未来はかかっている。そう言っても過言ではあるまい。ぜひ多くの医師たちから「私が考える方策」について聞いてみたいと思う。
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