SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

裾野を広げ医学研究のフィールドを守る ~臨床重視の標準化路線に偏らない教育を~

裾野を広げ医学研究のフィールドを守る ~臨床重視の標準化路線に偏らない教育を~
熊ノ郷 淳(くまのごう・あつし)1966年大阪府生まれ。91年大阪大学医学部医学科卒業。97年同大微生物病研究所・分子免疫分野助手、2003年同助教授。06年同研究所感染病態分野教授。07年同大免疫学フロンティア研究センター教授。11年同大大学院医学系研究科呼吸器・免疫アレルギー内科教授。15年同研究科・副研究科長と大学副理事を兼務。17年大阪大学栄誉教授。18年より同大大学院医学系研究科・副研究科長(専任)。21年同研究科長、医学部長、総長参与。米国臨床医学会特別会員選出、持田記念学術賞、第8回日本免疫学会賞、第28回大阪科学賞、文部科学大臣表彰・科学技術賞等、受賞歴多数。

医療の質を担保する目的として新専門医制度が2018年4月に開始され、専門医の資格取得が医師のキャリア形成の為の標準化路線という新たな価値観が生み出された。専門医の資格取得には所定の研修を受けなければならず、研究機会の喪失により、日本の研究力の低下が危ぶまれている。臨床重視の時代の潮流の中で、研究力を維持する為には、どの様な対策が有効なのか。大阪大学大学院医学系研究科の熊ノ郷淳教授に話を伺った。

——大阪大学(以下、阪大)医学部・大学院医学系研究科の理念についてお聞かせ下さい。

熊ノ郷 阪大の源流は、江戸時代に緒方洪庵が開いた適塾です。適塾は師がレクチャーをして画一的な教育を行うという場ではなく、全国から集った門人を互いに切磋琢磨させながら自由に研究や学問をさせる教育が特色だったそうです。今でも阪大の医学部には、本学の出身者だけでなく、全国から様々な先生を集めて自由に研究をして頂くという伝統が継承されています。

——学閥は問わないという事ですね。

熊ノ郷 学閥も派閥も関係有りません。例えば、東京大学の助手だった本庶佑先生が留学先から戻られて直ぐ、37歳の時に遺伝学教室の教授として抜擢されています。インターフェロンを世界で最初にクローニングした谷口維紹先生も、がん研究所にいらした30歳半ばで教授としてスカウトされています。当時、本庶先生も谷口先生も年齢があまりに若過ぎた為、給与体系が存在しなかったという逸話が残っている程です。最近でも、バイオインフォマティクスで有名な岡田随象先生や、オルガノイドで有名な武部貴則先生を教授として招いています。この様に、阪大はその時・その時代に光り輝いている比較的若い先生方を積極的に迎え入れて来ました。

——先見性の有る人選をなされています。どの様に選出するのでしょうか?

熊ノ郷 選考委員会では全国から候補者をリストアップして、教授会で議論をして決定します。勿論反対意見も出ますが、やはり良い先生であれば、綺麗に話が纏まります。更に、その優秀な先生が自分と一緒に仕事をしたいと思う人を呼び込むという様に、良いサイクルが生まれます。

——「免疫の阪大」を支えている1つの柱である免疫学フロンティア研究センター(IFReC)について教えて下さい。

熊ノ郷 当センターは免疫に関する様々な研究の成果を臨床の治療法や治療薬に繋げて行く事を目的として、07年に審良静男先生を拠点長として創設されました。現在は竹田潔先生が拠点長となりましたが、岸本忠三先生もご健在でおられますし、制御性T細胞の坂口志文先生、細胞死(アポトーシス)の長田重一先生等、超大御所級の先生達を筆頭とし、若手の研究者がどんどんリクルートされて来ています。中外製薬と大塚製薬からサポートを頂き、最先端の共同研究が進められています。今やIFReCは阪大だけではなく、日本のライフサイエンス領域の金看板になっています。

——25年に開催される大阪・関西万博で、貴大学は大きな役割を担われます。

熊ノ郷 医学研究科としては、今のところ人工多能性幹(iPS)細胞関連で心筋シートの澤芳樹先生、角膜上皮細胞シートの西田幸二先生がアドバイザー役として参加されています。これから多方面で準備が本格化して行くでしょう。

臨床重視の風潮により研究力の低迷が懸念

——阪大医学部が抱えている課題は有りますか?

熊ノ郷 どの大学医学部でもアドミッション・ポリシーには医学の理念とミッションが掲げられている様に、本学でも優秀な医師を育てると共に、世界をリードする研究者を輩出する事を使命として掲げています。ところが、昨今の硬直化した制度によって、価値観が画一化された人材しか送り込めなくなって来ています。医学には、医師になる事だけでなく、研究、公衆衛生、或いは医療行政等、幅広い分野が在ります。私の頃は、卒業して医師免許を取得したら、それぞれの分野へと散って行きました。今のシステムでは、卒業後に2年間の臨床研修が義務付けられています。これを修了しなければ、保険診療を行う事が出来ません。更に、5年前に導入された新専門医制度では、その後3年間の後期研修を経なければ、外科専門医、内科専門医といった専門医資格を取得出来なくなりました。医学部を卒業した後、実質5年間の研修を積まなければなりません。研究の視点から見ると、フィジシャン・サイエンティストといった医療を切り拓いて行く様な人達の芽を摘んでしまっている訳です。自動車免許に例えるならば、免許を取得した後にもう一度教習所に戻り、公道に出る事もサーキット場を走る事も許されないのと同じ事です。そうなれば、F1レーサーは決して生まれなくなります。

——新専門医制度は厚生労働省が定めた制度です。配慮が足りなかったという事でしょうか。

熊ノ郷 それ以上に医師不足の問題が深刻なのだと思います。文部科学省は人材育成を大事にしています。その為、各世代で優秀な人を選抜し、互いに切磋琢磨させてステップアップを目指して行く。スポーツの世界もそうですよね。医学部生は将来の日本を担って行く人を育てるという方針の下で医学を学びます。ところが、医師になった途端にその管轄は文科省から厚労省へと移ります。どんなに研究に秀でていたり、或いは公衆衛生にアフィニティの有るドクターであったりしても、彼らのカウントでは同じ「1」になってしまう。学徒動員と同じですね。特に過疎地では医師不足が深刻なっていますし、全てが間違っているとは言えませんが、裾野を狭めてしまっているのは確かです。

——日本のノーベル賞は減って行くと思われますか。

熊ノ郷 確実に減って行くでしょうね。後期研修を終える頃には30歳を超えている人も多いですし、そこから大学に戻り学位を取ると35歳になってしまう。その次に新しく何かを始めようとはならなくなってしまいます。日本の研究力が落ちていると言われている1つの大きな原因になっていると思います。元々日本の医学分野は裾野が広い事が取り柄でした。最初に臨床を経験した上で研究に進み、その中で興味の有る事を見つけて展開して行くという流れが出来ていました。私自身も最初は岸本先生の教室で臨床研究を学び、その後基礎に移り、臨床に戻って教授になりました。画一的な教育によって、多くの芽が摘まれてしまう事になるでしょう。

——留学者が減っているのも、同じ理由でしょうか。

熊ノ郷 大学院で学位を取ると卒後最短でも10年が経っています。既に結婚して子供が居る人もいます。特に今は円安なので、海外留学の奨学金は一番良くても年間600万円位です。子供が居れば広いスペースの住居が必要になり、1000万円は優に掛かってしまいます。実際に、2年間の海外留学で、1000万円の借金を背負っている人も居ます。

——留学は若い時が良いのでしょうか。

熊ノ郷 ある程度の地位が確立し、部下が付くと、新たに自分のテーマを打ち出す事が難しくなります。日本の奨学金は唯でさえ額が小さい上に、競争が激しく10倍位の倍率です。世界中から志願者が集まる中で、受け入れ側が課す条件とは、先ずは自国で1年分の奨学金を得る事です。何故ならば、それがその人の能力を証明する事になるからです。留学する様な日本人は皆優秀なので、1年間そこで実績を積めばその能力が買われ、2年目以降はボスが援助をしてくれたり、最低賃金に届かない分はボスや研究室のグラントの中から賄ってもらえたりという風に話が進む様です。

——「臨床・教育・研究」の三位一体のバランスを取る事が難しいと言われるようになりました。

熊ノ郷 近年は臨床における義務の比重が高まっています。大学、医学部、病院として売り上げを求められる様になった上に、それぞれの専門領域が高度化していますので、片手間では出来なくなって来ています。以前は臨床の教室に人が集まり、修行の形で基礎の教室に人を派遣して勉強をさせていました。そこで良い成果を出せれば、そのまま基礎研究に進んで学位を取るという事が出来ました。しかし、今はそうした余裕が無くなって来ています。後期研修を終えると、大学には戻らず臨床医になる人も居ます。基礎の教室に人が居なくなり、人が居なければ業績が上がらないという悪循環です。

続きを読むには購読が必要です。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top