時代と共に進化するマーケティング
前回に引き続きウェルネスという概念とマーケティングを考えるベースとして、もう少し「医療マーケティング」についてお付き合いいただきたい。
その昔、自動車王フォードはこう言い放ったという。「顧客は好みの色の車を買うことができる。好みの色が黒である限りは」(出典:フィリップ・コトラー、 ヘルマワン・カルタジャヤ、 イワン・セティアワン『コトラーのマーケティング3.0』朝日新聞出版)。
しかしながら、2017年日本語訳発売の『コトラーのマーケティング4.0』(朝日新聞出版)では、マズローでいう、顧客の自己実現欲求に働きかけ、それを叶えていくことがマーケティングの主眼であるとした。さらに近年では、「マーケティング5.0」へと進み、テクノロジーとの融合を模索している。隔世の感があるが、医療分野ではどうであろうか。
筆者と医療マーケティング
医療分野は手術や救急医療に代表されるように、侵襲的な手技が必要だ。裏を返せば、メスなどで人を切るといった通常許されない行為ができる資格を持った医師が行う領域である。この分野は参入障壁が高く、主なプレーヤーは病院だ。ここを今回はメディカル領域と捉えたい。
ただ実際には、医師や医療関係者が行う領域はかなり幅広くなっている。代表例が、生活習慣病だ。特に糖尿病のような生活習慣病の領域は、広い意味で考えると予防と言っても良い。例えば糖尿病であれば、血糖値が高い状況が長く続くことによって起きる合併症の発症。他にも腎症による透析導入や網膜症による眼底出血の手術、場合によっては動脈硬化が原因の心筋梗塞や狭心症の発症などが挙げられる。こうした救急医療や手術が必要な状況に陥ることを、前もって防ぐための概念になる。
これは、医師や医療者が対応していた主たる疾患が、感染症から生活習慣病に変化してきたことが原因である。ただ生活習慣病という病気は、名前の通り生活と密接にリンクしているため、病状の悪化を防ぐには医師が患者の生活に介入する必要性が出てくる。
これが、筆者の考えてきたマーケティング手法の適用ができる面だ。マーケティングで言えば、消費者行動といった概念だろう。
さらに筆者は、そこに健康という概念を導入しようと思い、医療マーケティングの書籍の成功に気をよくし05年に『健康マーケティング』(日本評論社)という書籍を著した。しかしながら、時期尚早か筆者の実力のなさか、この本はあまり人気が出なかった。
時は10年流れ、デジタル技術が非常に発達してきた。生活者は自ら選択する機会が増え、また情報の洪水に洗われるようになった。これは、医療分野も例外ではない。従来であれば、メディカルの領域の詳細な情報は簡単に得られないが、スマートフォンに体重、歩数、心拍数、さらには心電図といった身体情報を保存し、管理できるようになった。そして、豊かな国ほど健康を求める人が増えている。近年では東南アジアなどに多いが、新興国でも健康意識が強い人が増えてきた。
こうした流れの中で、もはや日常生活と健康、ひいては生活習慣病の予防、広く言えばウェルネス概念は、切っても切り離せない関係になってきていると筆者は考えている。
医療とマーケティングの関連の歴史
前回、筆者がなぜマーケティングという学問に関心を持ったかを述べたが、ここでは戸田裕美子氏による13年の総説論文『医療マーケティング研究の学説史研究』を踏まえながら、さらに筆者の見方で概観していきたい。
当初、マーケティングの概念は営利組織を念頭において作られたが、有効性が認められたことで、ほかの組織にも適用できるのではないかという議論が起きた。KotlerとLevyは 1969年の『Broadening the Concept of Marketing』において「警察署や美術館,公立学校,国家,病院,NPO,政党,慈善団体,自然保護団体といった,従来は非営利組織と認識されていた組織にもマーケティングの手法が採用されるべき」であると主張した。この主張はマーケティング研究者たちが営利組織のみを対象としてきた近視眼的な見方を批判し、非営利組織をもマーケティングの対象と捉えるべきことを指摘したものである。
そして、85 年にアメリカ最大の学会であるAMA(American Marketing Association:アメリカ・マーケティング協会)が、上記の主張を取り入れたマーケティング定義を行った。
具体的には、60年の定義「生産者から消費者もしくは利用者への財の流れを方向づける企業活動の遂行である」から85年には「マーケティングとは、個人と組織の目標を満足させる交換を創造するために、アイディア、物財、サービスについて、コンセプト形成、価格設定、プロモーション、流通を計画し、実行するプロセスである」と定義し直し、企業以外の活動にも拡張された。
2007年の定義でも同じく活動範囲を広げ、「マーケティングとは、顧客やクライアント、パートナー、さらには広く社会一般にとって価値のある提供物を創造、伝達、提供、交換するための活動とそれに関わる組織、機関、及び一連のプロセスのことである」とされた。そして13年の定義では「顧客、依頼人(得意先)、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物(商品やサービス等)を創造し、伝達し、配達し、交換するための活動である一連の制度、そしてプロセスである」とする。ここでも社会性が重視されている。
しかし、現場の反応は思ったようにはいかない。後述する日本同様、米国も1970年代は医療機関にマーケティングの考え方が受容されるには時間がかかったようだ。さらにHarrison他が97年に、「医療に関して言えば, 各国によってその制度や仕組みが異なることもあり, 一般のマーケティング研究と比べると, 北米を中心として展開される研究を基礎にするというよりは、各地域や国の特殊性を反映して事例の収集や原理の探求が行われる必要性が唱えられた」とあるように、地域差も話題になった。
医療マーケティングの2つの考え方
医療マーケティング研究の流れは2つある。1つは、今回前半で述べたように、従来の企業マーケティングで議論されてきた諸概念を医療分野に使おうという考えである。特にサービス・マーケティングの成果を応用しようという研究潮流が存在している。この流れは、近藤隆雄の著書『サービスマネジメント入門—ものづくりから価値づくりの視点へ』(生産性出版)が代表的である。
マーケティング概念の拡張と同様に、通常のマーケティング概念を医療に当てはめようとする。すなわち、医療などの分野ではマーケティング概念の普及が遅れているという思考である。この思考の下で、医師・患者関係、患者の満足、ブランド、広告、広報といった分野の研究が進んだ。筆者も基本的にこの姿勢をとっている。
もう1つは、医療マーケティング独自の概念や原理があるという主張だ。しかし、医療制度や医療文化は各国で異なるため、定式化されたものはないと思われる。さらに議論を進めていくと、筆者の「医療マーケティング」が1つ目の考え方にあたるのだが、現場の課題を解決するためにマーケティング手法を使っていこうという流れと、上述してきたようなマーケティング研究としての新たなフィールドあるいは学説の拡張としての流れがある。
後者の場合には、医療マーケティング独自の概念や原理を追求することも考えられる。こちらは、恩蔵 直人・岩下 仁の両氏による『医療マーケティングの革新』(有斐閣)というような著書に代表される、文科系のオーソドックスな近接手法である。こうした基礎知識をベースに、次回ではウェルネスとは具体的に何であるかについて、もう少し考えてみたい。
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