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未来の会

第30回 私と医療 ゲスト 渡邊 剛 医療法人社団東京医心会ニューハート・ワタナベ国際病院 総長・院長

第30回 私と医療 ゲスト 渡邊 剛 医療法人社団東京医心会ニューハート・ワタナベ国際病院 総長・院長
GUEST DATA
渡邊 剛(わたなべ・ごう)①生年月日:1958年10月10日 ②出身地:東京都 ③感動した本: 『ブラック・ジャック』(手塚治虫)、『フォーカス!』(アル・ライズ) ④恩師:田中信行先生(横浜栄共済病院 心臓血管外科部長)、Hans G. Borst先生(ハノーファー医科大学 心臓外科教授) ⑤好きな言葉:「人に頼らない」 ⑥幼少時代の夢:ブラック・ジャック ⑦将来実現したい事:1泊2日の心臓鍵穴手術
学生運動のエネルギーを吸収した青春時代

生まれは東京の府中市です。戦時中、祖父が天然ゴム園を運営しており、シンガポールに本部を置いていた為、父はシンガポールで生まれました。相当な資産を所有していた様ですが、終戦で米国に全て取り上げられてしまい、残った世田谷の300坪の土地を3兄弟で分け合ったのだそうです。父は裕福な家で育ちましたが、商売は上手く行きませんでした。伊豆の下田市出身の母は、自分にも子供にも厳しい人で、一人息子の私を私立の小学校に通わせると意気込みました。そして、私は調布のカトリック系の晃華学園に入学し、 「スポーツ万能でもないのだから、勉強を頑張りなさい」という母の教えに従い、言われるが儘に勉学に励みました。高学年になると、今度は中学受験に向けて、母は一生懸命に情報収集をしてくれました。

そうして麻布中学校に入ると、学内で学生運動が始まりました。校門にバリケードが築かれ、半年間休校になりました。裏門から校舎に潜り込んで友人に会い、皆で街へ遊びに繰り出したものです。暫くして学校が再開した時には、制服が廃止になり、校則も無くなりました。我々にとっての学生運動は、モヤモヤとした情念が何かの切っ掛けで爆発するという説明の付かないもので、単に権力に対する反発心という明確なものは無かったのだと思います。只そこには「何としてでもやってやる!」という、今の人には無い強いエネルギーを感じました。無茶苦茶な時代でしたが、私にとっては大事な時間でも有りました。

ブラック・ジャックに憧れて外科医の道へ

中学3年の時、学校帰りに友人から見せて貰った手塚治虫の『ブラック・ジャック』を切っ掛けに、外科医になる事を決意しました。医学部を目指すには遅めのスタートでしたが、自信家の同級生の勢いに引っ張られながら、1浪で金沢大学医学部に合格する事が出来ました。

心臓外科を選んだのは、心臓こそが「生命の営みの根源」だからです。心臓病の専門医に成るべく、診療、動物実験、論文執筆と、目まぐるしい学生生活を送りました。

大学を卒業して5年目、30歳の時にドイツのハノーファー医科大学の胸部心臓血管外科に留学しました。ドイツは心臓外科手術を実施している施設自体が少ない為、沢山の症例を経験出来る事に魅力を感じました。又、同大は先輩が留学していた事も有り候補として考えていましたが、丁度その大学の教授が講演の為に訪日する事を知り、直談判をして留学の許可を貰いました。但し、ドイツ国家が出す奨学金を貰って来る事という条件を付けられた為、2回目のチャレンジでドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生としてドイツへ渡りました。私設奨学金の場合は、医師免許を取得出来る迄に1年以上要する事が有るそうです。心臓外科の父と呼ばれるHans G. Borst教授の下、2年半で2000件に上る心臓手術を経験し、日本人最年少で移植執刀医として心臓移植の執刀も担当しました。

帰国後は日本初・世界初の術式に挑戦

1992年に留学から戻ると、富山医科薬科大学(現・富山大学)医学部の第1外科に移る事になりました。当科には私の他に3年目の外科医が1人いるのみ。手術の執刀だけでなく、外来の診察から術後管理迄、全てをこなさなければなりませんでした。しかし、これは術後の患者さんが回復迄にどの様な経過を辿るのかを知る良い機会になりました。

次第に、従来の胸を大きく開く手術に疑問を持ち始め、患者さんの体により負担が少ない手術をすれば術後の回復が早まり、入院期間を短縮出来る筈だと考える様になりました。こうして国内初の人工心肺を用いないオフポンプ冠動脈バイパス手術や局部麻酔によって覚醒下で行うアウェイク手術、世界初の完全内視鏡下心拍動下冠動脈バイパス手術と、次々に新しい術式を成功させて行きました。内科や地元の先生方から患者さんを紹介して頂ける様になり、当初は年間10〜20人足らずだった患者さんが最終的には年間200人に迄増えました。

2000年に金沢大学第1外科の主任教授に就任し、優秀なスタッフを集めて心臓手術の為のチームを結成しました。そこで我々の心臓手術を飛躍的に進歩させたのが05年のダ・ヴィンチの導入でした。「キーホール」(鍵穴)と呼ばれる1cm程の穴を3カ所開け、ロボットアームや内視鏡カメラを挿入して手術を行います。胸骨を切開しない為、出血や痛みが少なくて術後の回復も早く、早期退院・早期社会復帰が可能になります。ダ・ヴィンチは元々心臓バイパス手術の為に開発されましたが心臓への適用は難易度が高く、がんの切除で用いられる方が一般的です。しかし、内視鏡で培った実績が有る我々は、ロボットを使いこなして従来の内視鏡下手術を超えられる確信が有りました。

東京で世界トップの心臓外科医を目指す

東京は日本の中心では無く、世界の中心だと思っています。アクセスし易く、世界中から人が集まるこの東京で、世界一の心臓外科医になる事を目指し金沢のチームを引き連れて14年にニューハート・ワタナベ国際病院を開業しました。

19年以降当院の年間ロボット心臓手術数は世界一となり、ダ・ヴィンチの製造元であるIntuitive Surgicalから毎年Cardiac Worldwide Awardの表彰を受けています。22年には通算1000例を突破しましたが、この成績に満足している訳ではなく、 年間で1000件を目指しています。年間200日の稼働なら、平均1日5件が必要です。その意味で、この4月から施行された医師の働き方改革はサボタージュにしか思えません。患者さんに我慢を強い、命を危険に晒す訳ですから、今後日本の医療は衰退してしまうかも知れません。しゃかりきになって働く20代が無ければ、30代以降で花が開く事は無いと思っています。

日帰り手術の実現に向けて一点集中

最近感動した本はアル・ライズの『フォーカス!』です。人生には色々な選択肢が有るが、成功を摑むにはエネルギーを1つの物事に集中させなければならないという事を説いています。常に新たな事に挑み続け、全ての患者さんを負担から解放する事が私の目標です。そして、その究極は日帰り手術だと考えています。多くの患者さんが何よりも早期に退院出来る治療を望んでいます。現在の心臓鍵穴手術で退院迄が最短3日間。近い将来1泊2日は実現出来ると考えています。心臓外科の頂点を目指して、この道を一心に突き進みたいと思います。

インタビューを終えて

名門金沢大学医学部第1外科教授を若くして辞する事は、まさに清水の舞台から飛び降りるが如しだったはず。満を持して開業してから今年で10年。飛び降りた決断は正しかった。容姿は全く変わらないが、医療に向き合う意欲はより高くなっていた。筆者も数年前に「オペは困難」だった患者を紹介させて頂いた事がある。今でも元気に過ごす彼は渡邊先生を神と呼ぶ。そのゴッドハンドを求めて、日本各地からニューハート・ワタナベを目指して多くの患者が来院する。その評判は日本だけに留まらない。開院当初から医療ツーリズムにも積極的に向き合っていた事から海外でも高い評価を得ている。東京は世界の中心だと言う言葉に自信が漲る。東大紛争で始まった学生紛争に麻布中学入学直後に出合い、革命家と化した。学生運動の経験をした人間は、それなりの矜持があると言うが、その通りだ。一本芯が通る。今後は1泊2日でのオペの実現を追い掛ける。患者の期待は膨らむ。(OJ)


和牛ロースの濃厚で豊かな風味と、ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリームの香り高く深い味わいが好相性。ジューシーな肉の旨味とビールの爽快感をひと口ごとに楽しめる。

レストラン ブラン ルージュ
東京都千代田区丸の内1-9-1
東京ステーションホテル2F
03-5220-0014
11:30〜14:00(L.O.)
17:30〜20:00(L.O.)
無休
https://www.tokyostationhotel.jp/restaurants/blancrouge/
※営業日・時間に変更がある場合がございます。店舗HPをご確認下さい。

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