SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

膵がんプレシジョン・メディシンは進んだか

膵がんプレシジョン・メディシンは進んだか
 研究と模索が続く難治性がんのゲノム医療

「プレシジョン・メディシン(精密医療)」2015年1月、当時、米国大統領だったバラク・オバマ氏が一般教書演説で言及した事で、その動向が注目される様になった。それから今年で10年目となる。膵がんについて、改めて現状を概観してみたい。

膵がんの早期発見は極めて難しい

近年は、自分の病名を公にしながら闘病する著名人も増えた。23年末には、経済評論家の森永卓郎氏がステージ4の膵がんである事を告白した。膵がんは尚、難治がんの筆頭であり、これ迄も八千草薫氏、石原慎太郎氏、星野仙一氏、スティーブ・ジョブズ氏……等、多くの著名人の命が奪われてきた。

日本では、膵がんの罹患数・死亡者数共に年々増加している。特に死亡者数は、肺がん、大腸がん、胃がんに次ぎ、4番目に多い。5年生存率は上向いたとは言え、8.5%(09〜11年)に過ぎない。「暗黒の臓器」と言われる膵臓は、胃や腸の陰に隠れ、簡便なスクリーニング法も無く早期発見が極めて難しい。更に、治療選択肢が乏しい事が予後不良の原因でもある。診断が付いた段階で手術出来る患者は約20%、又切除出来たとしても術後再発率が高く、術後の5年生存率は約40%に留まる。

膵がんに用いる抗がん剤は、従来は細胞障害性薬剤が主流で、ゲノム医療等のプレシジョン・メディシンの入り込む余地は乏しかった。18年に高頻度マイクロサテライト不安定性(MSI-High)、そして22年には腫瘍遺伝子変異量高スコア(TMB-High)の固形がんに対して、免疫チェックポイント阻害薬のペムブロリズマブ(抗PD-1抗体)が承認された。

この薬剤は、臓器非特異的な為、膵がんでも、この変異が認められれば、使用する事が出来る。又、エキスパートパネル(遺伝子パネル検査結果を医学的に解釈する為の多職種の検討会)により推奨されれば、コンパニオン診断として用いる事も出来る。

20年12月には、BRCA遺伝子変異陽性の治癒切除不能な膵がんに於いて、プラチナ系抗がん剤を含む化学療法後の維持療法として、PARP阻害薬であるオラパリブが承認された。

この様に膵がんについても、がんゲノム医療が注目を集めている。がんゲノム医療は、「がん患者の腫瘍部及び正常部のゲノム情報を用いて治療の最適化・予後予測、発症予防を行う医療」と定義されており、保険診療の一環として導入されつつある。個々人の遺伝子異常を評価し、それに合わせた治療、即ちプレシジョン・メディシンを行うのだ。又、未発症者のリスクを評価した予防的介入を指す事も有るが、膵がん治療に於いて、予防的切除等は現実的とは言えない。

膵がんで期待されるプレシジョン・メディシン

ゲノム治療、即ちプレシジョン・メディシンは、「個別化医療」という訳語が当てられる事も有る。治療前に実施した包括的ゲノムプロファイリング(CGP)に於いて、治療標的としての介入が期待される遺伝子変異又は生殖細胞系列遺伝子変異が判明する事が有る。そうした場合、それに合わせて分子標的治療薬を用いるのが個別化医療である。背景には、2000年代半ばになって次世代シークエンサーが登場し、少量の検体から抽出したDNAからでも、短時間且つ低コストで遺伝子を網羅的に解析出来る様になった事が有る。

19年以降、組織検体や血液検体からのCGPが、保険診療として実施出来る様になった。解析対象の遺伝子数や提出検体が異なる複数のCGPが有り、検体検査からシークエンスを経てエキスパートパネルの結果が出る迄には、組織検体で約2カ月を要する。血液検体(リキッドバイオプシー)の場合、この時間を半分に短縮する事が出来るが、検査の保険適用には一定の条件が有る。

オラパリブが臨床導入された事等を受けて、最新の『膵癌診療ガイドライン2022年版』(日本膵臓学会)に於いても、新たに「プレシジョンメディスングループ」が設けられた。ここには、遺伝子やバイオマーカーを用いた診断や治療を専門的に扱おうという意図が有る。一方で膵がんは、遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)の関連疾患とされており、一部に家族集積が有る事から、遺伝性の腫瘍という側面も注目されている。進行がんとして発見される事が多いので、早期発見の為には、遺伝的な高リスク群のサーベイランス等も必要になる。この為同グループは、ゲノム診断やその結果に基づく治療、遺伝的素因の評価や遺伝相談に長けたメンバーで構成されている。

米国の家族性膵腫瘍レジストリ研究(NFPTR)では、家族性膵がんの家系では、膵がん発症リスクが9.0倍になると報告されている。第一度近親者内に膵がん罹患者が3人以上いる場合は32倍、2人の場合は6.4倍、1人では4.5倍になるという。19年から35年にかけて、介入試験として、「家族性膵癌家系または遺伝性腫瘍症候群に対する早期膵癌発見を目指したサーベイランス方法の確立に関する試験」の臨床研究も国内多施設で実施されている。

このガイドライン改訂に際しては、患者・市民グループとの意見交換等が実施されており、膵がんに於けるプレシジョン・メディシンに対しては、高い期待とニーズが寄せられている。22年版では、未だエビデンスが乏しい印象は否めないが、継続して蓄積して行く事が、今後の課題となっている。

期待される膵がんの治療法開発

さて膵がんでは、多くの症例で見られる4つの遺伝子変異(KRAS、TP53、CDKN2、SMAD4)が知られているが、これらを標的とした治療薬開発が検討されている。特にKRAS変異は、膵がんの9割以上の症例で認められており、膵がん発症のドライバー遺伝子変異として最重要と位置付けられている。

22年1月、KRAS G12C変異陽性の固形がんを対象としたソトラシブ(商品名ルマケラス錠120mg)の製造・販売が承認された。適応は、「がん化学療法後に増悪したKRAS G12C変異陽性の切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌」である。

ソトラシブ単剤による第Ⅰ/Ⅱ相試験では、膵がん症例で奏効率21%という高い抗腫瘍効果が認められている。又、本剤は抗腫瘍免疫増強効果も有るとされ、免疫チェックポイント阻害薬との併用で相乗効果を狙った治療や、他の抗がん剤と併用する試験も進行中である。

ノーベル賞の受賞理由となったオプジーボに代表される、PD-1阻害薬、CTLA-4阻害薬等の免疫チェックポイント阻害薬にも、期待が高まる。しかし、実は膵がんは腫瘍遺伝子変異量(TMB)、ネオアンチゲンが少なく、腫瘍浸潤T細胞も少ない為に、一般に免疫原性が低いとされる。この為免疫療法で効果を得るには、免疫抑制性の微小環境を克服する事が課題となる。

あの手この手で、膵がん克服の為の精密医療の治療法開発が進められている。特に、KRAS変異に関しては、更に標的を細分化して、G12D、G12V、G12Cといった変異型レベル迄踏み込んだ超個別化医療となる事が見込まれている。免疫療法でも、個別化医療がキーワードとなり、微小環境の克服、KRASを標的としたワクチン療法、TCR(T細胞受容体)遺伝子療法等が主体となって行く事が見込まれている。膵がんに対するがんゲノム医療によって、有効な治療選択肢が見つかる可能性が有る事は希望である。一方で、明らかになった遺伝情報は、血縁者にも影響の及ぶ事になり兼ねない事から、医療機関に於いては、患者家族に配慮した情報提供やカウンセリングの体制等も、今後求められる事になろう。

早期発見の壁を克服する試みも有る。一般集団に於いては、膵がんのハイリスク群を同定するバイオマーカーが無い為、個別化予防法が確立されていない。近年、遺伝的多型と疾患や体質との関連性を網羅的に見つけ出すゲノムワイド関連解析(GWAS)に基づき、個人のゲノム情報から疾患発症リスクを定量化する多遺伝子リスクスコア(PRS)が注目されている。膵がんに於いても、疫学研究により明らかになったリスク因子をPRSに加味する事で、今後の予測精度の一層の向上が期待されている。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top