いま、医療従事者とくに開業しているドクターは、“新しい強敵”と闘わなければならなくなっている。その強敵とは、ズバリ「ネットのクチコミ」である。
今春、検索エンジンのGoogleに対して、同社が提供している地図情報提供サービスの「クチコミ」をめぐり、医師や歯科医師ら90人が損害賠償を求めて東京地裁に集団提訴することがわかった。医師らは「Googleクチコミ被害者の会」のメンバーだという。原告らの医療機関をGoogleマップのクチコミ欄には、身に覚えのない診療拒否やスタッフに対する中傷などが書かれており、削除や修正をGoogleに要求してもなかなか応じてもらえない。原告になる予定の医師のひとりは取材にこたえ、「明らかな人権侵害だ」と苦しい胸の内を明かしている。
この「クチコミ」の機能を簡単に説明しておこう。受診を予定して地図を確かめようとGoogleマップを出してくると、位置といっしょに5段階の評価や匿名で評価を自由記述できる「クチコミ」が現れる。たとえば、私が勤務する北海道むかわ町国民健康保険穂別診療所は「5段階中2.8」という評価だ。いまのところ「クチコミ」には目に余るものはないようだ。
あんなに善い病院もクチコミの餌食に
ところが、私のいる穂別診療所で患者が専門的な医療が必要となった場合、検査や治療を依頼しているこの圏内の中核病院・市立T病院を検索して驚いた。そのクチコミには、「結論から言うと最悪です。入院していましたが、医師、看護師、偉そうです」「金をむしり取るような底辺の病院です」「泌尿器科医は、9時から診察なのに、9時15分、売店で、買い物。こんな医師いらない!!」など悪口雑言が並んでいたのだ。
では、T病院はそれほどひどいところなのか。私の印象はまったく逆だ。これまで東京のクリニックで数々の医療機関から患者の受け入れを断られてきた身からすると、このT病院の親身な対応にはただただ驚かされる。穂別診療所からT病院までは70キロほど離れており、救急車でも1時間半近くかかるのだが、夕方に電話で受け入れを依頼しても「当直帯に引き継いでおくのでどうぞ」と言ってくれる。検査、診断、そして治療とそれほど多いとはいえないスタッフで最善を尽くしており、研究会などが頻繁に開催され研修医教育にも熱心な病院、というのが私の印象だ。
もちろん、医師から見て「とても良い医療を提供している医療機関」であっても、それぞれの患者にとってはそうではない、というのはわかる。診療の場面のどこかで、実際に問題と感じることもあったのかもしれない。ただ、あまりに感情的に書かれたクチコミや、さらには明らかに事実とは思えないような低評価のクチコミが並ぶと、病院の名誉が傷つけられたり受診を忌避されることによる損害が発生したり、医師や看護師が傷つくばかりではなく、これから病院を選ぼうとする人に不利益を与えかねない。実際にこの5段階評価やクチコミを参考に病院を選んでいるという人もおり、そういう人は歪んだ認識を信じて受診の機会を逸してしまうかもしれないからだ。
また、いまはこういったひどいクチコミが書かれていない医療機関でも、「これから書かれるのでは」と思うと医師らが萎縮したり警戒したりして、結果的にそれが良い医療の妨げになることもあるだろう。たとえば私の場合でも、SNSで匿名の人から「ふーん、いまこの診療所にいるのか。Googleのクチコミでも書こうかな」というコメントが来たことがあった。その人は私の別の発言が気に入らなかったようなのだが、こうほのめかすことで私がうろたえるのを狙っているのだろう。「クチコミ」は今や強力な武器になっているのだ。
現時点で書かれた側が打てる手は少なく、プラットフォームであるGoogleにクチコミの投稿ガイドラインがもっと厳密に運用されるよう、呼びかけるしかないのかもしれない。それでも反応が鈍ければ、やはり集団提訴などの法的手段に出るのもひとつの手だが、それでも心ないクチコミを投稿した人を訴えられるわけではない。
「打つ手なし」の現状で私がいちばん強調したいのは、クチコミで人権が侵害されたり努力してきたのに酷評されたりすることで、医療機関側のモチベーションが下がらないようにしてほしい、ということだ。真面目な人ほど「こんなにがんばっても患者にはわかってもらえない。それどころかこんなひどいことまで書かれてしまう。いったい何のために努力してきたのか」と傷つき、「むずかしいケースはもう受けないことにしよう」「新しい治療にトライするのはやめて無難なことだけしよう」と自己抑制に走ってしまいがちだからだ。
ネットの悪評に負けないためのコツ
ネットの力はあなどれないが、少なくとも一般の開業医にとっては、いちばん大切なのは定期的に通院している患者やこれから受診する可能性のある近隣の住民だろう。その人たちにとっては、ネットの評判などはほとんど意味がない。それよりも、実際に受診したときの医師やスタッフの対応、院内外の雰囲気を実際に体験し、「また何かあったら来よう」「知り合いにも勧めよう」と思うのだ。その点、ネットの評判で遠くからでもわざわざ食べに来るかどうかを決める飲食店などとはずいぶん違う。かく言う私も、診察室で言われたことがある。「先生の悪い評判もネットで見たよ。雑誌で写真を見て、悪いけど“たしかにあまり信用できない感じ”と思っちゃった。でも、この病院でたまたま先生に会ったら、全然、写真なんかと違うってわかった。」まさに「百聞は一見に如かず」だ。
では、そうやって堂々と「これがリアルの私だ」とネットをあまり気にせずに診療をしていても、「これクチコミに書こうかな」などと半ば脅しのようなことを言われたらどうすればいいか。そこで「お願いだからやめて」と懇願するのがいけないのはもちろんだが、「書けるものなら書いてみろ」のように開き直るのも問題だ。「そうですか」とスルーするのが良いと思うのだが、その前に「あなたは決してクチコミに悪口を書くような人に見えないのに、そこまで言うということは相当、不快に思われたんでしょうね。それが何か、教えてくれませんか」と尋ねてもよいかもしれない。すべてがそうとは限らないが、人は不満に思っていることを言葉に置き換え、誰かに耳を傾けてもらえば、怒りのトーンは何段階か下がるはずだからだ。
それにしても、医師として「患者と良いコミュニケーションを取りたい。そしてその病いが少しでも良くなるように尽くしたい」と思っているのに、「誤診された」「ヤブ医者」などとクチコミに書き込まれたら、それだけでヤル気も失せてしまうのは当然だ。「誰が書いたんだろう。あの人かこの人か」と疑心暗鬼にもなるだろう。それはもしその人が嫌がらせのためにやっているのだとしたら、まさに思うツボでしかない。
問題のあるクチコミを見つけて落ち込んだら、その日は目の前の患者たち、あるいはスタッフ、家族などのその十倍、心の通い合うコミュニケーションを心がけよう。「先生、おかげでラクになりました」「それはよかった。また何かあったらいつでもどうぞ」「よろしくお願いしますよ」といったいつもの対話を5回くらい味わえば、「ネットより大切なのはこの現実」と思えるはずだ。
医師らの提訴の行方はどうなるのだろう。また機会があったらこのコラムで紹介したい。
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