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アルツハイマー病研究に投じる新たな一石

アルツハイマー病研究に投じる新たな一石
低出力パルス波超音波(LIPUS)の最終治験開始へ

アミロイドβ(Aβ)原因説一辺倒のアルツハイマー病(AD)研究に一石を投じる事が出来るのか——。

 東北大学名誉教授で循環器内科医の下川宏明・国際医療福祉大学副大学院長のチームは今秋、超音波によるAD治療を目指し最終の検証的治験に着手した。低出力パルス波超音波(LIPUS)を脳に当てて血管新生を促し、脳の血流を改善させて認知機能の低下を防ぐというものだ。

 「人間が持つ自己治癒力を物理的刺激によって活性化し、患者自身の力で治すアプローチを20数年前から考えて来た」

 11月16日、最終治験の開始について説明する記者会見に臨んだ下川氏は、音波を駆使する手法についてこう語った。

 元々下川氏は認知症とは無縁の心臓病等が専門の内科医だ。循環器系の再生医療に関してはIPS、ES細胞等を外部から投入する技術が主流だが、コストや安全性に問題が有る。

 そこで下川氏は2001年から生体の自己治癒力を活性化させる音波の作用に注目し、低出力衝撃波によって重症狭心症患者の心臓の血管新生をする治療法を編み出した。これ迄25カ国以上で1万人以上が衝撃波による治療を受け、有効性と安全性が報告されている。

 ただ、衝撃波の場合肺を損傷するリスクが有るのに加え、治療に3〜4時間掛かる。この為検討を重ね、治療が1時間程度で済んで肺損傷の恐れも無いLIPUSを見出し、LIPUS治療が重症狭心症にも有効で有る事を立証した。

 認知症へのLIPUS適用を思い付いたのは其の研究の過程だった。

 血管新生には一酸化窒素(NO)が関わり、更にNOはADの原因物質とされるAβ等の蓄積を抑制する、との研究結果も有る。考えてみれば、タバコ等の危険因子、運動等の予防法は認知症と動脈硬化に共通しているではないか。「認知症もNOが関係する循環器病では」。そう発想した下川氏は14年からマウスを使った実験に取り組んだ。

血管新生が治療に応用出来る可能性

 その結果、LIPUSの照射によって、①微小血管の内皮細胞でNO合成酵素の発現が進む、②NOがより産生され、微小血管の障害が改善する、③脳血流が回復し、認知機能の低下を抑える——事を突き止め、NOの産出と認知機能の低下防止に関連が有る事を明らかにした。この治療法がADと脳血管性認知症のモデルマウス双方に有効で安全である事も証明した。

 動物実験の結果を踏まえ、下川氏は「LIPUSを脳に当て、微小血管の障害を改善すれば認知機能の低下を防ぐ事が出来る」と確信。18年から東北大病院で探索的治験を始めた。

  被験者は早期ADの人等22人。当初40人を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の影響等で叶わなかった。22人は無作為にLIPUS治療群11人、比較対象のブラセボ治療群11人に振り分けた。

 治療はヘッドギア型の医療機器「リーパスブレイン」を両側のこめかみに装着し、20分間ずつ3度、計60分LIPUSを照射する。痛み等は無く、手軽に受けられるという。この1回60分の治療を隔日で3回実施、これを1クールとし、1年半で計6クール、18回の治療を繰り返した。プラセボ群には超音波を当てた振りをした。

 18回の治療を最後まで終えた被験者は、LIPUS治療群が10人、プラセボ治療群が5人迄減った。それでも最終の認知機能検査の結果を見ると、プラセボ治療群は認知機能が悪化していたのに対し、LIPUS治療群は悪化が抑制され、時間が経つ程両者の数の開きは大きくなっていた。人数が少なく有意差は得られなかったものの、40例あれば有意差を確認出来る、と推定したという。

 又、治験開始時から個々の認知機能の変化に着目し、「改善した」人と「変化がなかった(悪化しなかった)」人を「有効例」と定義した。すると、1年半後の治験終了時点での「有効例」はプラセボ治療群が0%だったのに対し、LIPUS治療群は50%だった。治療回数が増える程効果が生まれ、脳の重篤な副作用は1例も無かった。

 この治験結果については厚生労働省系の独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)も高く評価し、22年9月には治療機器「リーパスブレイン」を「先駆的医療機器」の第1号に選んだ。指定を受けるには有効性は勿論、画期性や「世界に先駆けた開発が可能な体制」等が問われ、ハードルは高い。選定されると、通常1年ほど掛かる審査期間が半年に短縮される。

 最終の治験は東北大学や国際医療福祉大学の他、東京大、名古屋大、金沢大等17施設で約220人を対象に26年まで実施する。27年には厚労省にリーパスブレインの販売承認申請をする予定。下川氏は東北大発のベンチャー企業「サウンドウェーブイノベーション」を設立しており、リーパスブレインを看板商品として普及させる意向だ。

 ところで、最終治験は事前に被験者の脳内のAβを測定し、Aβ量の変化と認知機能の変化の相関も調べる事になった。

  下川氏は当初、認知機能検査等で軽度のADか其の一歩手前の軽度認知障害(MCI)と診断された人を被験者にする予定だった。それが厚労省側の強い要請で、個々の被験者のAβの蓄積度合いと推移も調査対象となった。

 同省幹部は「多くの課題を全てクリアし、効果を認めたからこそ第1号の先駆的医療機器に指定した」と言いつつ、「Aβ仮説(脳内に蓄積したAβ等が脳の神経細胞を壊すとみなす説)を重視し、裏付ける必要が有る。今回の治験は其の良い機会だ」と明かす。

アミロイドβだけがアルツハイマー病の原因なのか

23年8月、日本でも出版され話題になった米国の神経生物学者カール・へラップ著の『アルツハイマー病研究、失敗の構造』は、Aβ仮説一択と成っている認知症研究の世界へ警告を投げ掛けた。

 しかし、認知症専門医の大半は、Aβ原因説が最有力とは言え仮説の段階にも拘らず、当然視し大前提と受け止めている。日本で承認されたばかりの新薬「レカネマブ」もAβ原因説を前提に開発された。脳内のAβを除去する作用が有り、研究者の間では「病原の根本に作用する画期的な薬」と評されている。

 その点、下川氏らのアプローチは角度が異なる。Aβ仮説を否定はしないものの、Aβが脳に蓄積する前段として、動脈硬化等の血管病が有るのではないか、と見立てているのだ。

 当然、下川氏はリーパスブレインへの保険適用を見込んでいる。1回60分の治療に掛かる費用は数万円で、1年間で298万円(体重50キロの人の場合)に設定されたレカネマブの薬価に比べるとコストを抑える事が出来るという。

 更に、レカネマブは一部の人に微少な脳出血が見られる等の副作用が有るのに対し、LIPUS治療にはそれが無い。レカネマブは脳出血の痕跡が有れば投与出来ないが、LIPUS治療には今の所そうした制約が無い。

 下川氏は「LIPUSならコスト、安全性何れにも問題無い上、アルツハイマー病だけでなく脳血管性認知症にも有効」と言う。他の疾患への適応範囲も広く、脳梗塞や急性心筋梗塞等にも効果が有ると見ている。今回は初期のADとMCIの人を対象としているが、将来の治験では進行したADに加え、認知症予防への効果についても検証して行く事を予定している。

 治験を担当する秋下雅弘・東京大学大学院教授は「認知症と血管病を併せ持つ人もおり、LIPUSは多面的な効果が期待出来る。レカネマブだけでなく、幾つかの治療オプションを用意しておく事が重要だ」と話している。

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