はじめに
近年、「ウェルネス」という言葉が頻繁に聞かれるようになった。今回と次回は、マーケティングの視点で、ウェルネスという概念とメディカル、およびヘルスケアとの関連を考えてみたい。
「ヘルスケア」には、狭義のヘルスケアと広義のそれとがある。広義のヘルスケアには医師や薬剤師・看護師など専門職が行う、医療行為が中心のメディカル分野と、予防医療・健康診断・日常生活の配慮といった生活部分の両方が含まれる。狭義のヘルスケアとは、このうちの後半部分を指す。
医療分野を含めての「聖域なき構造改革」というのは、小泉純一郎・総理大臣の時のキャッチフレーズの1つだが、現代ではもはやもっと幅広く、医療は生活の一部になりつつあるのだといえよう。
メディカル分野に漂う閉塞感
ところで、メディカル分野、具体的には医療従事者には閉塞感がある。これにはいくつかの理由があると考えられる。1つには医療費の抑制だろう。
もちろん、近年の高齢者の増大に伴って医療費が増加することは論を待たない。厚生労働省、状況によっては財務省も関与し、医療に社会保険料や税金をある程度投入することには納得感がある。
しかし、近年の医療費の増加はそれだけにとどまらず、高度な技術の発展による部分も大きい。もちろん患者の視点から見れば高度な医療技術が発展し、従来治らなかったがんが治るとか健康で長生きできるとか、良いことが多いのだが、そこに高額な医療費がかかっていることが問題である。
何年か前に話題になった、ノーベル賞受賞者の本庶佑先生の技術を基にしているがん治療薬・オプジーボなどがそのいい例だろう。オプジーボにより恩恵を受ける人は多いのだが、一方では薬剤費が高額なため医療費がかさんでしまう。日本の現状では高額の医療も患者に効果があれば極力保険診療を適用し、患者の自己負担を減らす仕組みになっているために、社会保険や税金からの支出が増えてしまう。
狭義のヘルスケア分野からの見え方
ただし、医療界の外からは全く違った見え方となっている。日本に残された数少ない成長分野がヘルスケア分野であるとされてから久しい。実際に数々の産業的な試みがなされており、街づくりもその1つであると言える。また、生活習慣病が(最近では、感染症が再度注目されているとはいえ)多くなり、健康領域と医学が扱う医療領域との区別もかなり曖昧になってきている。
具体的には、生活習慣病は、2010(平成22)年度の国民医療費(一般診療医療費)の約3割を占めており、年齢階級別では、65歳以上が55.4%(約20兆円)を占めている。疾患別では、悪性新生物が最も多く3兆円(11.1%)を占め、次いで高血圧性疾患、脳血管疾患の順となっている。これは従来かなり特殊だとされていた医療領域が生活の一部になってきていることに起因している。
実際に諸外国でも、この分野においてベンチャー企業が数多く生まれるなど、活性化しているのは間違いない。しかしながら我が国は、ヘルスケア分野の市場をいかに開拓し、創造した上でどのようにビジネスをやっていくのかという点において、まだまだ明確な処方箋が得られていない。まさにマーケティングができていないともいえる。
行動変容を重視
さて、先程ヘルスケアには、メディカル領域に加え予防や日常生活の配慮といった領域があると述べた。しかし、ことはそんなに簡単ではない。
多くの先進国の国民は生活習慣病に悩まされている。生活習慣病は、日常の生活習慣に起因する病気なので、生活スタイルを改善することがまず必要である。理屈から言えば、最初に生活スタイルの改善を試し、それで治らない場合に薬剤の服用が適用される。現実には、生活スタイルを改善することはなかなか難しい。そこで服薬に頼るケースが多くなるのだが、本来必要なのは生活スタイルの改善である。これは「行動変容」という概念で、公衆衛生分野において、近年非常に注目されている。そして実はマーケティングという学問の中でも同じことが、「消費の促進を図る」という切り口で昔から研究されているのである。
ではここで、「マーケティングとは何か」について、僭越ながら筆者の軌跡を追いつつ考えてみたい。
医療とマーケティング
筆者は、03年に『医療マーケティング』(日本評論社)という書籍を上梓している。これは、医学系の出版社ではない版元から出版したものではあるが、幸い増刷を重ね、さらには改訂を繰り返し19年には第3版を発行することになった。一時期は韓国語にも翻訳された。
医療とマーケティングの関係については次回に譲るが、筆者が医師免許を取った1987年は、早いもので今から35年程前になるが、この頃は、医療と経営はある意味相反するものだと捉えられていた。もちろん、医療とは別個に「医業」という言葉があり、医業経営といった用語で当時の病院経営や診療所経営を窺い知ることはできる。だが、言い換えれば、「医療経営」という言葉はご法度だったのだ。
しかし、当時だったとしても医療に対して「経営」という視点が全く無縁だったわけではなく、この頃であっても医療にマーケティングをという考え方はあるにはあった。ただ、マーケティングという考え方に直接向き合うのではなく、どちらかと言えば「いかに患者を集めるか」という集患の目的で、マーケティングが理解されていたように思う。
筆者自身のことに話を戻そう。筆者は、学生時代にドラッカーの著作に触れ、非営利組織の役割にフォーカスしている点に興味を持った。そこからまさにマネジメント、あるいはマーケティングという視点でドラッカーの書籍を多く読んだことを覚えている(なお筆者は現在、ドラッカー学会の理事でもある)。
言うまでもなくドラッカーは、イノベーションにも重点を置いている。こんなことを言うと現在のように学生の起業家が多い時代と比べて今昔の感があるが、学生だった頃の筆者には、イノベーションといった発想は未だなかった。しかし、ドラッカーを通してマーケティングに触れ、その概念をおぼろげながら掴んでいた筆者にとっては、医療における「医師・患者関係」というものが、やはり一番気になる点となった。
筆者は糖尿病内科の医師として、患者と長期に亘って付き合い、場合によっては行動変容を患者に起こさせなければいけない生活習慣病を主に診察していたので、患者が訪れた時に医師・患者関係を改善する手法としてマーケティングを捉えたことが最初だった。そのため、先ほど述べたようなドラッカーの一連の著書を読み解く際も、医師・患者関係という視点がどうしても強くなっていったと思われる。マーケティングの本質が利益の交換を促進することであるとすれば、医療マーケティングの場合、医師あるいは医療者と患者の間で利益の交換を促進することになる。
そう考えれば、この視点も有益ではあるが、近年の医療分野の広がりはそんなに単純なものではないように思える。次回に、近年話題になることが多い、ウェルネスという概念をマーケティング視点で分析してみよう。
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