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第178回 経営に活かす法律の知恵袋 ◉ 杏林大学割箸事例での無過失補償救済と訴訟禁止

第178回 経営に活かす法律の知恵袋 ◉ 杏林大学割箸事例での無過失補償救済と訴訟禁止
杏林大学病院割箸看過事件

2009(平成11)年7月10日(土)午後6時過ぎに、盆踊り大会のボランティアをしていた母親に同行していた4歳児が、綿あめの割りばしを口にくわえたまま転倒し、その割りばしが児の軟口蓋に突き刺さり、児は杏林大学病院に救急搬送され、耳鼻咽喉科の当直医の診療を受けたが、割りばしはすでに抜けていて裂傷は止血していたので、軟口蓋損傷と判断されて自宅に帰ったところ、翌朝9時に死亡したという事例が、通称、杏林大学病院割箸看過事件と呼ばれているものである。その後、司法解剖で、児の頭蓋内に長さ約7.6cmの割りばしが残っていたことが判明したため、当直医はCT検査を行うべきであったなどとして、東京地方検察庁の検察官は当直医を業務上過失致死罪で起訴し、児の遺族は東京地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。結果は、刑事は1・2審ともに無罪で、民事も1・2審ともに請求棄却(児の遺族敗訴)となって刑事も民事も確定し、事件はすべて終了したらしい。

当時は、医療バッシングが酷い時代であったので、刑事起訴や民事訴訟となったのではあろうが、今から振り返って見ると、刑事・民事の事件化は、素朴に、余りにも無理なことだったようにも感じられる。また、事件化まで選択してしまったために、逆に言えば、児の遺族にとっては更に一層、辛い事態を自ら招いてしまったようにも思う。二重三重に救いようのない辛い状況に陥ってしまったのではあるが、現在の我が国の法制の下では、その救済は厳しい。

たとえば、責任追及から離れ、専ら医療安全の確保を目的としている医療事故調査制度をもってしても、普通に当てはめれば「医療事故」に該当しないので、無理であろう。なぜなら、もともと死亡原因が「原病の進行」または「併発症(提供した医療に関連のない、偶発的に生じた疾患)」になるので、「医療に起因した死亡」の要件を欠くことになってしまうからである。

ところが、もしもこの杏林大学病院割箸看過事例を、ニュージーランドの無過失補償制度に当てはめてみたとしたらどうであろうか。結論は、補償対象となりうるところであろう。そうすれば、児の遺族は、杏林大学病院割箸看過事例で現実に生じてしまった二重三重の辛さよりは、多少は救われるのではないかと感じられる。

このような観点から、一般社団法人日本医療安全学会主催の第10回日本医療安全学会学術総会において、2024(令和6)年4月13日(土)に、筆者と古宇田千恵氏(出産ケア政策会議・代表、日本妊産婦支援協議会りんごの木・代表)とが共同で、「無過失補償制度と共に訴訟禁止を—杏林大学割りばし事件を参考に」という一般口演を行った。幸いに、同学会からの理解を得られて、学術貢献賞を頂戴したところであるので、その要点を次に述べてみたい。

まずは、一般口演の抄録を、そのまま引用する。

無過失補償制度と共に訴訟禁止を

——杏林大学割りばし事件を参考に

【目的】 わが国における医療事故紛争の解決における過失責任主義の限界から、海外の無過失補償制度が着目されてきた。本研究は、海外の制度を参考に、わが国における医療事故紛争の解決について国情にあった制度改善に資することを目的とする。

【方法】 ニュージーランドの事故補償法(Accident Compensation Act 2001)と関連制度の下では、わが国で起きた「杏林大学割りばし事件」はどのように扱われるかを検討する。

【結果】 事故補償法では関連する訴訟を一切禁止するため、当然訴訟はなされない。医療事故や医療過誤等に起因する損害について補償するとしても、杏林大学割りばし事件のような事例は、それが医療起因性に欠ける併発症(偶発症)であるとも思えるので、医療補償の対象にはならないであろう。しかし、「医療事故(治療行為の過程での傷害)」の項目には該当しないが、別途「非稼得者(子供などの非稼得者が負った傷害)」の項目が存在するため、補償が認められうることとなる。つまり、「医療補償」と共に「生活補償」を併存させることにより、広く補償が可能になるのである。また、事故補償法とは離れて、「患者の権利」が侵害された場合に患者を救済するアドボカシーサービスを利用する手立てもあるだろう。

【考察】 「無過失補償制度と共に訴訟禁止」を導入するためには、広い補償と「患者の権利宣言」を併せて導入することが求められる。

ニュージーランドの「2001年事故補償法」

杏林大学病院割箸看過事例のような医療不作為型の事例がニュージーランドの「2001年事故補償法」においては、訴訟は起こせないが無過失補償の対象となるのである。まず、第317条によって人身傷害に関する訴訟の禁止が規定されている。人身傷害の適用対象は第20条に示されており、この中に「本人が被った治療傷害である人身傷害」(医療不作為型は除外)とともに「本人に対する事故によって引き起こされた人身傷害」も含まれている。また、第25条において「事故」の適用対象に「人体の外部に力(重力を含む)または抵抗が加わること」が含まれている。つまり、治療を原因とする人身傷害ではない自損事故(生活事故)であっても補償の対象となるのである。

ニュージーランドの法的テクニックを参考に

もともと無過失補償制度は、個別的な制度である労災補償制度や自動車事故損害賠償責任保険制度をその典型として、それら個別的なものから発祥している。ニュージーランドでは、その後に、いわゆる生活事故(自損事故も含む。)と相まって、全般にわたる一般的な無過失補償制度を形作って来たとも言えよう。その上、我が国では、労災補償も自賠責も産科医療補償もすべて、全部補償でなく一部補償に留め、その余の残部補償は損害賠償訴訟にかからしめているところ、ニュージーランドでは全部補償としてしまって、残部の損害の賠償請求訴訟は禁止したのであった。前者の生活補償も含めた全般的な分野の補償、及び、後者の訴訟禁止を伴う全部補償という2つの法的テクニックには、我が国においても見習う価値のある知恵がある。

杏林大学病院割箸看過事例に当てはめてみると、ニュージーランドでは、医療補償ではなく自損事故的な生活補償として補償することになろうし、また、子供などの非稼得者の補償としての財源措置をして全額補償(残部損害訴訟の禁止)に漕ぎつけていくことになろう。

それらの法的テクニックは、我が国と対照しても、合理的なものと思われる。最も大きな発想の転換は、杏林大学病院割箸看過事例のような治療不作為型については、無理やりに「医療」からの起因性にこだわってその範囲を拡大することなく、広い「医療」補償でなく、狭い「治療傷害」補償に限定した上で、「治療」との因果関係を否定して「治療傷害」から除外してしまい、その代わりに、端的に「生活事故」(それも自損事故)として扱って、補償の範囲内に組み込んだことであろう。我が国の場合は、「治療」の不作為のタイプについても、何とかして「医療」(正確には、「医療の機会」)からの起因性を認定しようとこだわり過ぎることが問題であるように感じられて仕様がない。

また、補償はあくまでも被害の救済だと割り切り、医療者への制裁や謝罪・反省要求は補償(この場合は、訴訟のこと)の目的・機能から外してしまうことが、逆に、より広範かつ適切な被害救済につながるものと考えられる。さらに付け加えれば、ニュージーランドでは訴訟が禁止されながら「患者の権利宣言」が制定されていることから分かるとおり、医療過誤損害賠償請求権そのものは必ずしも患者の基本的人権そのものとまでは言えないので、全部補償かつ訴訟禁止としつつ、我が国でもそれと相まって(医療過誤訴訟の権利を除いた)本来の「患者の権利宣言」を制定してしまうのも、現実的に合理的な選択の1つであると評しうるところであろう。

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