SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

第29回「精神医療ダークサイド」 「自由こそ治療だ」のイタリア改革

第29回「精神医療ダークサイド」 「自由こそ治療だ」のイタリア改革
地域サービス拡大で変わった住民意識

今春、ジャーナリストの大熊一夫さんの講演会を横浜で開催した。大熊さんといえば新聞界のレジェンドだ。筆者が新聞記者の仕事に興味を持ったのも、高校生の時に大熊さんの著書『ルポ・精神病棟』を読み、「こんな滅茶苦茶な仕事ができるのか」と思ったのがきっかけだった。御年85歳だが、あふれるパワーに陰りがみられないのが嬉しい。

大熊さんは53年前、大量の酒をわざと一気飲みして東京の精神科病院に潜入し、院内の様子を『ルポ・精神病棟』にまとめた。入院時の病名は「精神病質」と「急性アルコール中毒」。精神病質のようなテキトーな病名を付けて、多くの人を病院に閉じ込め続けたのがこの国の下劣な実態である。大熊さんは、当時の院内の様子をこう振り返る。「患者たちは悪臭と寒気の中に放置されていた。まるで人間の捨て場所。自由意志も自己決定もことごとく無視され、ほぼ全員が無賃に近い労働を強要されていた。病棟の住民はみな萎縮し切って、人生を諦めていた。そこは牢屋並みどころか、牢屋以下だった」

そして、この惨状を生み出した旧厚生省の最大の失策を「精神疾患の人々の収容を盛大なビジネスにしたこと」と指摘する。欧米では、向精神薬の登場もあって1960年代以降、「精神疾患はコントロールできる」との考えが広まり、精神科病院の多くを廃止して地域でケアする体制への転換がはかられた。その先駆けがイタリアで、大熊さんは「自由こそ治療だ」と考えるイタリアの精神医療改革の取材を進めていった。

イタリアの改革の先頭に立ったのが、精神科医のフランコ・バザーリア。「精神科医の変革を待つのではなく、変わらざるを得ない状況をつくることが大事」との考えのもと、トリエステを拠点に病院から地域へ、の改革を進めていった。その過程では、地域に帰った患者がトラブルを起こす問題も発生したが、改革は揺るがなかった。

トリエステでは71年から78年までに、病院の全人材を地域精神保健サービスに移行させた。78年5月には、トリエステの実践を全イタリアに普及させる法律(180号法)ができた。この法律は精神科病院の新設を禁じ、入院や再入院も段階的に禁じた。これにより公立精神科病院は99年にゼロになった。代わりに予防、治療、リハビリは地域精神保健サービス(地域精神保健センター707施設など)が担い、やむを得ない入院は、総合病院に16床を限度に設置する精神病床で対応する。

改革後のイタリアの精神科入院施設は、総合病院精神科診療サービス(強制入院はここで対応)321施設(3997床)、大学付属病院8施設(162床)、デイホスピタル309施設(1155床)、私立精神科施設56施設(3975床)で、合計9289床とのこと。別に法務省管轄の司法精神病院6施設(約1000床)がある。強制入院の期間は7日で、延長も市長らの承諾が必要になる。大熊さんは「まだ残る私立病院には強制入院を許していない。これにより精神科医は治安の責務を負わなくてよくなった」と語り、最後にこう強調した。

「イタリアは、カネと人材を地域精神保健サービス網に振り向けた。日本のように病院にばかりカネを投じていては、地域サービスに回らない。トリエステでは、患者の社会に対する恐れも、社会の患者に対する恐れも軽減された。住民意識を変えるためにも、精神科病院の縮小と地域サービスの拡大が欠かせない」


ジャーナリスト:佐藤 光展

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top