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未来の会

第41回「精神医療ダークサイド」最新事情 数十年の時を経ても襲うトラウマ

第41回「精神医療ダークサイド」最新事情 数十年の時を経ても襲うトラウマ

福島と沖縄の心の傷を映画で可視化

精神科医の蟻塚亮二さんは、うつ病になった経験がある。院長を務めていた青森の病院での働き過ぎが原因だった。2004年、静養を兼ねて沖縄に移住。那覇市内の病院などで診療を再開し、メンタルヘルス不調に悩む患者たちと向き合ううちに、おかしなことに気付いた。

「2010年ごろ、奇妙な不眠に悩む高齢者に立て続けに出会ったんです。うつ病のような中途覚醒があるのに、うつ病ではない。変だなあと悩んでいた時、米国の論文に目が止まりました。ナチスのホロコーストを生き延びた人たちの40年後のメンタルヘルスについての研究論文で、その中に『夜中に何度も目が覚めてしまうのにうつがない』という不眠症が記されていたんです」

「『もしや』と思った私は、奇妙な不眠に悩む沖縄の患者さんたちに、沖縄戦の時はどこにいたのか尋ねてみました。すると、『親に手を引かれて死体を踏みながら逃げた』などの戦争トラウマがいっぱい出てきたんです。更に聞いてみると、戦時記憶のフラッシュバックなども認められました。奇妙な不眠は心的外傷後ストレス障害(PTSD)のサインだったのです」

蟻塚さんは、沖縄戦によるトラウマ・ストレス症状を「晩発性PTSD」「命日反応型うつ状態」「匂いの記憶のフラッシュバック」「戦争記憶の世代間伝達」「認知症に現れる戦争記憶」「トラウマ体験による幻視・幻聴」などのサブタイプに分類した。そして、戦争トラウマは次の世代にも影響することを明らかにしていった。

「深刻なトラウマは世代間伝達するので、戦争トラウマの影響は50年では治まりません。例えば沖縄のある例では、戦争の第1世代の女性がうつ病になって自殺を図った。その娘はリストカットを繰り返して、やはりうつ病になった。更にその娘の子どもは10代で出産した後、養育放棄してどこかに行ってしまった。すると捨てられた4世代目の子どもにも、また何か起こってきます。だから100年とか、それ以上も続くと思います」

13年、蟻塚さんは沖縄から福島県相馬市に移り、「メンタルクリニックなごみ」の院長として、東日本大震災の被災者のトラウマと向き合い始めた。この震災以降、福島県では児童虐待の相談件数や若者の自殺者数が全国平均を大きく上回ることもあった。自然災害だけでなく、起こってはならない原発事故という人災によって、福島の被災者は追い込まれ続けている。加えて支援がお粗末な地域では、世代間伝達という負の連鎖も起こり始めているのだ。

24年5月下旬、蟻塚さんや同クリニックスタッフの活動を追ったドキュメンタリー映画「生きて、生きて、生きろ。」(島田陽磨監督)の上映が始まった。最初に登場する被災患者は、重いアルコール依存症の男性。彼は原発事故の避難生活中に10代の息子を自殺で亡くし、以後、酒浸りになって自殺未遂を繰り返していた。だが映画が進むにつれて、彼は変わっていく。クリニックスタッフらとの心の交流によって、生きる希望を見出していく。

我々は誰しも、人生のどこかで大災害や事件事故に巻き込まれ、深刻なトラウマを負う可能性がある。すると生活は崩壊し、様々な精神症状に襲われる。それでもこの映画は「生きろ」と訴える。なぜなのか。ぜひ多くの人に観て欲しい。


ジャーナリスト:佐藤 光展

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