フランスでの助産所の実証実験
フランスは、2013年、いわゆる「助産所」(フランスにおける出産施設「Maison de naissance」)の運用を試行する法律を制定し、16年から実証実験を開始、20年にその成果を挙げている。
フランスの年間出生数は、13年当時は約80万人余りで、今の我が国とほぼ同様であった。ただ、フランスの無痛分娩の割合は甚だ多く、60%後半から70〜80%にもなろうという状況である。
そのフランスで、ドイツやカナダを参考にして、いわゆる「助産所」を運用することによる社会保障費の削減を目指して、実証実験が行われた。当時、一般的な妊娠・出産1回につき、平均約40万円(約2650ユーロ。1ユーロ150円で換算)と捉え、それをいわゆる「助産所」で出産すると約28万円(約1885ユーロ)に減ると想定できるので、約12万円(765ユーロ)の社会保障費の節約になると試算したのである。
いずれ年間出生数約80万人の25%がこのいわゆる「助産所」の方式を採用すると仮定すれば、フランス全体で年間約240億円(約12万円×約20万人=約240億円)の社会保障費の節約になると目論んだのであった。
その目論見を実現するには、フランスではなじみの少ない「助産所」の安全性を実証する必要があり、そこで、わざわざ法律を制定してモデルとなる「助産所」をいくつか設立して、その安全性を証明しようとしたのである。その実験の結果は20年1月に、「妊婦と新生児の安全性が不十分であるという考慮につながるものではない」と結論付けられたらしい。
あとは、政治的・行政的に上手く「助産所」政策を実施できるならば、約240億円の財政節約効果を実現できるのである(ただし、政治的な反対も多くて、難航しているらしい)。
我が国でもフランスのように、出生数の約25%が保険指定によって利用しやすくなる「開業助産所」によるならば、フランスと同様に約240億円の財政節約が実現できるかも知れないのである。前向きに検討するに値する政策であろう。フランスの実証実験については、田村康子氏「フランスにおける出産施設《Maison de naissance》を訪問して−より自然な妊娠と出産への取り組み−」(神戸女子大学看護学部紀要・第6巻、19−24、2021年3月)を参照されたい。
なお、開業助産所ではなくて院内助産所のモデルではあるが、田倉智之氏も「産科医師不足の代替案として注目されている『院内助産所』の経済効果」(助産雑誌、1070頁、2006年12月)で同様のことを述べておられる。「正常分娩やローリスクの出産は人件費単価の低い助産師や設備負担の少ない助産所が担当し、異常分娩やハイリスク出産は人件費単価の高い産科医師や施設設備の充実した中核医療機関が担当(棲み分けと連携の推進)することにより、医療資源の運用や配置を最適化することが挙げられる」「英国の周産期分野にかかわる社会的な費用負担(周産期の医療費+分娩費)は、出産1件当たり日本の52.7(万円/年・件)に対して39.0(万円/年・件)と、我が国より効率的な医療資源の消費構造となっている」などであり、参考に値しよう。
開業助産所のパターナリズム・イメージからの脱却
開業助産所の中には、かつての「産婆(サンバ)」の良さの復活を望む者もいる。確かにそれ自体は正当な面もあろう。ただし、「産婆(サンバ)」であろうが、そうでなかろうが、留意しなければならない重要な点がある。それは「パターナリズム」にならないように、また、「パターナリズム」のイメージに見えないように、心掛けることであると思う。
森岡恭彦氏の「医の倫理—その考え方の変遷」(『医の倫理の基礎知識2018年版』、2018年8月31日)によれば、「20世紀になると医学・医療が進歩し、人々の医療に対する期待感と関心が高まり、また、多くの国で個人主義を基にした民主主義社会が発展し、個人の人権主張も強くなり、これまでの親が子を見る気持ちで行う慈善の医療は親権主義(paternalism)として批判され、医療は医師の行う慈善の行為ではなく、患者の人権の擁護の観点から医師・患者関係が見直されるようになった」とのことである。そこで述べられたことは、「医療」のみならず、そのまますべて「助産」にも当てはめられなければならない。
開業助産所については、フランスでの実証実験のように、よく「患者、新生児の安全性」への懸念とその不安への対策の必要性を聞く。もちろん、それらが必要であることは言うまでもないが、さらに加えて、「パターナリズム」のイメージからの脱却も必須である。「女性(妊産婦)を中心とした助産」の1つとして、まずは真の「女性(妊産婦)」によるインフォームドコンセント(IC)の実現が喫緊であろう。
なお、さらに付け加えるならば、「助産」における「パターナリズム」は、現象面としては、往々にして、「パワーハラスメント」につながりかねない。「助産」のテクニックの1つとして、「女性(妊産婦)」の出産の不安等への対策として「女性(妊産婦)」の「気持ち」への侵入、夫婦・家族関係への過剰な関与が行われることがある。しかしながら、そのような「女性(妊産婦)の私的な生活範囲に対する助産師のことさらな関与」は、それが必ずしも絶対に必要なものでなく、他に代わりうる代替手段があるのならば、助産業務の適正な範囲を逸脱した「個の侵害」として、「パワーハラスメント」と評価されかねない。
「個の侵害」とは、「私的なことに過度に立ち入ること」であるが、往々にして、無自覚のうちに加害者(助産師)や被害者(妊産婦)になってしまうこともある。表面上は女性(妊産婦)が拒否・抵抗を明示しなかったとしても、その「意に反する」ものであった時は、「パワーハラスメント」と評価されかねない。
この種の「パワハラ」は、「助産」における「パターナリズム」の1つと言いうることもある。よくよく留意しなければならない。
こども政策・地方創生策としての助産所増設
以上の次第であるので、開業助産所の増設は、母子の安全性やパターナリズムからの脱却を前提にすれば、フランスの例のような社会保障費節減策の1つともなりうるところであろう。そして、それはそれのみに留まらない。
開業助産所は、「産後うつ」などの母子保健も担当できるので、「継続ケア」に適切である。また、助産所分娩や在宅分娩は病院・診療所分娩と比べて「次子出生意欲」も高くなるので、少子化対策としても有効適切であろう。つまり、広く「こども政策」に資するのである。
さらには、地域活性化のためにも有効適切である。産科の病院・診療所のない地域にも、助産所を開設することならば可能であろう。また、在宅分娩のために「出張」するような機動性も、助産師にはある。もちろん、「開業助産所」の設立が、デジタル田園都市国家構想の1つの方途ともなりうるであろう。「デジタル社会形成」の一助ともなりうるところであるかも知れない。つまり、「地方創生策」の1つとしても、助産所増設は有効適切なのである。
最後に付け加えると、甚だ残念ではあるが、産科医不足と、それに基づく産科のある病院(特に中規模の公立病院)の集約化の流れは、止められない。そうすると、大切なのは産科単科病院と小規模な産科診療所の存続である。それら民間の病院・診療所と、開業助産所とが、いかにして地元で連携を図っていくかが、こども政策・地方創生策そして少子化対策の鍵を握ることとなるであろう。それぞれが社会的な標準化を果たして、真に諸政策に資することが期待されるところである。
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