既得権益構造を崩せなかった「平成の政治改革」の罪
衆院選に小選挙区比例代表並立制を導入した1994年の「平成の政治改革」から30年。政権交代が頻繁に起こり得る2大政党体制に誘導する事によって日本の政治に緊張感をもたらし、リクルート事件等のスキャンダルに塗れた政治への信頼を取り戻そうという試みだったが、自民党派閥の裏金事件はその失敗を象徴する結末となった。
選挙離れが政治の劣化を進める悪循環
政権交代可能な2大政党体制は一旦、2009年の旧民主党政権誕生によって実現したものの、旧民主党政権は僅か3年で瓦解。その後の野党の多弱化は「日本に2大政党体制を構築する」という政治的実験の失敗を意味した。以後の与党は「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」等のスキャンダルが批判を浴びても政権から転落する事は無くなった。緊張感を失った日本の政治が行き着いた先が裏金事件であり、今回も真相解明と再発防止に取り組むどころか、権力を背景に企業から政治資金を集める仕組みの温存に汲々としている。「政治とカネ」の淀みに巣くう「政治屋」達は清い水には住めないらしい。
「平成の政治改革」の2本柱が小選挙区制の導入と政党助成制度の創設だった。1つの選挙区で1人しか当選しないとなれば、自ずと2大政党が擁立した候補者同士の対決となり、政党・政治家は有権者の目をより強く意識する様になるという理屈だったが、野党が多弱化してしまえば、与党は幅広い国民の声を聞かずとも、自分達の支持層を固めるだけで選挙に勝てる。不祥事によって政治不信が高まるのも、ある意味で与党には好都合。政治に愛想を尽かした有権者が投票に行かなければ、小選挙区の当選ラインが下がり、与党の強固な組織票がより重みを増すからだ。「安倍一強」を誇った安倍晋三・元首相の最長政権は、有権者の半数しか投票しない選挙でその半分の支持を得れば維持出来る、即ち有権者全体の4分の1の投票に支えられていたのが実態だ。
とは言え、岸田文雄・内閣の低支持率には流石の自民・公明両党も肝を冷やした様だ。4月の衆院3補選では立憲民主党に3戦全勝を許し、5月の静岡県知事選でも立憲民主・国民民主両党の推薦候補に自民党の推薦候補が完敗した。このまま衆院解散・総選挙に突っ込めば、自公で過半数維持は難しい。そこで白羽の矢を立てたのが日本維新の会だ。仮に衆院選で過半数割れしても維新を与党に取り込めば政権は維持出来る。おざなりな政治改革でも権力維持の算段が付くならそれでOK。維新という逃げ道の存在が、立憲民主党等の求める企業・団体献金や政治資金パーティーの禁止に応じなくても何とかなると高を括れる余裕を生んだ。
維新は企業・団体献金の禁止や、裏金事件を受けたもう1つの論点、国会議員への連座制導入でも立憲民主と足並みを揃えていた筈だが、与党入りが視野に入って来るなら話は別。与党の旨味は残しておいた方が得策と考えたのだろう。「政策活動費」という別の論点で与党に秋波を送った。自民党は毎年、与党の旨味を背景にした資金力を元に、使途を公開しない「政策活動費」を億単位で幹事長等に支給し、それが党執行部の求心力となって来た。これも一種の裏金ではないかと批判する野党の多くが「政策活動費」の禁止を主張する中、維新は「10年後の領収書公開」を主張する事で立憲民主党等と一線を画し、与党側がこれに飛び付いた。
「改革政党」を自称して来たのは他でもない維新だ。「改革を前に進めた」と強弁するが、10年後に公開された、若しくは公開されなかった領収書に関して誰が責任を負うのか。その10年間に幾度となく国政選挙は行われ、主権者たる国民は国政選挙の投票を通じて政党・政治家に権限を委ねる。10年後の公開では、有権者が主権を行使する際の判断材料にはならない。これを「改革」と言い張る維新の議員達は、民主主義を理解しているのだろうか。維新の提案は、不都合な情報を有権者に知らせたくない自民党への助け船となっただけでなく、巨大な既得権益を燃料として航海を続ける「与党」という名の大型船に自らも乗り組む意思表示と受け止められた。
「失われた30年」の責任を負うべき政治のお粗末
「平成の政治改革」の柱の1つだった政党助成制度は、国民1人当たり250円、年間315億円もの税金を政党に交付する事により、「政治とカネ」の癒着を断ち、政党・政治家が国民本位の政治活動に専念出来る環境作りを狙ったものだ。権力の有る所にカネは集まる。それを野放図に許せば、有権者一人ひとりより遙かに多額の資金を動かせる企業・団体が、選挙の投票という民主主義の手続きを介さない形で政治に影響力を行使する国家システムが生まれる。過去の贈収賄事件の数々がその危険性を示唆しており、昭和の末期から平成の初めに政財界を揺るがしたリクルート事件や東京佐川急便事件の反省もあって導入されたのが政党助成制度だ。政党・政治家に対し政治活動の自由を税金で保障する代わりに、政治資金の入りと出の透明化を図る。その前提となる筈だった企業・団体献金の禁止が政党間の調整で先送りされ、多くの政党が政党交付金と企業・団体献金の二重取りを続けて来た。
そもそも「平成の政治改革」の目的とは何だったのか。国内経済はバブルが崩壊し、世界的には東西冷戦が終結する激動の中で迎えた平成期。新たな時代に対応すべく政治・経済・社会の抜本的な構造改革に取り組まなければならないという問題意識が幅広く共有されていた。古い産業構造と結び付いた自民党中心の万年与党体制のままでは世界規模の変革から取り残されてしまうという危機感が、政権交代可能な2大政党体制を求める国民的なムーブメントとなった。しかし、企業・団体献金を始めとする自民党政権の既得権益構造は残り、昭和期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」等と賞賛された日本経済はグローバル化・IT化の潮流に対応する構造改革に失敗した。日本は、少子高齢化と自国の通貨安に歯止めをかけられない衰退国家の先頭集団をひた走る。
「平成の失われた30年」を決定付けたのが「平成の政治改革」の失敗であり、その責任を負うべきは日本の政治・経済を担って来た全ての関係者だ。裏金事件という形で噴き出した宿痾に今こそ政治全体が向き合うべきなのに、維新はその責任を放棄し、この期に及んで既得権益のおこぼれに与る道を選んだ様だ。もはや維新に「改革政党」を名乗る資格は無く、キャッチフレーズだった「身を切る改革」を実行出来ない維新に、政治への不信感ばかりが募る。政治不信が選挙離れを招き、低投票率が既得権益構造を更に延命させる悪循環。「失われた30年」のバトンは政治の劣化と共に平成から令和へと受け継がれて行くのだろうか。
政治改革関連法が制定された1994年と言えば、紆余曲折を経て自民党と連立政権を組んだ旧社会党の村山富市・首相(当時)が自衛隊違憲論を放棄した年でもある。あれから30年が経ち、自衛隊は中国と対峙する民主主義陣営の最前線の防衛を担う。中国の台湾侵攻を抑止する為にも、自衛隊と米軍が連携して有事に対応出来る態勢を平時から整備しておく必要が有る。だが、今年3月、海上自衛隊と米海軍の一大拠点・横須賀基地(神奈川県)に停泊中の海自護衛艦「いずも」をドローンで撮影したと見られる映像が中国の動画共有サービスに投稿された。
これを受けて「海自の警備態勢はどうなっているのか」等、自衛隊を批判する議論が湧き起こったが、仮にドローンの侵入を探知出来たとしても、現行の自衛隊法はドローンを撃ち落とす権限を自衛隊に与えていない。批判されるべきは、必要な政策論議を怠って来た政治である。「平成の政治改革」から30年を経た此処が日本の民主主義の現在地だ。
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