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未来の会

私の海外留学見聞録⑮ 〜難病を抱えながらも楽しいゲントの生活〜

私の海外留学見聞録⑮ 〜難病を抱えながらも楽しいゲントの生活〜

池田 寿昭(いけだ•としあき)
東京医科大学八王子医療センター 病院長

 留学先:ベルギー王立ゲント大学病院 (1988年9月〜89年8月)

ベルギーへの留学が決まるまで

今から35年前の1988年9月から約1年と短い期間でしたが、ベルギー王立ゲント大学病院麻酔科(Prof. G.   Rolly)へ留学する機会をいただきました。この留学の機会を作って下さったのは、東京医科大学麻酔科学教室主任教授の故・三宅有先生でした。しかし、当時私は難病指定の潰瘍性大腸炎にて幾度も入退院を繰り返していた時で、体調にも自信がなく、声高に直ぐに留学に行きますとは返事が出来ませんでした。

その数カ月後、今度は三宅教授が脳出血で倒れられました。片麻痺にてリハビリテーションでの入院生活を余儀なくされておられ、私自身の気持ちの中では、この時点で留学の話は完全になくなってしまったと思いました。しかし、三宅先生は病床の不自由なお体でありながらも私のために留学の推薦書を書かれていたと伝え聞き、教授の優しく温かなお気持ちを知り、胸が熱くなったことを覚えています。また出発前には、世田谷にあった教授の慎ましやかなお宅に挨拶に伺って、留学生活の心得等を聞かせていただきました。その中の1つに、「ゲント大学で行った研究結果や成果は全て向こうの大学に置いてきなさい」がありました。教授は、「大学で行った研究は、個人で出来るものではなく、大学のスタッフの指導や協力が有ってこそ出来るものである」と言うことを伝えてくれました。実際、ベルギーで行われた2つの臨床研究は彼らの協力が有ってこそ出来たものです。いつの時代においても守られなければならない基本であると思いました。

ベルギーに着いてから

当時、ブリュッセルへの直行便は、SABENAベルギー航空しかなかったと思います。確か他のヨーロッパ便と比較すると航空運賃も安めで、喜んで搭乗した記憶があります。ブリュッセル国際空港に降り立って最初に驚いたのは、英語標識が目に付かなかったことです。大半はフランス語とフラマン語(ドイツ語とオランダ語が混ざったような言語)で表記されていたと思います。私が住んでいたゲント(オランダ語訳ではGent、フランス語ではGand、英語ではGhent)は、ベルギーの北西部のフランデレン地区にあり、日常の言語はフラマン語です。初めの頃は全く理解出来ない言語で、カンファランス等で彼らの会話を長く聞いていると気分が悪くなった記憶があります。

到着後は、ブリュッセル市内のホテルにまずは落ち着き、翌日、ホテルに迎えに来てくださったProf. Rolly夫妻の車でゲント市内へ。大学病院から徒歩圏内にあるワンルームアパートに連れて行っていただき、そこがそれからの留学生活の拠点となりました。家賃は5万円くらいでしたが、光熱費全てが含まれており、比較的リーズナブルな物件でした。またアパートの1階に小綺麗なパン屋があり、毎朝焼き立てのパンを食べられたことはこの上ない幸せでした。

ゲント大学について

1817年創立のゲント大学は、建国以前からある大学であり、ルーヴェン・カトリック大学と同様にベルギー国内でも最高水準の大学として知られています。私がお世話になった麻酔科医局は、病院正面入り口にほど近いK6という建物にありましたが、実際の手術室は別棟にありました。病院の敷地はとても広く、別棟に行くときは徒歩で10分位かかることもあり、自転車に乗って移動することは日常的でしたが、更に地下では各診療棟が繋がっていて、患者移送用の車両も使われていました。

1988年当時のゲント大学病院は、ベッド数は1200床で、年間の麻酔科管理の手術件数は8500〜9000例と多く、教授以下4名のスタッフ、25名のトレーニング中の医師から構成されていました。手術室は臓器別に5カ所に分かれ、その他ICU管理やペインクリニックの業務をこなしていました。余談ですが、現在は病院敷地内に路面電車の停留所があり、交通の便は格段に向上しています。

私は留学前から、心臓手術と臓器移植麻酔に興味があり、臨床研究も出来ればと伝えていました。午前中は心臓手術を中心とした麻酔管理を行い、時々、空いた時間には医局内にある図書室を利用して『Anesthesiology』や『Critical Care Medicine(CCM)』等を読み、午後からはICUのProf. F. Coraldyneと一緒に症例検討会に参加する等、とても楽しい日々を送ることが出来ました。ICUでは普段からフラマン語やフランス語等で症例検討会を行っていましたが、私のような留学生にも親切で、研修医たちもカンファランス中は英語で話をしてくれ、感謝しかありませんでした。

手術室での仕事

Prof. Rollyに挨拶に行った翌日から直ぐに、婦人科手術の麻酔を担当させていただきました。そこでの麻酔管理は新鮮な体験で、手術室で最初に目にしたのは、静脈麻酔薬プロポフォールでした(同薬の日本での発売は95年12月)。プロポフォールは、現在でこそ広く使用されていますが、Prof. Rollyが77年に世界で初めて臨床使用した静脈麻酔薬で、半減期も短く(106.4±40.3分)、麻酔導入や覚醒も速やかであることから、短時間の手術や日帰り手術等によく使用されていました。大豆の乳剤に混ぜた乳白のミルク様な液体で1A(20ml;200mg)、循環器系への影響は「全末梢血管抵抗の低下による血圧の低下と心拍数の減少はあるが心拍出量には影響が少ないと」されていましたが、心疾患患者においては心筋抑制を起こすことがあり、当時は心臓麻酔にはあまり使用されていませんでした。

もう1つ、合成麻薬の1種であるSufentanilはベルギーで開発された薬剤で、私がゲント大学に行く4年前から臨床応用されていました。半減期は2.7時間でフェンタニルよりも短く、早い麻酔導入と覚醒が得られる事が特徴とされています。力価はフェンタニルの5〜10倍あり、ラットによる実験でも安全域はフェンタニルの100倍と広く、心血管系には殆ど影響を及ぼさないことから、当時は全ての心臓手術麻酔に用いられていました。その影響もあり、「心臓麻酔とストレスホルモンに関する臨床研究」を行うことが出来、2つの学会に発表し、論文にすることも出来ました。この研究を行う前には、麻酔科内でのカンファランスで研究の目的や方法等を説明する必要があり、以前日本で発表した『開心術後におけるストレスに関連したホルモンの変動』という論文を急いで英語版のスライドにしました。現在のようなパワーポイント装備のコンピューターはなく、ワープロによる作成で苦労したことが懐かしい思い出です。お陰で、ゲント大学から研究助成金も獲得出来、更に心臓麻酔担当の医局長のL. Herregods(後の同大学麻酔科教授)が生理学検査室や薬理学教室との交渉をサポートしてくれて、スムーズに仕事を進めることが出来ました。

このように沢山のスタッフ達に助けてもらって楽しい留学生活を送ることが出来ましたが、特にお世話になった3名の教授(Prof. G. Rolly、Prof. L. Versichelen、Prof. L. Herrgods)や麻酔科のスタッフ達との交流が現在も続いていることは私の人生の中では宝物です。そのお陰もあって、彼らを日本で開催された学術集会(日本麻酔科学会総会や日本臨床麻酔学会)等に招聘することが出来たことも楽しい思い出の1つです。日本から山ほど持って行った潰瘍性大腸炎の薬はあまり使わずに、翌年8月末に帰国することが出来ました。恐らく、ストレスの無い生活とベルギービールやワイン等が私の体に合っていたのではないかと勝手に思っています。

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