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未来の会

第82回 医師が患者になって見えた事 「がん共存療法」の臨床試験に打ち込む

第82回 医師が患者になって見えた事 「がん共存療法」の臨床試験に打ち込む

医療法人社団悠翔会
ケアタウン小平クリニック(東京都小平市)
名誉院長 認定NPO法人コミュニティケアリンク東京(同) 理事長
山崎 章郎/㊦

山崎 章郎(やまざき・ふみお)1947年福島県生まれ。75年千葉大学医学部卒業。同附属病院第1外科、国保八日市場市立病院(現・匝瑳市民病院)を経て、91年聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長、2005年ケアタウン小平クリニック院長、22年から現職。

「いずれ自分はがんで死ぬ」。予想通りがんになったベテラン緩和ケア医は、末期がんの経過を誰より熟知していた。延命を求める抗がん剤治療で、生活の質(QOL)が著しく低下することも稀ではない。それを避け、たどり着いたのが「がん共存療法」だ。

副作用少なく理論的で安価な治療を求めて

2019年5月にステージ4と宣告されても、日常生活も訪問診療の仕事にも大きな支障はなかった。「自然に任せようか。自分たちが作り上げた緩和ケアもあるし」。一方、生への執着もあった。目にとまった免疫療法の広告にふらふらと飛びついた。担当医は丁寧に対応してくれた。7月、8月と治療を受け、毎回高額な治療費を支払ったが、3回目で我に返った。「自分が在宅で診ている患者さんも、高額でなければ受けたいと考えたかもしれない。その治療を私が受けているのは理に合わない」。家族に自分の思いを伝え、治療中止を決断した。

死に直面しても、誰もが急いで死にたいわけではない。抗がん剤治療を選択したくない患者に、選択肢になり得る代替療法を探そう。それこそが、自分の役割だと痛感した。それは副作用が少なく、理論的で、医師であれば施行でき、かつ高額な治療にならない、と条件を課した。同時に自分の怠慢を恥じた。「患者に最善を尽くし、苦しまず納得できる最期を迎えられるよう努めてきた。しかし、終末期がん患者が、ホスピスに至るまでの思いへの配慮が足りなかった。当事者となり、身に染みて分かった」

ケトン体を産出するための糖質制限

がんと共存できる方法の探索が始まった。前述した条件に見合う代替療法をインターネットで探すうち、糖質制限ケトン食に着目した。ケトン体は、脂肪の合成や分解の過程で生じる中間代謝産物で、飢餓状態になると増加する。山崎は、糖尿病ケトアシドーシスの原因でもあるケトン体を悪玉物質と考えていた。しかし、3人の現役医師が書いた書籍は筋が通り、文献もあって、それなりに説得力があった。ケトン食で産生されたケトン体は、正常細胞のエネルギー源になる一方、がん細胞の増殖を抑制するという。山崎は代謝学の参考書をひもときながら、19年9月後半からケトン食をスタートした。

3カ月置きにCT検査を受ける。12月に腫瘍が縮小していたが、翌20年4月には増大した。次に上乗せしたのが、糖尿病治療薬メトホルミンを併用したクエン酸を摂取する療法だ。クエン酸は、がん細胞分裂・増殖の栄養源となるブドウ糖の細胞内への取り込みを抑制する。3カ月後の腫瘍の大きさは変わらなかったが、さらに工夫して、クロノテラピー(時間治療)も実践した。がん細胞の増殖は夜間に活発化するので、糖質制限ケトン食とクエン酸療法の効果を夜に集中させた。その後、少量の抗がん剤も組み合わせた。がん縮小が目的ではなく、増殖抑制効果を継続させるためだ。さらに、キードラッグとなるメトホルミンを糖質制限ケトン食に併用した。糖質制限により血糖値上昇が抑えられ、がんの増殖因子でもあるインスリンの分泌は抑制されるが、その効果を確かなものにするのが狙いだ。

多忙だった山崎の数少ない趣味は、映画鑑賞だ。厳しい糖質制限に耐える自分を、映画『ロッキー』の主人公に重ね、テーマ曲が脳内でリフレインした。また、無実の脱獄囚の逃亡を描いた映画『パピヨン』の主人公が、体力を蓄えようとゴキブリやムカデのスープを口にするシーンも脳裏をかすめた。それでも、何気ない食品を味わう感動もあり、「決して追い詰められてやっているわけではない」と感じていた。

途中、21年夏に虫垂炎を発症。外科手術で事なきを得たが、めっきり疲れやすくなった。24時間対応のクリニック勤務は堪えられないと、軟着陸を探った。志を同じくして全国で在宅医療を展開する医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳が、22年6月から引き継いでくれ、山崎も非常勤医師として手伝うことになった。

資金援助と協力者を経てエビデンス作りへ

自らを実験台として、既存の代替療法を1つずつ積み重ね、「がん共存療法」(MDE糖質制限ケトン食、クエン酸療法、少量抗がん剤治療)に到達した。「M」はメトホルミン。「D」はビタミンD、「E」はEPA(エイコサペンタエン酸)で、共にがん治療に有効とされる。

22年6月、『ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み』(新潮社)という著書を出し、経験を披露した。両肺の転移巣は、発見当初に比べて縮小した状態で安定し、正にがんと共存できていた。ただし、自己流の「がん共存療法」の恩恵に浴する患者を増やすには、個人の体験談では説得力に欠ける。

22年夏、国立がん研究センターで、脳の悪性腫瘍である膠芽腫に対して、標準治療にメトホルミンを併用した第2相臨床試験が始まった。その直後、ホスピスの担い手の育成に賛同し懇意にしている日本財団から、「がん共存療法」の臨床試験の支援を示唆された。

背中を押された山崎は、ホスピス医としてのキャリアをスタートした聖ヨハネ会桜町病院(東京都小金井市)に出向き、院長の小林宗光に、「がん共存療法」の第2相臨床試験を実施できないかと直談判した。提案は真摯に受け止められ、同院で説明会が開かれた。

23年1月から同院で開始された臨床試験には14人がエントリーしたが、10月時点で継続しているのは8人である。対象は、大腸がん術後で、肺や肝臓に転移が認められ、ステージ4と診断された患者(74歳以下)で、標準治療としての抗がん剤治療を望まない人だ。肝機能や腎機能が正常、糖尿病がない、通常の食事ができる、他の抗がん治療を受けないなど、いくつか条件がある。

新たな治療法確立に向けて突き進む

山崎は、臨床試験の責任医師である。急速に病状が悪化して途中で中止した人もいれば、家族とも相談の上で再度抗がん剤治療を受けると離れていった人もいる。患者は、必ずしも改善する保証のない治療と承知しつつ、「QOLを保ちながら自宅で暮らしたい」と望む。「いつかは悪化する日がくる」と伝えつつ、意向を確認しながら進めており、24年夏ごろに結果を報告する予定だ。

山崎の体調は良好で、食事が単調になったことを除けば、普通の生活を送っている。しかし、小康状態とは言え、転移がんを抱えているという点で、崖っぷちにいる。

それでも、がんで失ったことは、ごくわずかだ。思う存分酒が飲めなくなったこと。そして、緩和ケア医である山崎が、代替医療に取り組むことを批判的に捉え、疎遠になっていった医師たち。反面、「進行がんで良かった。ならないままでは絶対見えずたどり着けなかった境地にある。医師でがんになったからこそ、問題を直視できた」

文字通り人生を賭けて、新しい治療のエビデンス創出に打ち込む。自分の最期は、可能なら、緩和ケア医の出発点となった聖ヨハネホスピスで迎えたいと考えている。「ここなら見舞客たちに酒をふるまいながら、納得の最期が迎えられるから」(敬称略)

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