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第11回【フィリピン】医療に歴史が色濃く影響

第11回【フィリピン】医療に歴史が色濃く影響
真野俊樹(多摩大学大学院教授)

歴史  フィリピン共和国、通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。ルソン島、ビサヤ諸島、ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7107の島々から構成される多島海国家である。首都はマニラで、国名は16世紀のスペイン王フェリペ2世の名にちなんでいる。

 1521年、セブ島にポルトガル人の航海者マゼランが率いるスペイン艦隊が、ヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達した。マゼランはこのとき、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死した。

 1494年スペインとポルトガルが結んだトルデシーリャス条約でブラジルを除く新大陸(インディアス)が、1529年のサラゴサ条約でフィリピン諸島がスペイン領有とされ、スペインはフィリピンをアジア進出の拠点とした。

 布教を目的の一つとしていたスペイン人はローマ・カトリックの布教を進めた。スペイン人は支配下のラテンアメリカと同様に、フィリピンでも輸出農産物を生産するプランテーションの開発により、領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。

 1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援した。同年、アギナルドは独立を宣言し、1899年に初代大統領に就任、フィリピン第一共和国が成立した。しかし、その後の米比戦争の敗北で、フィリピンはアメリカの自治領となった。

 第二次世界大戦が開戦した1941年、日本軍はフィリピンに上陸、アメリカ軍は敗走を続け、アメリカ極東陸軍司令官のダグラス・マッカーサーはオーストラリアに逃亡した。日本軍は42年にフィリピン全土を占領、43年、ホセ・ラウレルを大統領に据えたフィリピン第二共和国を成立させたが、民衆の広範な支持を得ることはできなかった。

 フィリピンは45年の日本の敗戦に伴い、再びアメリカの自治領に戻ったが、翌46年、アメリカに戦前から約束されていた独立を果たし、マヌエル・ロハスを大統領に選出したフィリピン第三共和国が成立した。長々歴史について述べたのは、このような歴史がフィリピンの文化や医療に色濃く影響を残しているからである。

経済  フィリピンは人口構成がいいことで知られる。人口は2010年時点の国勢調査で約9234万人だったが、年に約2%ずつ増えている。毎分3人の子供が生まれているとの推計に基づく計算で、2014年7月に1億人を突破したという。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)では人口2億5000万人のインドネシアに次ぐ大国となる、さらに平均年齢が23歳で、ベトナム27歳、インドネシア27歳よりかなり若い。

 国際通貨基金(IMF)によると、フィリピンの2013年の国内総生産(GDP)は2721億ドルで、一人当たりのGDPは2770ドルである。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は3842万人と推定されており、国民の40%以上を占めている(2015年に世界銀行は、2015年10月、国際貧困ラインを1日1.25ドルから1.90ドルに改定した)。

マニラ  マニラは、マニラ首都圏という考え方を採る方がいい。マニラや旧首都ケソンを含む16市と1町により構成されている。この首都圏の面積は日本の東京23区やスペインのマドリードよりやや大きい638k㎡で、人口は約1186万人(2010年)である。近郊を含む都市圏人口は2129万人(2011年)で、フィリピン全体の4割のGDPを占める世界第5位の大都市圏を形成している。

 ただし、15ペソで乗れる「ジープニー」または「ジプニー」(写真①)と呼ばれる乗り合いバスが主な交通機関である庶民と、マニラ首都圏に属し、「フィリピンのウォール街」と呼ばれるマカティ市(写真②)に住んでいるような富裕層との差は激しい。

医療状況  公的医療保険制度は、政府管轄下の機関であるフィリピン健康保険公社(PHIC)が運営している。いずれも財源は基本的に労使からの保険料による(PHICは保健省や地方自治体からも収入がある)。

 法律上は、公的医療保険制度に全国民の加入が求められているものの、実際には十分ではなく、貧困層が保険制度の恩恵を十分に受けているとは言い難い状況である。また、PHICから支払われる医療費の額は傷病の程度や医療施設のレベルに応じて上限が決まっており、その範囲内で病院側に償還払いされ、それを超える部分は患者の自己負担となる。

 例えば、透析に関しては90回までは保険でカバーされ、患者の自己負担はほぼないが、それ以降は自費になる。保険は、適用者がフィリピン医療委員会(PMCC) から認定された病院または手術施設(病院については保健省の認証がある病院の約91%カバー)および保健所(「貧困プログラム」 のみに対して適用がある)において、保険指定医などによる診療を受けた場合にのみ適用される。

 そういった仕組みであるので、収支については、2007年で保険料収入237億2674万6649ペソ(約605億4286万円)、給付費184億5089万1889ペソ(約470億8061万円)と収支は悪くない。

 保険料は労働者の標準報酬月額に基づいて、2.5%と定められている。なお、標準報酬月額は、労働者が1カ月に受け取る給与および全ての手当を合算した金額を元に、5000ペソ(約1万円)未満から3万ペソ(約6万円)以上まで、1000ペソ(約2000円)ごとに27段階に分けられている。標準報酬月額の労使の負担比率は、それぞれ使用者1.25%、労働者1.25%の折半となっている。

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